2023.09.14
惻隠の情
「惻隠の情」
何やら難しそうですよね。「そくいんのじょう」と読みます。「相手のことを思いやる気持ち」を意味しています。「惻」という漢字が見慣れないですよね。でも部首である「りっしんべん」に表されているように、「心を測る」=「相手の心を推し量る」ことを意味しています。「隠」については、「かくす」という意味のほかに、「慇」(イン)と同じく「相手をいたむ」という意味があります。ですから「惻隠」という熟語で「相手に寄り添って心配する」という内容になるのですね。
「惻隠の情」という言い回しには出典があります。中国の古典『孟子(もうし)』です。孟子は中国の思想家で、その言葉や行いをまとめた書物が『孟子』になります。今からおよそ2300年前、紀元前4~3世紀、中国の戦国時代にあたりますよ。『孟子』には次のような一節が登場します。「井戸に落ちそうになった子どもを見たら、思わず手を出して助けようと思う」と。この気持ちを「惻隠の心」と表現したのでした。相手の立場になって同情するという「人間らしい」感情の一つとされています。この「人間らしさ」を突きつめて、孟子は「性善説(せいぜんせつ)」を唱えました。ここでいう「性」とは「天から与えられた人の本質」を意味しています。また「善」とは「道徳的に正しいこと」という意味です。ですから「性善説」というのは「人は本来、善である」ということになります。危険にさらされた幼子を見るに見かねて助けようとする気持ちを、人間なら誰しも持ち合わせているという考えですね。
ですがここで少し注意が必要です。「性善説」をあまりに素朴に理解してしまうと、「人間は存在そのものが善である」という楽観的な解釈になってしまうのです。「何もしなくても立派である」と。孟子の教えは違います。「善は絶えざる努力によって開花され」そしてその結果「立派な人間になれる」というものなのです。「惻隠の情」は、いわば「種」のようなものであり、「開花」させるためには努力も必要になるということです。孟子はこれを「惻隠の心は仁(じん)の端(たん)なり」と表現しました。「仁」というのは「人を思いやる気持ち」のことで、道徳的に人として正しい生き方を示す言葉になります。人間が生まれつき持っている「惻隠の情」からスタートして、完成形である「仁」を目指して努力すること。自然の心の延長線上に徳はあるのだから、「人間ならばできるはず」というのが「性善説」の持つ意味なのですよ。
さてこの「惻隠の情」について、「これは人類学的真理なんです」と解釈するのが思想家の内田樹先生です。あまりなじみのない「人類学」という言葉が出てきました。「経済学」や「物理学」ならば知っていますよね。「経済学」を「経済についての学問」と考えれば分かるように、「人類学」も同じように「人類についての学問」ということなのでしょうか?その通りです!東京大学にも「人類学研究室」があります。研究室のホームページには次のような「人類学とは」という紹介が載せられていますよ。「ヒトは、大きな脳を持ち、二足で歩き、言語で互いに意思疎通を行い、自らの生息環境を脅かすまでに文明を発達させた、極めて特異な生物です。『人類学』とは、このヒトという特異な生物が、なぜ、どのように誕生し、どのような生物学的特徴を持った存在であるのかを、科学的に明らかにしようとする学問です。ただし、ヒトは『文化』を持っている点でほかの動物と本質的に異なっています。このため現在の人類学は、便宜上ヒトの生物的特質を研究対象とする『自然人類学』と、文化的特質を研究対象とする『文化人類学』に分かれています。」
ここでぜひ皆さんにも知っていただきたいのが、この「文化人類学」という学問です。人類の文化的側面を研究する学問ですね。文化によって異なって見える「生活様式・言語・習慣・ものの考え方」などを比較研究して、そこに人類共通の法則性を見い出そうとするものだと理解してください。世界には多様な文化と社会が存在します。そんな「異文化」を俯瞰して、「人類」という大きなスケールで「社会とは?」「文化とは?」そして「人間とは何か?」を考えることが文化人類学なのです。「現代文」の重要なテーマの一つにもなります。
話を元に戻して、「惻隠の情」が「人類学的真理」だという話です。内田先生は著書『複雑化の教育論』の中で、「人間は他者からの支援要請を聴き取った時に主体として立ち上がる」とおっしゃっています。どういうことでしょうか?「支援要請」というのは、「手をかしてほしい」ということで、もっと端的にいうと「助けて!」というメッセージです。それを受け取った人が「助けなければ」という気持ちになることが「惻隠の情」です。「主体として立ち上がる」というのは、「あなたがいてくれてよかった!」という強力なメッセージが届くことで、「ほかでもないあなた」が承認されるということです。このことは、人は「頼りにされている」という場面で本来の力を発揮できる、ということでもあります。身近な例をあげると、「頼んだぞ!」とバトンを渡されたリレーのアンカーが、自己ベストを更新してトラックを走りぬける、といったケースです。これも「人間とはどういう生き物か?」を考察する人類学的な研究の対象になるのですよ。
何やら難しそうですよね。「そくいんのじょう」と読みます。「相手のことを思いやる気持ち」を意味しています。「惻」という漢字が見慣れないですよね。でも部首である「りっしんべん」に表されているように、「心を測る」=「相手の心を推し量る」ことを意味しています。「隠」については、「かくす」という意味のほかに、「慇」(イン)と同じく「相手をいたむ」という意味があります。ですから「惻隠」という熟語で「相手に寄り添って心配する」という内容になるのですね。
「惻隠の情」という言い回しには出典があります。中国の古典『孟子(もうし)』です。孟子は中国の思想家で、その言葉や行いをまとめた書物が『孟子』になります。今からおよそ2300年前、紀元前4~3世紀、中国の戦国時代にあたりますよ。『孟子』には次のような一節が登場します。「井戸に落ちそうになった子どもを見たら、思わず手を出して助けようと思う」と。この気持ちを「惻隠の心」と表現したのでした。相手の立場になって同情するという「人間らしい」感情の一つとされています。この「人間らしさ」を突きつめて、孟子は「性善説(せいぜんせつ)」を唱えました。ここでいう「性」とは「天から与えられた人の本質」を意味しています。また「善」とは「道徳的に正しいこと」という意味です。ですから「性善説」というのは「人は本来、善である」ということになります。危険にさらされた幼子を見るに見かねて助けようとする気持ちを、人間なら誰しも持ち合わせているという考えですね。
ですがここで少し注意が必要です。「性善説」をあまりに素朴に理解してしまうと、「人間は存在そのものが善である」という楽観的な解釈になってしまうのです。「何もしなくても立派である」と。孟子の教えは違います。「善は絶えざる努力によって開花され」そしてその結果「立派な人間になれる」というものなのです。「惻隠の情」は、いわば「種」のようなものであり、「開花」させるためには努力も必要になるということです。孟子はこれを「惻隠の心は仁(じん)の端(たん)なり」と表現しました。「仁」というのは「人を思いやる気持ち」のことで、道徳的に人として正しい生き方を示す言葉になります。人間が生まれつき持っている「惻隠の情」からスタートして、完成形である「仁」を目指して努力すること。自然の心の延長線上に徳はあるのだから、「人間ならばできるはず」というのが「性善説」の持つ意味なのですよ。
さてこの「惻隠の情」について、「これは人類学的真理なんです」と解釈するのが思想家の内田樹先生です。あまりなじみのない「人類学」という言葉が出てきました。「経済学」や「物理学」ならば知っていますよね。「経済学」を「経済についての学問」と考えれば分かるように、「人類学」も同じように「人類についての学問」ということなのでしょうか?その通りです!東京大学にも「人類学研究室」があります。研究室のホームページには次のような「人類学とは」という紹介が載せられていますよ。「ヒトは、大きな脳を持ち、二足で歩き、言語で互いに意思疎通を行い、自らの生息環境を脅かすまでに文明を発達させた、極めて特異な生物です。『人類学』とは、このヒトという特異な生物が、なぜ、どのように誕生し、どのような生物学的特徴を持った存在であるのかを、科学的に明らかにしようとする学問です。ただし、ヒトは『文化』を持っている点でほかの動物と本質的に異なっています。このため現在の人類学は、便宜上ヒトの生物的特質を研究対象とする『自然人類学』と、文化的特質を研究対象とする『文化人類学』に分かれています。」
ここでぜひ皆さんにも知っていただきたいのが、この「文化人類学」という学問です。人類の文化的側面を研究する学問ですね。文化によって異なって見える「生活様式・言語・習慣・ものの考え方」などを比較研究して、そこに人類共通の法則性を見い出そうとするものだと理解してください。世界には多様な文化と社会が存在します。そんな「異文化」を俯瞰して、「人類」という大きなスケールで「社会とは?」「文化とは?」そして「人間とは何か?」を考えることが文化人類学なのです。「現代文」の重要なテーマの一つにもなります。
話を元に戻して、「惻隠の情」が「人類学的真理」だという話です。内田先生は著書『複雑化の教育論』の中で、「人間は他者からの支援要請を聴き取った時に主体として立ち上がる」とおっしゃっています。どういうことでしょうか?「支援要請」というのは、「手をかしてほしい」ということで、もっと端的にいうと「助けて!」というメッセージです。それを受け取った人が「助けなければ」という気持ちになることが「惻隠の情」です。「主体として立ち上がる」というのは、「あなたがいてくれてよかった!」という強力なメッセージが届くことで、「ほかでもないあなた」が承認されるということです。このことは、人は「頼りにされている」という場面で本来の力を発揮できる、ということでもあります。身近な例をあげると、「頼んだぞ!」とバトンを渡されたリレーのアンカーが、自己ベストを更新してトラックを走りぬける、といったケースです。これも「人間とはどういう生き物か?」を考察する人類学的な研究の対象になるのですよ。
2023.08.09
インクルージョン
「インクルージョン」
東京大学が「ダイバーシティ&インクルージョン宣言」を定めました。この宣言は「ダイバーシティ(多様性)の尊重」と「インクルージョン(包摂性)の推進」という二つの項目によって構成されており、「多様性」と「包摂性」が均等な価値を持つことを示しています。そして東京大学が、世界的人材を輩出していくためには「多様性」と「包摂性」を実現することが不可欠である、と考えていることが分かる内容になっています。
ダイバーシティ(diversity)とは、英語で「多様性」を意味する言葉であり、皆さんも耳にすることが多くなったと思います。集団において、年齢・性別・人種・宗教・趣味嗜好など様々な属性の人たちが集まった状態のことを指しています。東京大学の宣言の中でも、そうした属性によって「差別されることのないことを保障します」とうたわれています。 ダイバーシティは、一人ひとりが自分らしく生きることができる社会をつくるための普遍的価値になります。つまりダイバーシティは、基本的人権に根差し、無条件に尊重されるべき理念なのです。
一方、インクルージョン(Inclusion)は、英語で「受容(受け入れる)」という意味があり、宣言の中では「包摂性」と訳されています。東京大学といえば、受験生にとっては最も「狭き門」というイメージがあります。その東京大学が「受け入れます」と宣言しているのですから、これはどういう意味になるのでしょうか。この部分の宣言にはこうあります「様々な属性や背景を理由に不当に排除されることなく参画の機会があることを保障します」と。無条件に認められる「多様性」に対して、「包摂性」は「不当に排除されない」という扱いになっています。「不当に」の反対は「公正に」ということでしょう。ですから「不当に排除される」ということの反対を「公正に選抜される」ことだと理解すれば、東京大学で学ぶことが無条件で認められるわけではないことが分かりますよね。さらにインクルージョンに関する決定は「一度きりの最終形ではなく、社会や時代の文脈によって不断に問い直され、見直される」とも表明されています。東京大学の真摯な姿勢がうかがわれます。
多様な個性と背景、多彩な才能を持つ人々が集まり、差別や偏見を克服する活気にあふれた「東京大学コミュニティ」をつくりたい、という宣言でもあります。総合大学である東京大学の中では、無数の、そして広範囲の活動が、現在進行形で展開されています。そこに「誰でも学べる」「みんなで学べる」という観点で参加が可能になるような地域に開かれた東京大学の姿を、私も卒業生の一人として、また東京大学に隣接する町会コミュニティにも属している一人として、期待してしまいます!
東京大学が「ダイバーシティ&インクルージョン宣言」を定めました。この宣言は「ダイバーシティ(多様性)の尊重」と「インクルージョン(包摂性)の推進」という二つの項目によって構成されており、「多様性」と「包摂性」が均等な価値を持つことを示しています。そして東京大学が、世界的人材を輩出していくためには「多様性」と「包摂性」を実現することが不可欠である、と考えていることが分かる内容になっています。
ダイバーシティ(diversity)とは、英語で「多様性」を意味する言葉であり、皆さんも耳にすることが多くなったと思います。集団において、年齢・性別・人種・宗教・趣味嗜好など様々な属性の人たちが集まった状態のことを指しています。東京大学の宣言の中でも、そうした属性によって「差別されることのないことを保障します」とうたわれています。 ダイバーシティは、一人ひとりが自分らしく生きることができる社会をつくるための普遍的価値になります。つまりダイバーシティは、基本的人権に根差し、無条件に尊重されるべき理念なのです。
一方、インクルージョン(Inclusion)は、英語で「受容(受け入れる)」という意味があり、宣言の中では「包摂性」と訳されています。東京大学といえば、受験生にとっては最も「狭き門」というイメージがあります。その東京大学が「受け入れます」と宣言しているのですから、これはどういう意味になるのでしょうか。この部分の宣言にはこうあります「様々な属性や背景を理由に不当に排除されることなく参画の機会があることを保障します」と。無条件に認められる「多様性」に対して、「包摂性」は「不当に排除されない」という扱いになっています。「不当に」の反対は「公正に」ということでしょう。ですから「不当に排除される」ということの反対を「公正に選抜される」ことだと理解すれば、東京大学で学ぶことが無条件で認められるわけではないことが分かりますよね。さらにインクルージョンに関する決定は「一度きりの最終形ではなく、社会や時代の文脈によって不断に問い直され、見直される」とも表明されています。東京大学の真摯な姿勢がうかがわれます。
多様な個性と背景、多彩な才能を持つ人々が集まり、差別や偏見を克服する活気にあふれた「東京大学コミュニティ」をつくりたい、という宣言でもあります。総合大学である東京大学の中では、無数の、そして広範囲の活動が、現在進行形で展開されています。そこに「誰でも学べる」「みんなで学べる」という観点で参加が可能になるような地域に開かれた東京大学の姿を、私も卒業生の一人として、また東京大学に隣接する町会コミュニティにも属している一人として、期待してしまいます!
2023.07.07
飽和状態
「飽和状態」
「日本が経済成長を望んだところで、もはや成長期も終えた段階ですよ。すでに消費者のニーズもサチっちゃってますから、大幅な回復なんてあまり考えられないと思いますが…」と言うのは、かつての教え子君です。現在、東京大学の博士課程に在籍していて、将来は政府系のシンクタンク(政策立案・提言などを行う研究機関)に勤務したいという希望を抱いている青年です。「そこを何とか考えるのが、君の仕事になるんだろうが!」と、小学生の頃から知っているよしみで、私も遠慮せずに話をします。教え子がこうして今でも訪ねてきて、話を聞かせてくれるというのは、本当に教師冥利につきます。「最近の若者の傾向」を知るという意味でも、私にとって有益かつ貴重な時間となっています。
今回の会話の中で「今の20代は、こんな言葉の使い方をするのか」と驚いたのが、この「サチる」という言い回しなのです。「サチる」は「saturation(サチュレーション)」という英語に由来します。その意味は「飽和状態」ということであり、そして「サチる」という用法で「飽和状態になる」ことを表しています。飽和状態というのは「これ以上の余地がないほどに、いっぱいの状態であること」を意味しています。理科の実験を思い出してください。水に食塩を「もうこれ以上溶かすことができない」ところまで溶かしたものを「飽和食塩水」と呼ぶのでしたね。濃度が物理的に限界を迎えた状態です。でも、デジタルネイティブ世代である20代が、理科実験から「サチる」という言葉を使うようになったわけではないでしょう。ネットワークで「サチる」というと、通信するための帯域がいっぱいになったり、データの処理が限界に達してしまったりして、「それ以上速度が出ない」という状態を指すのだそうです。ここから「数値が上限となり、これ以上増やせない」状況全般を「サチる」と言い表すようになったようです。
また、皆さんはこのカタカナの「サチュレーション」を、最近見聞きしませんでしたか?そう「血液中に溶け込んでいる酸素の量」である「血中酸素飽和度」のことを意味していて、「サチュレーションが低下した危険な状態」といった用法で、ニュースでも取り上げられていましたよね。新型コロナウイルス感染症患者の病状を判断する目安として、用いられているものです。指先に装着して血中酸素飽和度を測定できるパルスオキシメーターという機器も注目されましたよね。患者の重症化をいち早く察知することができるからです。
さて、教え子君が語ってくれた日本経済についてです。例えば、現在日本における自動車の普及率は、一世帯あたり一台を超えています。車を必要とする家族のほぼ全てが、自動車を所有している状態であるといえます。ですから、車を買い替えるといった需要はあったとしても、車がどんどん売れて台数が大きく増えるということは考えにくく、「自動車の飽和」を迎えているのが現状なのです。同様に、日本ではほとんどのモノが飽和しており、もはや量的拡大では経済は成長しない、というのが話の流れになります。
ここで「経済」を「学習」に置き換えて、少し考えてみたいと思います。経済と同様に学習も、右肩上がりに成長を続けることが理想ではありますが、「学習曲線」と呼ばれる「練習量」と「理解度(習熟度)」の関係を思い出してみて下さい。学習を開始したばかりの「準備期」には、覚えることがたくさんあって、学習はどんどん進みます。そしてこの「準備期」を経ることで、学習者の「知識の受け皿」が広がり、次から次へと吸収することができているという実感がともなう「発展期」を迎えることになります。周りからも「成長しているね」と見られるのは、この時期にあたるのですね。ところが、「学習曲線」はここからあたかも停滞しているように見える「高原期(グラフが平らになる時期)」を迎えることになります。「これ以上知識を増やせない」と感じてしまう「飽和状態」に陥るのですね。ですがこの「サチった」状態こそ、新たな発展期を迎えるための準備期間として極めて重要になるのです。学習者にとっては、頭打ちのようで伸びを実感しにくくなるのですが、この時期にこそ、「量的」拡大から「質的」理解へと進化する大きな転換が行われているのです。本当の意味での「成果」は、このタイミングで獲得されるのだと言えるでしょう。そして理解の質が高まれば、飽和状態だと思われた知識も、さらに発展的に受容できるようになり、「成長する」スピードまで次第に速くなっていきます。学習曲線では「発展期」というステージを、周期を重ねるように何度も経験していくものなのですよ。
「なるほど。量的な拡大を成長と捉えるだけでなく、質的な豊かさの拡充を成長と見なすのですね。」そうですよ、教え子君。「サチってからが勝負!」という理解で、日本経済の立て直しに向けた新たなビジョンの作成に力を注いで下さいね。
「日本が経済成長を望んだところで、もはや成長期も終えた段階ですよ。すでに消費者のニーズもサチっちゃってますから、大幅な回復なんてあまり考えられないと思いますが…」と言うのは、かつての教え子君です。現在、東京大学の博士課程に在籍していて、将来は政府系のシンクタンク(政策立案・提言などを行う研究機関)に勤務したいという希望を抱いている青年です。「そこを何とか考えるのが、君の仕事になるんだろうが!」と、小学生の頃から知っているよしみで、私も遠慮せずに話をします。教え子がこうして今でも訪ねてきて、話を聞かせてくれるというのは、本当に教師冥利につきます。「最近の若者の傾向」を知るという意味でも、私にとって有益かつ貴重な時間となっています。
今回の会話の中で「今の20代は、こんな言葉の使い方をするのか」と驚いたのが、この「サチる」という言い回しなのです。「サチる」は「saturation(サチュレーション)」という英語に由来します。その意味は「飽和状態」ということであり、そして「サチる」という用法で「飽和状態になる」ことを表しています。飽和状態というのは「これ以上の余地がないほどに、いっぱいの状態であること」を意味しています。理科の実験を思い出してください。水に食塩を「もうこれ以上溶かすことができない」ところまで溶かしたものを「飽和食塩水」と呼ぶのでしたね。濃度が物理的に限界を迎えた状態です。でも、デジタルネイティブ世代である20代が、理科実験から「サチる」という言葉を使うようになったわけではないでしょう。ネットワークで「サチる」というと、通信するための帯域がいっぱいになったり、データの処理が限界に達してしまったりして、「それ以上速度が出ない」という状態を指すのだそうです。ここから「数値が上限となり、これ以上増やせない」状況全般を「サチる」と言い表すようになったようです。
また、皆さんはこのカタカナの「サチュレーション」を、最近見聞きしませんでしたか?そう「血液中に溶け込んでいる酸素の量」である「血中酸素飽和度」のことを意味していて、「サチュレーションが低下した危険な状態」といった用法で、ニュースでも取り上げられていましたよね。新型コロナウイルス感染症患者の病状を判断する目安として、用いられているものです。指先に装着して血中酸素飽和度を測定できるパルスオキシメーターという機器も注目されましたよね。患者の重症化をいち早く察知することができるからです。
さて、教え子君が語ってくれた日本経済についてです。例えば、現在日本における自動車の普及率は、一世帯あたり一台を超えています。車を必要とする家族のほぼ全てが、自動車を所有している状態であるといえます。ですから、車を買い替えるといった需要はあったとしても、車がどんどん売れて台数が大きく増えるということは考えにくく、「自動車の飽和」を迎えているのが現状なのです。同様に、日本ではほとんどのモノが飽和しており、もはや量的拡大では経済は成長しない、というのが話の流れになります。
ここで「経済」を「学習」に置き換えて、少し考えてみたいと思います。経済と同様に学習も、右肩上がりに成長を続けることが理想ではありますが、「学習曲線」と呼ばれる「練習量」と「理解度(習熟度)」の関係を思い出してみて下さい。学習を開始したばかりの「準備期」には、覚えることがたくさんあって、学習はどんどん進みます。そしてこの「準備期」を経ることで、学習者の「知識の受け皿」が広がり、次から次へと吸収することができているという実感がともなう「発展期」を迎えることになります。周りからも「成長しているね」と見られるのは、この時期にあたるのですね。ところが、「学習曲線」はここからあたかも停滞しているように見える「高原期(グラフが平らになる時期)」を迎えることになります。「これ以上知識を増やせない」と感じてしまう「飽和状態」に陥るのですね。ですがこの「サチった」状態こそ、新たな発展期を迎えるための準備期間として極めて重要になるのです。学習者にとっては、頭打ちのようで伸びを実感しにくくなるのですが、この時期にこそ、「量的」拡大から「質的」理解へと進化する大きな転換が行われているのです。本当の意味での「成果」は、このタイミングで獲得されるのだと言えるでしょう。そして理解の質が高まれば、飽和状態だと思われた知識も、さらに発展的に受容できるようになり、「成長する」スピードまで次第に速くなっていきます。学習曲線では「発展期」というステージを、周期を重ねるように何度も経験していくものなのですよ。
「なるほど。量的な拡大を成長と捉えるだけでなく、質的な豊かさの拡充を成長と見なすのですね。」そうですよ、教え子君。「サチってからが勝負!」という理解で、日本経済の立て直しに向けた新たなビジョンの作成に力を注いで下さいね。
2023.06.07
神出鬼没
「神出鬼没」
「前ぶれもなく突然現れたり、急に消えたりすること」を意味する四字熟語ですね。「しんしゅつきぼつ」と読みますよ。「神のように現れたり、鬼のように消えたりする」というのが、文字通りの意味になりますね。「神」や「鬼」というのは、その所在を確認することが難しいという対象であり、当然その「出没」についても、全く予測がつかないということになります。神様や鬼が登場する日本の昔話が元になっている言葉なのでしょうか?実は日本ではなく、中国の古典に由来する言葉だと言われています。それは『淮南子(えなんじ)』という思想書です。「塞翁が馬」(「人生の運・不運は予測できないものだ」という意味の故事成語)の出典として、聞き覚えのある人もいるでしょう。紀元前の二世紀、前漢の武帝の時代に編纂され、政治や兵学、天文や地理にいたるまで、内容は「百科全書」的なバラエティーに富んだものです。その中の、戦いの策略について述べられた「兵略訓」に「神出鬼行(=神出鬼没)」という言葉が登場してきます。漢文を日本語訳してみると次のようになります。「用兵に長けている者の行動は、神出鬼没である。星が輝くように、天がめぐるように、一挙一動は、前触れもなく、傷跡も残さない。動き出す様は疾風の如く、駆け抜ける様は稲妻の如くである」と。迅速な行動こそが肝要である!と強調しているのですね。
「神出鬼没」と聞くと、私は子どもの頃に観たアニメを思い出します。「神出鬼没の大泥棒!」というセリフとともに、今で言うとグローバルに活躍?する主人公のお話です。世界中の警察が彼を逮捕しようとして血眼になっている、という設定でした。「神出鬼没」も、「血眼」という表現も、このアニメで初めて耳にしたように思います。それを今でも覚えているのですから、「最初の出会い」と言いますか「ファーストインプレッション」は、やはり大事なのだと思いますね。「かっこいいセリフだな」と、子ども心に憧れた感情とともに記憶がよみがえりますから。
これを現在の世界にあてはめると、「グローバルに活躍していて」、その作品を「皆が血眼になって探している」という条件にぴったりと当てはまるアーティストが思い浮かびます。名前を、バンクシー(Banksi)と言います。イギリスを拠点とする素性不明の「路上芸術家」で、もちろん生年月日も未公表の人物です。世界中のストリート、壁、橋などを舞台に、まさに「神出鬼没」の活動を行っています。最近では、ロシアの侵攻が続くウクライナの首都キーウで作品が発表されましたよね。「柔道着姿の相手を投げ飛ばす小さな男の子」が描かれた壁を、ニュースで見た人も多いのではないでしょうか。
ところで「壁に絵を描く」という行為は、人類の芸術の起源だと言えるのではないでしょうか。思い出してください、クロマニョン人と呼ばれる現生人類(ホモ・サピエンス)による「ラスコーの壁画」を。歴史の教科書にも載っていましたよね。フランスのラスコー洞窟で発見された野生動物の絵になります。鋭い観察眼に基づいた表現が駆使され、まるで生きているかのような躍動感に満ちた「作品」ですよね。今から約二万年前に描かれたものだとは思えないほどです。もちろん世界遺産にも登録されていますからね。
さて、「神出鬼没」のバンクシーです。実は東京でも、その作品が発見されているのをご存知でしょうか。2019年1月、東京都港区の東京臨海新交通臨海線(通称「ゆりかもめ」)の日の出駅近くの防潮扉で「1匹のネズミの絵」が見つかりました。トランクケースを持ったネズミが傘を差して、どこか旅行にでもでかけようとする姿を描いた小さな絵になります。実は以前からその場所に描かれていたようなのですが、「1月17日」に突然話題となったのでした。きっかけは、その日に投稿された、小池百合子東京都知事の写真入りのツイッターです。「あのバンクシーの作品かもしれないカワイイねずみの絵が都内にありました!東京への贈り物かも?カバンを持っているようです。」この「つぶやき」を機に、一挙にマスコミの話題となったのでした。
「本当にバンクシーによる作品なのか?」という検証もすすめられました。現時点でも真贋は確定されていないようですが、「おそらく間違いない」という判断です。というのも、バンクシー自身が編集に関わった初期の作品集『Wall and Piece』の中に、この作品の写真が掲載されているからです。「東京2003」とキャプション(写真の説明のための文字情報)もつけられています。東京都のホームページには「公共物への落書きは決して容認できるものではありませんが」と前置きしたうえで、「地元の方々からは…多くの都民が見学できるようにして欲しい旨の要望があり、日の出ふ頭の賑わい向上にも資することから、絵の描かれた防潮扉が設置されていた場所に近い同ふ頭において展示することとしました。」とあります。現在も、日の出ふ頭2号船客待合所で常設展示されていますよ。皆さんも機会があれば、「神出鬼没」の芸術作品を目の当たりにしてみませんか!
「前ぶれもなく突然現れたり、急に消えたりすること」を意味する四字熟語ですね。「しんしゅつきぼつ」と読みますよ。「神のように現れたり、鬼のように消えたりする」というのが、文字通りの意味になりますね。「神」や「鬼」というのは、その所在を確認することが難しいという対象であり、当然その「出没」についても、全く予測がつかないということになります。神様や鬼が登場する日本の昔話が元になっている言葉なのでしょうか?実は日本ではなく、中国の古典に由来する言葉だと言われています。それは『淮南子(えなんじ)』という思想書です。「塞翁が馬」(「人生の運・不運は予測できないものだ」という意味の故事成語)の出典として、聞き覚えのある人もいるでしょう。紀元前の二世紀、前漢の武帝の時代に編纂され、政治や兵学、天文や地理にいたるまで、内容は「百科全書」的なバラエティーに富んだものです。その中の、戦いの策略について述べられた「兵略訓」に「神出鬼行(=神出鬼没)」という言葉が登場してきます。漢文を日本語訳してみると次のようになります。「用兵に長けている者の行動は、神出鬼没である。星が輝くように、天がめぐるように、一挙一動は、前触れもなく、傷跡も残さない。動き出す様は疾風の如く、駆け抜ける様は稲妻の如くである」と。迅速な行動こそが肝要である!と強調しているのですね。
「神出鬼没」と聞くと、私は子どもの頃に観たアニメを思い出します。「神出鬼没の大泥棒!」というセリフとともに、今で言うとグローバルに活躍?する主人公のお話です。世界中の警察が彼を逮捕しようとして血眼になっている、という設定でした。「神出鬼没」も、「血眼」という表現も、このアニメで初めて耳にしたように思います。それを今でも覚えているのですから、「最初の出会い」と言いますか「ファーストインプレッション」は、やはり大事なのだと思いますね。「かっこいいセリフだな」と、子ども心に憧れた感情とともに記憶がよみがえりますから。
これを現在の世界にあてはめると、「グローバルに活躍していて」、その作品を「皆が血眼になって探している」という条件にぴったりと当てはまるアーティストが思い浮かびます。名前を、バンクシー(Banksi)と言います。イギリスを拠点とする素性不明の「路上芸術家」で、もちろん生年月日も未公表の人物です。世界中のストリート、壁、橋などを舞台に、まさに「神出鬼没」の活動を行っています。最近では、ロシアの侵攻が続くウクライナの首都キーウで作品が発表されましたよね。「柔道着姿の相手を投げ飛ばす小さな男の子」が描かれた壁を、ニュースで見た人も多いのではないでしょうか。
ところで「壁に絵を描く」という行為は、人類の芸術の起源だと言えるのではないでしょうか。思い出してください、クロマニョン人と呼ばれる現生人類(ホモ・サピエンス)による「ラスコーの壁画」を。歴史の教科書にも載っていましたよね。フランスのラスコー洞窟で発見された野生動物の絵になります。鋭い観察眼に基づいた表現が駆使され、まるで生きているかのような躍動感に満ちた「作品」ですよね。今から約二万年前に描かれたものだとは思えないほどです。もちろん世界遺産にも登録されていますからね。
さて、「神出鬼没」のバンクシーです。実は東京でも、その作品が発見されているのをご存知でしょうか。2019年1月、東京都港区の東京臨海新交通臨海線(通称「ゆりかもめ」)の日の出駅近くの防潮扉で「1匹のネズミの絵」が見つかりました。トランクケースを持ったネズミが傘を差して、どこか旅行にでもでかけようとする姿を描いた小さな絵になります。実は以前からその場所に描かれていたようなのですが、「1月17日」に突然話題となったのでした。きっかけは、その日に投稿された、小池百合子東京都知事の写真入りのツイッターです。「あのバンクシーの作品かもしれないカワイイねずみの絵が都内にありました!東京への贈り物かも?カバンを持っているようです。」この「つぶやき」を機に、一挙にマスコミの話題となったのでした。
「本当にバンクシーによる作品なのか?」という検証もすすめられました。現時点でも真贋は確定されていないようですが、「おそらく間違いない」という判断です。というのも、バンクシー自身が編集に関わった初期の作品集『Wall and Piece』の中に、この作品の写真が掲載されているからです。「東京2003」とキャプション(写真の説明のための文字情報)もつけられています。東京都のホームページには「公共物への落書きは決して容認できるものではありませんが」と前置きしたうえで、「地元の方々からは…多くの都民が見学できるようにして欲しい旨の要望があり、日の出ふ頭の賑わい向上にも資することから、絵の描かれた防潮扉が設置されていた場所に近い同ふ頭において展示することとしました。」とあります。現在も、日の出ふ頭2号船客待合所で常設展示されていますよ。皆さんも機会があれば、「神出鬼没」の芸術作品を目の当たりにしてみませんか!
2023.05.22
長寿命化
「長寿命化」
中学校PTAの皆さんと懇談をする機会がありました。中学生のお子さんを抱えている保護者の皆さんですから、「子育て」のキャリアも優に十年は超えていらっしゃいます。お話を進めていると「体に無理が利かなくなってきましたよ」といった、お互いの年齢に相応した話題が、ちらほらと出てくるのです。「関節の可動域がどんどん狭まってきましたよね」(いわゆる「四十肩・五十肩」という症状です。)だとか、「いくら寝ても疲れが取れませんよね」(いわゆる「慢性疲労」という症状です。)だといった、体調をめぐって「いつもどこかがよくない」という話で盛り上がったりしてしまうのです。「腰が痛い」というのも「胃がもたれる」というのも、それはもう日常茶飯事なのです。ですからCMでも毎日流れてくるのが「痛みに効く」だったり「すっきり爽快」などといったフレーズですよね。世の中にはどれほど不具合を抱えている大人が多いのか、中学生の皆さんにも分かるというものでしょう。
それでも大人は、「老朽化」などないかのように、日々仕事をこなしています。もちろん深刻な症状が出てからでは遅いので、健康状態には気をつけているということは大前提です。その上で、体調には波があり、毎日が常にベストの状態であるということは、そもそも「有難い」(めったにない)ことなのだと大人は知っているのです。仕事に関してもそうです。常に順調で何のトラブルもない、ということの方がむしろ例外的なのだと知っています。うまくいくこともありますが、思うようにならないことが次々と続いて、ひっきりなしに調整することを余儀なくされたりするものです。でもそれが普通なのです。人間の行動には、ある意味「不具合」が生じてしまうものだ、という認識が必要なのです。それを「不具合をおそれて行動をおこさない」という判断をしてしまうのは、本末転倒というべきです。たとえ不具合がおきたとしても、「タイミングよく問題が顕在化した」と捉えて、どう対処すればよいかを考えて前進した方がより現実的なのですね。
ところがこの処世術(社会をうまく生きていくためのスキル)めいた大人の行動様式に「反発」や「軽蔑」を感じてしまうのが、思春期真っ盛りの中学生なのですね。「こうあるべきだ」という理想を掲げて行動をおこしたのに、それにそぐわない事態が生じてしまうと、「それならば行動すべきではない」という判断を下してしまうという傾向ですね。もっと日常的な例で言うと、「思ったようにできないならば、やらないほうがましだ!」と考えてしまうわけです。大人であれば「妥協しながらでも続けることに意義がある」と思うのですが、「全てをリセット」したほうが潔いと考えるのです。「ゼロから作り直そう!」と。確かにこの「スクラップ・アンド・ビルド」(解体と構築)という行動様式は、青春時代の特権ともいえます。「続けることに意味がある」などという大人の常識にとらわれず、「解体しては構築し直す」という発想で、次々と新しいことにチャレンジしていくことも、「自分のやり方」を確立するまでは、とても重要になるからです。長い間の取り組みを通じて既に形骸化してしまったといえるものでも、大胆にスクラップすることが難しくなるのが大人の立場の弱点ですから。
しかし、では何でも「スクラップ・アンド・ビルド」で!ということになるかというと、もちろんそうではありません。身近な話を紹介しましょう。皆さんが通っている学校の話です。日本の多くの学校施設は、昭和の時代、とりわけ人口増加と都市化の進展した「高度経済成長期」に、盛んに建てられてきました。当時は「建設ラッシュ」とも呼ばれていましたよ。それから50年を経て、学校施設では老朽化対策が大きな課題となっています。しかも「では取り壊して、新しく作り直せばいい」という単純な話にはならないのです。近年、環境保全の観点から様々な分野で「SDGs」がスローガンとして掲げられており、「持続可能性」が追求されています。建設の分野も例外ではありません。既存の建物をメンテナンスしながら永続的に使い続けるという取り組みが実施されています。これが「建て替え」ではない「長寿命化」の考え方です。施設は経年により老朽化します。これは避けられないことです。また、施設に求められる機能も時代とともに変化します。状況に応じた組み換えは必須になります。そうした中で、老朽化した施設を将来にわたって長く使い続けるため、単に物理的な不具合を直すだけではなく、建物の機能や性能を現在の学校が求められている水準にまで引き上げることを「長寿命化」改修と呼ぶのです。
学校施設は未来を担う子供たちが集い、生き生きと学び、生活をする場です。また地域住民にとっては、非常災害時には避難生活のよりどころとしての重要な役割を果たします。文部科学省では「長寿命化」を推進するため、長寿命化改修の事例集や計画策定のマニュアルなどを公表しています。単なる補修や改修ではなく、長寿命化と同時に時代の進展に応じた施設の改善が可能になるのだと、積極的に後押ししていますよ。アクティブ・ラーニングなどの学習形態の多様化に対応した多目的スペースを整備したり、バリアフリー化を図ったり、子どもたちに不人気のトイレ環境を改善したりと、さまざまな工夫を取れ入れている自治体が事例集では紹介されていますよ。
中学校PTAの皆さんと懇談をする機会がありました。中学生のお子さんを抱えている保護者の皆さんですから、「子育て」のキャリアも優に十年は超えていらっしゃいます。お話を進めていると「体に無理が利かなくなってきましたよ」といった、お互いの年齢に相応した話題が、ちらほらと出てくるのです。「関節の可動域がどんどん狭まってきましたよね」(いわゆる「四十肩・五十肩」という症状です。)だとか、「いくら寝ても疲れが取れませんよね」(いわゆる「慢性疲労」という症状です。)だといった、体調をめぐって「いつもどこかがよくない」という話で盛り上がったりしてしまうのです。「腰が痛い」というのも「胃がもたれる」というのも、それはもう日常茶飯事なのです。ですからCMでも毎日流れてくるのが「痛みに効く」だったり「すっきり爽快」などといったフレーズですよね。世の中にはどれほど不具合を抱えている大人が多いのか、中学生の皆さんにも分かるというものでしょう。
それでも大人は、「老朽化」などないかのように、日々仕事をこなしています。もちろん深刻な症状が出てからでは遅いので、健康状態には気をつけているということは大前提です。その上で、体調には波があり、毎日が常にベストの状態であるということは、そもそも「有難い」(めったにない)ことなのだと大人は知っているのです。仕事に関してもそうです。常に順調で何のトラブルもない、ということの方がむしろ例外的なのだと知っています。うまくいくこともありますが、思うようにならないことが次々と続いて、ひっきりなしに調整することを余儀なくされたりするものです。でもそれが普通なのです。人間の行動には、ある意味「不具合」が生じてしまうものだ、という認識が必要なのです。それを「不具合をおそれて行動をおこさない」という判断をしてしまうのは、本末転倒というべきです。たとえ不具合がおきたとしても、「タイミングよく問題が顕在化した」と捉えて、どう対処すればよいかを考えて前進した方がより現実的なのですね。
ところがこの処世術(社会をうまく生きていくためのスキル)めいた大人の行動様式に「反発」や「軽蔑」を感じてしまうのが、思春期真っ盛りの中学生なのですね。「こうあるべきだ」という理想を掲げて行動をおこしたのに、それにそぐわない事態が生じてしまうと、「それならば行動すべきではない」という判断を下してしまうという傾向ですね。もっと日常的な例で言うと、「思ったようにできないならば、やらないほうがましだ!」と考えてしまうわけです。大人であれば「妥協しながらでも続けることに意義がある」と思うのですが、「全てをリセット」したほうが潔いと考えるのです。「ゼロから作り直そう!」と。確かにこの「スクラップ・アンド・ビルド」(解体と構築)という行動様式は、青春時代の特権ともいえます。「続けることに意味がある」などという大人の常識にとらわれず、「解体しては構築し直す」という発想で、次々と新しいことにチャレンジしていくことも、「自分のやり方」を確立するまでは、とても重要になるからです。長い間の取り組みを通じて既に形骸化してしまったといえるものでも、大胆にスクラップすることが難しくなるのが大人の立場の弱点ですから。
しかし、では何でも「スクラップ・アンド・ビルド」で!ということになるかというと、もちろんそうではありません。身近な話を紹介しましょう。皆さんが通っている学校の話です。日本の多くの学校施設は、昭和の時代、とりわけ人口増加と都市化の進展した「高度経済成長期」に、盛んに建てられてきました。当時は「建設ラッシュ」とも呼ばれていましたよ。それから50年を経て、学校施設では老朽化対策が大きな課題となっています。しかも「では取り壊して、新しく作り直せばいい」という単純な話にはならないのです。近年、環境保全の観点から様々な分野で「SDGs」がスローガンとして掲げられており、「持続可能性」が追求されています。建設の分野も例外ではありません。既存の建物をメンテナンスしながら永続的に使い続けるという取り組みが実施されています。これが「建て替え」ではない「長寿命化」の考え方です。施設は経年により老朽化します。これは避けられないことです。また、施設に求められる機能も時代とともに変化します。状況に応じた組み換えは必須になります。そうした中で、老朽化した施設を将来にわたって長く使い続けるため、単に物理的な不具合を直すだけではなく、建物の機能や性能を現在の学校が求められている水準にまで引き上げることを「長寿命化」改修と呼ぶのです。
学校施設は未来を担う子供たちが集い、生き生きと学び、生活をする場です。また地域住民にとっては、非常災害時には避難生活のよりどころとしての重要な役割を果たします。文部科学省では「長寿命化」を推進するため、長寿命化改修の事例集や計画策定のマニュアルなどを公表しています。単なる補修や改修ではなく、長寿命化と同時に時代の進展に応じた施設の改善が可能になるのだと、積極的に後押ししていますよ。アクティブ・ラーニングなどの学習形態の多様化に対応した多目的スペースを整備したり、バリアフリー化を図ったり、子どもたちに不人気のトイレ環境を改善したりと、さまざまな工夫を取れ入れている自治体が事例集では紹介されていますよ。
2023.04.15
マグマ温泉条例
鹿児島県鹿児島市「マグマ温泉条例」
今回紹介するのは鹿児島県鹿児島市で制定された条例です。鹿児島市は九州の南端部近く、福岡市から南へ約280km、熊本市から南へ約180kmの場所に位置しています。福岡市の博多駅を出て、熊本市の熊本駅を通り、鹿児島市の鹿児島中央駅に至る、九州新幹線の路線をイメージしてくださいね。(ちなみに昨年9月に開業したのは長崎を走る「西九州新幹線」ですよ。)鹿児島県内の薩摩半島の北東部および桜島全域を市域としている鹿児島市は、日本百景の一つである鹿児島湾(錦江湾)を有し、湾内には活火山である桜島を擁しています。年間約1000万人(コロナ前の令和1年)の観光客が訪れる観光都市でもあるのです。鹿児島湾西岸の市街地から桜島を望む景観が、イタリアのナポリからヴェスヴィオ火山を望む風景に似ていることから、「東洋のナポリ」と称されていますよ。実際、鹿児島市とナポリ市は姉妹都市盟約の宣言も行っているのです。
ところでこの「東洋の○○」という表現ですが、社会の勉強をしていると、しばしば目にしますよね。少し確認してみましょうか!
まず「東洋のマンチェスター」といえば、どこでしょうか?マンチェスターというのは、産業革命によって発展を遂げたイギリスを代表する商工業都市です。サッカーの強豪クラブチームがあることでも有名ですよね。そのマンチェスターに比肩する大都市として、明治・大正・昭和にわたり、紡績や造船など大規模な工場が建設され、人口も大正末期には東京を抜いて日本最大となったこともある、大阪のことをそう呼ぶのでしたね。「天下の台所」から「東洋のマンチェスター」へ、というのが大阪のキャッチフレーズになります。
では「東洋のルソー」と呼ばれた人物はご存知でしょうか?ルソーというのは、フランス革命の精神的な支柱ともなり、その後の民主政治に大きな影響を与えた思想家です。『社会契約論』を著した政治哲学者でもあります。この『社会契約論』を翻訳し、日本にルソーを紹介したのが、自由民権運動の理論的指導者とも言える「東洋のルソー」中江兆民なのです。1881年には西園寺公望と共に「東洋自由新聞」を創刊し、民権思想の普及に筆を振るいました。1890年に実施された第1回衆議院議員総選挙における当選者の一人でもありますよ。
さて「東洋のガラパゴス」と称されているのは、どこでしょうか?ガラパゴス諸島は赤道直下の太平洋上に浮かぶ大小の島々からなる火山群島です。エクアドル本土から約1000km西に離れ、ガラパゴスゾウガメなど独特な進化を遂げた固有種が多いことで有名です。同じように、東京から南へ約1000km離れた場所に30余りの島々が浮かぶのが小笠原諸島ですよね。大陸とつながったことのない海洋諸島であることから、独自の生態系を形作っていて「東洋のガラパゴス」と呼ばれているのです。世界自然遺産にも登録されましたね。
他にも「東洋の○○」は多々あるのですが…、誌面の都合上今回はここまでとします。皆さんもぜひ調べてみてください!
さてさて、鹿児島市についてでした。百万石の「一番大名」である加賀藩の前田家に次いで、「天下第二の雄藩」と呼ばれた薩摩藩の島津家の城下町として栄えてきました。薩摩藩といえば、鎖国下の江戸時代においても「四つの窓口」の一つとして、琉球王国との貿易を行い、世界の情報も手に入れていましたよ。「四つの窓口」とは「長崎・対馬・薩摩・松前」ですよね。それぞれの交易先は「オランダと清・朝鮮・琉球・アイヌ」になりますよ。江戸時代以前から鹿児島では、大陸や南洋諸島に近いという地理的条件から、琉球を中継地とした貿易が活発に行われていました。大陸文化やヨーロッパ文化の門戸になっていたのです。だからこそ、1549年にフランシスコ・ザビエルが、ここに上陸し、日本初のキリスト教伝来の地となったのですよ。
市域の中心部から直線距離にして約4kmに位置する桜島は、現在も活発な火山活動を続けていて、鹿児島のニュースでは降灰予報が流されています。活火山を抱えながら、これだけの人口規模を有する都市は世界的にも稀だと言えます。首相官邸のホームページには「現在、我が国には111の活火山があり、世界でも有数の火山国で、桜島等の複数の火山で噴火が発生しています」という記述があるほどです。ちなみに活火山の数が一番多い都道府県は東京都で、21を数えます(伊豆・小笠原諸島にありますよ)。桜島の噴火による大量の降灰や噴石による被害を契機に制定されたのが「活動火山対策特別措置法」(略称は「活火山法」です)になります。近年の御嶽山噴火を受けて法改正がなされ、「登山者」についての規定が定められたことは記憶に新しいところです。
そんな桜島と結びつきの強い鹿児島市で制定されたのが「鹿児島市桜島マグマ温泉条例」です。ネーミングのインパクトはすごいですが、市民の健康と福祉を増進するために設置された「公の施設」についての条例です。「公の施設」というのは地方自治法に規定があり、図書館や体育館や公園など一般住民の利用を念頭においた施設のことです。市庁舎などは「公共施設」ではありますが、「公の施設」ではないことに注意して下さいね。「桜島マグマ温泉」は住民のための温泉施設です。そしてその管理を「指定管理者」に行わせるために制定されたのが、この条例です。指定管理者制度といって、公の施設をノウハウのある民間事業者等に管理してもらう制度になります。地方自治法に「公の施設の設置及びその管理に関する事項は、条例でこれを定めなければならない」とあることから、鹿児島市が条例提案したのですよ。
今回紹介するのは鹿児島県鹿児島市で制定された条例です。鹿児島市は九州の南端部近く、福岡市から南へ約280km、熊本市から南へ約180kmの場所に位置しています。福岡市の博多駅を出て、熊本市の熊本駅を通り、鹿児島市の鹿児島中央駅に至る、九州新幹線の路線をイメージしてくださいね。(ちなみに昨年9月に開業したのは長崎を走る「西九州新幹線」ですよ。)鹿児島県内の薩摩半島の北東部および桜島全域を市域としている鹿児島市は、日本百景の一つである鹿児島湾(錦江湾)を有し、湾内には活火山である桜島を擁しています。年間約1000万人(コロナ前の令和1年)の観光客が訪れる観光都市でもあるのです。鹿児島湾西岸の市街地から桜島を望む景観が、イタリアのナポリからヴェスヴィオ火山を望む風景に似ていることから、「東洋のナポリ」と称されていますよ。実際、鹿児島市とナポリ市は姉妹都市盟約の宣言も行っているのです。
ところでこの「東洋の○○」という表現ですが、社会の勉強をしていると、しばしば目にしますよね。少し確認してみましょうか!
まず「東洋のマンチェスター」といえば、どこでしょうか?マンチェスターというのは、産業革命によって発展を遂げたイギリスを代表する商工業都市です。サッカーの強豪クラブチームがあることでも有名ですよね。そのマンチェスターに比肩する大都市として、明治・大正・昭和にわたり、紡績や造船など大規模な工場が建設され、人口も大正末期には東京を抜いて日本最大となったこともある、大阪のことをそう呼ぶのでしたね。「天下の台所」から「東洋のマンチェスター」へ、というのが大阪のキャッチフレーズになります。
では「東洋のルソー」と呼ばれた人物はご存知でしょうか?ルソーというのは、フランス革命の精神的な支柱ともなり、その後の民主政治に大きな影響を与えた思想家です。『社会契約論』を著した政治哲学者でもあります。この『社会契約論』を翻訳し、日本にルソーを紹介したのが、自由民権運動の理論的指導者とも言える「東洋のルソー」中江兆民なのです。1881年には西園寺公望と共に「東洋自由新聞」を創刊し、民権思想の普及に筆を振るいました。1890年に実施された第1回衆議院議員総選挙における当選者の一人でもありますよ。
さて「東洋のガラパゴス」と称されているのは、どこでしょうか?ガラパゴス諸島は赤道直下の太平洋上に浮かぶ大小の島々からなる火山群島です。エクアドル本土から約1000km西に離れ、ガラパゴスゾウガメなど独特な進化を遂げた固有種が多いことで有名です。同じように、東京から南へ約1000km離れた場所に30余りの島々が浮かぶのが小笠原諸島ですよね。大陸とつながったことのない海洋諸島であることから、独自の生態系を形作っていて「東洋のガラパゴス」と呼ばれているのです。世界自然遺産にも登録されましたね。
他にも「東洋の○○」は多々あるのですが…、誌面の都合上今回はここまでとします。皆さんもぜひ調べてみてください!
さてさて、鹿児島市についてでした。百万石の「一番大名」である加賀藩の前田家に次いで、「天下第二の雄藩」と呼ばれた薩摩藩の島津家の城下町として栄えてきました。薩摩藩といえば、鎖国下の江戸時代においても「四つの窓口」の一つとして、琉球王国との貿易を行い、世界の情報も手に入れていましたよ。「四つの窓口」とは「長崎・対馬・薩摩・松前」ですよね。それぞれの交易先は「オランダと清・朝鮮・琉球・アイヌ」になりますよ。江戸時代以前から鹿児島では、大陸や南洋諸島に近いという地理的条件から、琉球を中継地とした貿易が活発に行われていました。大陸文化やヨーロッパ文化の門戸になっていたのです。だからこそ、1549年にフランシスコ・ザビエルが、ここに上陸し、日本初のキリスト教伝来の地となったのですよ。
市域の中心部から直線距離にして約4kmに位置する桜島は、現在も活発な火山活動を続けていて、鹿児島のニュースでは降灰予報が流されています。活火山を抱えながら、これだけの人口規模を有する都市は世界的にも稀だと言えます。首相官邸のホームページには「現在、我が国には111の活火山があり、世界でも有数の火山国で、桜島等の複数の火山で噴火が発生しています」という記述があるほどです。ちなみに活火山の数が一番多い都道府県は東京都で、21を数えます(伊豆・小笠原諸島にありますよ)。桜島の噴火による大量の降灰や噴石による被害を契機に制定されたのが「活動火山対策特別措置法」(略称は「活火山法」です)になります。近年の御嶽山噴火を受けて法改正がなされ、「登山者」についての規定が定められたことは記憶に新しいところです。
そんな桜島と結びつきの強い鹿児島市で制定されたのが「鹿児島市桜島マグマ温泉条例」です。ネーミングのインパクトはすごいですが、市民の健康と福祉を増進するために設置された「公の施設」についての条例です。「公の施設」というのは地方自治法に規定があり、図書館や体育館や公園など一般住民の利用を念頭においた施設のことです。市庁舎などは「公共施設」ではありますが、「公の施設」ではないことに注意して下さいね。「桜島マグマ温泉」は住民のための温泉施設です。そしてその管理を「指定管理者」に行わせるために制定されたのが、この条例です。指定管理者制度といって、公の施設をノウハウのある民間事業者等に管理してもらう制度になります。地方自治法に「公の施設の設置及びその管理に関する事項は、条例でこれを定めなければならない」とあることから、鹿児島市が条例提案したのですよ。
2023.04.12
納豆条例
茨城県水戸市「納豆条例」
今回紹介するのは茨城県水戸市で制定された条例です。水戸市は「首都東京から北東へ約100km」と説明されることがありますね。「東京から」といった場合、「起点」をどこに設定するのか?で、「距離」が変わることがあります。道路について考えるならば日本橋を出発点としますし、鉄道の場合は東京駅(丸の内)を始発とするでしょう。行政単位でいうならば都庁がある新宿を起点とすることになります。それでも「約100km圏内」というスケールになった場合には、東京駅から新宿駅までの直線距離が約6kmですから、その中ほどにある四ツ谷駅を中心として半径100kmの円を描いてみたとしても「誤差の範囲内」としてさほど気にならないのではないでしょうか(笑)。むしろ「だいたい100km」という感覚で地図をながめてみると「面白い発見」がありますよ。水戸市が北東に100kmだとすれば、そこから時計回りに、東には銚子市が、南西には沼津市が、西には甲府市が、北西には前橋市が、北には宇都宮市が並んでいることがわかります。南東と南に都市がないのは太平洋上だからですよ。100kmという距離は「車や電車を使って2時間程で到着できる」という意味があり、通勤や通学の限界地点ともなりますし、それは「日帰り旅行」にも当てはまる距離になるのです。北東と南西でちょうど反対の位置になる水戸市と沼津市とでは「約200km」離れていることになりますから。地図帳で確認してみてくださいね。
さて水戸市は茨城県の県庁所在地で人口も最大(約27万人)の都市です。そんな水戸市の公認マスコットキャラクターをご存知でしょうか?「みとちゃん」という名前の「ご当地キャラ」ですよ。シティセールス(観光情報の発信)に励むレディという設定になっています。納豆をイメージしたかぶりものと梅の髪飾りをつけ、水戸黄門さまでおなじみの衣装をまとって印籠も持っています。「水戸市の特徴がぎゅっと詰まった」と紹介されているのです。ちなみにテレビに登場して人気の高い「ねば~る君」は、納豆の妖精という設定の「茨城県非公認キャラクター」ですからね。それでも茨城県警から「いばらき安全・安心アンバサダー(大使)」に任命されましたよ。ねば~る君に言わせると「県警は懐が深いねば〜。次は県の公認も狙うねば〜」だそうです。
それでは「みとちゃん」に表現されている「水戸市の特徴」を見ていきましょう。「納豆をイメージしたかぶりもの」ですが、藁(わら)の束の両端を糸で縛って作られる「藁苞(わらづと)」の形をしていますよ。茨城県は納豆生産量日本一を誇りますからね。JR水戸駅の南出口には、この藁苞に入れた納豆をかたどった「水戸の納豆記念碑」が立っています。本当に「藁に包まれた納豆が立った状態の像」なのですよ。「水戸の納豆の由来」というプレートも表示されています。そこには「源義家が後三年の役(1083年)のとき、奥州に向かう途中、水戸市渡里町の一盛長者の屋敷に泊まったおりに馬の飼料である煮豆の残りから納豆ができたという伝説があります。水戸納豆が有名になったのは明治時代水戸駅のホームで土産として販売されるようになってからです。戦後は全国で茨城の納豆が販売されるようになりました。」と、説明があります。
続いて「梅の髪飾り」ですが、これは約3000本の梅が植えられていて「水戸の梅まつり」の開催で有名な、偕楽園(かいらくえん)にちなんだものです。石川県金沢市の兼六園、岡山県岡山市の後楽園とあわせて「日本三名園」と呼ばれていますよ。広大な庭園には約100品種もの様々な梅が集められていて、「早咲き・中咲き・遅咲き」と長い期間にわたって観梅を楽しめるように工夫されているのです。
最後に「水戸黄門さま」ですが、第2代水戸藩主徳川光圀のことですよね。天下を治めた徳川家康は、水戸が東北地方の外様大名からの脅威を阻むには絶好の地であると判断し、自分の末っ子で11男!の頼房を封じました。そこから御三家である水戸徳川家がスタートしたのです。以降、明治4年(1871年)の廃藩置県まで、頼房の子孫が代々水戸藩主を務めることになりました。なかでも2代藩主の徳川光圀は、中国の「史記」にならって日本の歴史を編纂(さん)しようと決意しました。全国から優れた学者を招き自ら監修にもあたったのが『大日本史』ですね。明暦3年(1657年)のことでした。それから水戸藩の事業として約250年にわたって継続され、完成したのは明治39年(1906年)ですからね!「水戸学」と呼ばれる学風は、近世日本の文化にも大きな影響を与えましたよ。ところで光圀が「黄門さま」と呼ばれているのは、官職である中納言の異名が「黄門」だったからですね。
そんな水戸市で制定されたのが「納豆条例」です。正式には「水戸市納豆の消費拡大に関する条例」になります。令和4年の6月に議員提出議案として条例提案されました。「この条例は…納豆の積極的な消費拡大を図ることで、市内産業の活性化及び市民の健康の増進に寄与することを目的とする。」とあります。そして目玉となるのが「納豆の日の制定」です。「納豆の日は7月10日とする。」と明記されていますよ。
むかえた令和4年の7月10日には「日本初!納豆の日条例はっこう(発行×発酵)記念イベント」が開催されました。納豆を1分間菜箸で混ぜる回数を競う「納豆まぜまぜ世界選手権 水戸大会」では、180回を記録した市内在住の小学6年生が優勝したそうですよ。「みとちゃん」も条例可決を受けて、「納豆をみんなにたくさん食べてほしい」とアピールしたということです。
今回紹介するのは茨城県水戸市で制定された条例です。水戸市は「首都東京から北東へ約100km」と説明されることがありますね。「東京から」といった場合、「起点」をどこに設定するのか?で、「距離」が変わることがあります。道路について考えるならば日本橋を出発点としますし、鉄道の場合は東京駅(丸の内)を始発とするでしょう。行政単位でいうならば都庁がある新宿を起点とすることになります。それでも「約100km圏内」というスケールになった場合には、東京駅から新宿駅までの直線距離が約6kmですから、その中ほどにある四ツ谷駅を中心として半径100kmの円を描いてみたとしても「誤差の範囲内」としてさほど気にならないのではないでしょうか(笑)。むしろ「だいたい100km」という感覚で地図をながめてみると「面白い発見」がありますよ。水戸市が北東に100kmだとすれば、そこから時計回りに、東には銚子市が、南西には沼津市が、西には甲府市が、北西には前橋市が、北には宇都宮市が並んでいることがわかります。南東と南に都市がないのは太平洋上だからですよ。100kmという距離は「車や電車を使って2時間程で到着できる」という意味があり、通勤や通学の限界地点ともなりますし、それは「日帰り旅行」にも当てはまる距離になるのです。北東と南西でちょうど反対の位置になる水戸市と沼津市とでは「約200km」離れていることになりますから。地図帳で確認してみてくださいね。
さて水戸市は茨城県の県庁所在地で人口も最大(約27万人)の都市です。そんな水戸市の公認マスコットキャラクターをご存知でしょうか?「みとちゃん」という名前の「ご当地キャラ」ですよ。シティセールス(観光情報の発信)に励むレディという設定になっています。納豆をイメージしたかぶりものと梅の髪飾りをつけ、水戸黄門さまでおなじみの衣装をまとって印籠も持っています。「水戸市の特徴がぎゅっと詰まった」と紹介されているのです。ちなみにテレビに登場して人気の高い「ねば~る君」は、納豆の妖精という設定の「茨城県非公認キャラクター」ですからね。それでも茨城県警から「いばらき安全・安心アンバサダー(大使)」に任命されましたよ。ねば~る君に言わせると「県警は懐が深いねば〜。次は県の公認も狙うねば〜」だそうです。
それでは「みとちゃん」に表現されている「水戸市の特徴」を見ていきましょう。「納豆をイメージしたかぶりもの」ですが、藁(わら)の束の両端を糸で縛って作られる「藁苞(わらづと)」の形をしていますよ。茨城県は納豆生産量日本一を誇りますからね。JR水戸駅の南出口には、この藁苞に入れた納豆をかたどった「水戸の納豆記念碑」が立っています。本当に「藁に包まれた納豆が立った状態の像」なのですよ。「水戸の納豆の由来」というプレートも表示されています。そこには「源義家が後三年の役(1083年)のとき、奥州に向かう途中、水戸市渡里町の一盛長者の屋敷に泊まったおりに馬の飼料である煮豆の残りから納豆ができたという伝説があります。水戸納豆が有名になったのは明治時代水戸駅のホームで土産として販売されるようになってからです。戦後は全国で茨城の納豆が販売されるようになりました。」と、説明があります。
続いて「梅の髪飾り」ですが、これは約3000本の梅が植えられていて「水戸の梅まつり」の開催で有名な、偕楽園(かいらくえん)にちなんだものです。石川県金沢市の兼六園、岡山県岡山市の後楽園とあわせて「日本三名園」と呼ばれていますよ。広大な庭園には約100品種もの様々な梅が集められていて、「早咲き・中咲き・遅咲き」と長い期間にわたって観梅を楽しめるように工夫されているのです。
最後に「水戸黄門さま」ですが、第2代水戸藩主徳川光圀のことですよね。天下を治めた徳川家康は、水戸が東北地方の外様大名からの脅威を阻むには絶好の地であると判断し、自分の末っ子で11男!の頼房を封じました。そこから御三家である水戸徳川家がスタートしたのです。以降、明治4年(1871年)の廃藩置県まで、頼房の子孫が代々水戸藩主を務めることになりました。なかでも2代藩主の徳川光圀は、中国の「史記」にならって日本の歴史を編纂(さん)しようと決意しました。全国から優れた学者を招き自ら監修にもあたったのが『大日本史』ですね。明暦3年(1657年)のことでした。それから水戸藩の事業として約250年にわたって継続され、完成したのは明治39年(1906年)ですからね!「水戸学」と呼ばれる学風は、近世日本の文化にも大きな影響を与えましたよ。ところで光圀が「黄門さま」と呼ばれているのは、官職である中納言の異名が「黄門」だったからですね。
そんな水戸市で制定されたのが「納豆条例」です。正式には「水戸市納豆の消費拡大に関する条例」になります。令和4年の6月に議員提出議案として条例提案されました。「この条例は…納豆の積極的な消費拡大を図ることで、市内産業の活性化及び市民の健康の増進に寄与することを目的とする。」とあります。そして目玉となるのが「納豆の日の制定」です。「納豆の日は7月10日とする。」と明記されていますよ。
むかえた令和4年の7月10日には「日本初!納豆の日条例はっこう(発行×発酵)記念イベント」が開催されました。納豆を1分間菜箸で混ぜる回数を競う「納豆まぜまぜ世界選手権 水戸大会」では、180回を記録した市内在住の小学6年生が優勝したそうですよ。「みとちゃん」も条例可決を受けて、「納豆をみんなにたくさん食べてほしい」とアピールしたということです。
2023.04.09
そうめん条例
奈良県桜井市「そうめん条例」
奈良県といえば通称「海なし県」として知られる「内陸県」(海岸線を持たない県)の一つです。日本国内には8つありますが、奈良県は他の7つの県と切り離されていますよね。本州の中央に並んでいる7つの県は、群馬県・埼玉県・栃木県・山梨県・長野県・岐阜県・滋賀県で、ひとかたまりになって接していますが、奈良県だけは日本最大である紀伊半島の中にポツンと存在しています。この「海なし県」には有名な覚え方がありますので、ご存じの生徒さんも多いと思いますが確認しておきましょう。「グサッとヤナギしなる」ですね。関東地方の群馬(グんま)・埼玉(サいたま)・栃木(トちぎ)、中部地方の山梨(ヤまなし)・長野(ナがの)・岐阜(ギふ)、近畿地方の滋賀(シが)・奈良(ナら)の順で覚えることができるという優れものです。
ではここで問題です。「海なし県」が8つあるとすれば、「漁港がない県」も8つあると考えますよね。海に面している都道府県には必ず漁港がありますから。でも「漁港なし県」は7つなのです。さてどういうことでしょうか?正解は「滋賀県には琵琶湖で営まれている漁業のための漁港が20もあるから」ということになります。琵琶湖の扱いは大変興味深く、漁業法における農林水産大臣の指定では「海面」に含まれることになります。また、河川法における国土交通大臣の指定では、一級「河川」ということにもなっているのです。ですから、湖とも海ともまた川とも言える特別な存在というわけなのですよ。もう一つおまけの問題です。「海なし県」の8つには、海がありませんので当然、島もないと考えたくなりますが、実は3つの県には島があります。これはどういうことでしょうか?琵琶湖がヒントになりますよね。そう、「湖にうかぶ島」があるのです。長野県の野尻湖には琵琶島(びわじま)が、山梨県の河口湖には鵜の島(うのしま)が、滋賀県の琵琶湖には、沖島(おきしま)・竹生島(ちくぶしま)・多景島 (たけしま)がありますからね。
さて奈良県の桜井市です。桜井市は、奈良県内の多くの支川(実に157本!)を集めて大阪湾へと注いでいる大和川の上流に位置しています。大和川の源流が桜井市の笠置山地になります。古事記の中で「倭(やまと)は国(くに)のまほろば」とうたわれた地域にあたり、桜井市にある三輪山周辺がその中心地だとされています。「まほろば」というのは「素晴らしいところ」という意味の古い日本の言葉です。JR西日本の桜井駅を通る路線は「万葉まほろば線」という名称がつけられていますからね。6世紀の末に推古天皇が飛鳥(奈良県明日香村)に皇居を移してから始まるのが、いわゆる「飛鳥時代」になりますが、それ以前(「古墳時代」という区分がされることもあります)、古代国家の成立という歴史の舞台となっていたのが、この「やまと」なのです。「やまと」の大王(おおきみ)を中心とする豪族たちの連合政権が形作られていたと考えられていますよね。氏姓制度という仕組みになります。
そんな奈良県の桜井市で制定されたのが「そうめん条例」なのです。2017年7月7日、七夕の日に施行されました。正式には「三輪素麺の普及の促進に関する条例」になります。そうめん発祥の地は「三輪そうめん」で知られている、ここ奈良県桜井市の三輪地方だといわれており、そこから兵庫県の「播州そうめん」、香川県の「小豆島そうめん」へと製法が伝わったとされているのです。3つの産地は現在「日本三大そうめん」と呼ばれています。この呼び名は2019年開成中学の社会の入試問題にも登場していて、そこから「小豆島」に結びつける理解が求められましたよ。
さて条例にはこうあります。「三輪素麺は、現在から1200年余り前、飢饉に苦しむ民を救うため、保存食として小麦を挽いて棒状に練り乾燥させたものが時を経て…」とその発祥を語り、続いて「公卿(くぎょう:朝廷に仕える高官)の日記や女官たちの手記によると平安時代以降、宮中や貴族の間で、七夕に食する風習があったとされている」と、歴史的な背景についても説明されています。条例の文言の中にここまで詳しく解説がなされるというのはめずらしいことです。続けて「そのような中、三輪素麺は、本市の優れた地域資源として、桜井市地域ブランドに認定され、更に、他とは違い手延べによる細く白い優れた品質を保持し、国が地域特有のブランドとして保護する『地理的表示保護制度』の登録も受けたところである。このような古い歴史をもつ三輪素麺を積極的にPRし普及するために、三輪素麺を食する習慣を広め、伝統文化への理解の促進及び本市の地域経済の活性化を図るため、この条例を制定する」とあるのです。
「地理的表示保護制度」というのは、「特定農林水産物等の名称の保護に関する法律」(地理的表示法)に基づき、特定の産地と結びつきのある産品の名称(これを「地理的表示」といいます)を知的財産として保護することを目的としています。農林水産省が、生産業者の利益の増進と、需要者の信頼を確保するために、進めているのです。産地偽装を防ぎ、模倣品を排除するためでもあります。「三輪素麺」の他にも「夕張メロン」や「越前がに」や「神戸ビーフ」などが登録されています。
2018年には、桜井市で「全国そうめんサミット2018inそうめん発祥の地三輪」が開催されています。実行委員会大会会長である松井正剛桜井市長は「日本の麺文化の歴史は1200年以上になる。豊かな自然風土に育まれ、全国に産地がある。それが一堂に会するサミットを開催できたことは意義深い」と語っていますよ。
奈良県といえば通称「海なし県」として知られる「内陸県」(海岸線を持たない県)の一つです。日本国内には8つありますが、奈良県は他の7つの県と切り離されていますよね。本州の中央に並んでいる7つの県は、群馬県・埼玉県・栃木県・山梨県・長野県・岐阜県・滋賀県で、ひとかたまりになって接していますが、奈良県だけは日本最大である紀伊半島の中にポツンと存在しています。この「海なし県」には有名な覚え方がありますので、ご存じの生徒さんも多いと思いますが確認しておきましょう。「グサッとヤナギしなる」ですね。関東地方の群馬(グんま)・埼玉(サいたま)・栃木(トちぎ)、中部地方の山梨(ヤまなし)・長野(ナがの)・岐阜(ギふ)、近畿地方の滋賀(シが)・奈良(ナら)の順で覚えることができるという優れものです。
ではここで問題です。「海なし県」が8つあるとすれば、「漁港がない県」も8つあると考えますよね。海に面している都道府県には必ず漁港がありますから。でも「漁港なし県」は7つなのです。さてどういうことでしょうか?正解は「滋賀県には琵琶湖で営まれている漁業のための漁港が20もあるから」ということになります。琵琶湖の扱いは大変興味深く、漁業法における農林水産大臣の指定では「海面」に含まれることになります。また、河川法における国土交通大臣の指定では、一級「河川」ということにもなっているのです。ですから、湖とも海ともまた川とも言える特別な存在というわけなのですよ。もう一つおまけの問題です。「海なし県」の8つには、海がありませんので当然、島もないと考えたくなりますが、実は3つの県には島があります。これはどういうことでしょうか?琵琶湖がヒントになりますよね。そう、「湖にうかぶ島」があるのです。長野県の野尻湖には琵琶島(びわじま)が、山梨県の河口湖には鵜の島(うのしま)が、滋賀県の琵琶湖には、沖島(おきしま)・竹生島(ちくぶしま)・多景島 (たけしま)がありますからね。
さて奈良県の桜井市です。桜井市は、奈良県内の多くの支川(実に157本!)を集めて大阪湾へと注いでいる大和川の上流に位置しています。大和川の源流が桜井市の笠置山地になります。古事記の中で「倭(やまと)は国(くに)のまほろば」とうたわれた地域にあたり、桜井市にある三輪山周辺がその中心地だとされています。「まほろば」というのは「素晴らしいところ」という意味の古い日本の言葉です。JR西日本の桜井駅を通る路線は「万葉まほろば線」という名称がつけられていますからね。6世紀の末に推古天皇が飛鳥(奈良県明日香村)に皇居を移してから始まるのが、いわゆる「飛鳥時代」になりますが、それ以前(「古墳時代」という区分がされることもあります)、古代国家の成立という歴史の舞台となっていたのが、この「やまと」なのです。「やまと」の大王(おおきみ)を中心とする豪族たちの連合政権が形作られていたと考えられていますよね。氏姓制度という仕組みになります。
そんな奈良県の桜井市で制定されたのが「そうめん条例」なのです。2017年7月7日、七夕の日に施行されました。正式には「三輪素麺の普及の促進に関する条例」になります。そうめん発祥の地は「三輪そうめん」で知られている、ここ奈良県桜井市の三輪地方だといわれており、そこから兵庫県の「播州そうめん」、香川県の「小豆島そうめん」へと製法が伝わったとされているのです。3つの産地は現在「日本三大そうめん」と呼ばれています。この呼び名は2019年開成中学の社会の入試問題にも登場していて、そこから「小豆島」に結びつける理解が求められましたよ。
さて条例にはこうあります。「三輪素麺は、現在から1200年余り前、飢饉に苦しむ民を救うため、保存食として小麦を挽いて棒状に練り乾燥させたものが時を経て…」とその発祥を語り、続いて「公卿(くぎょう:朝廷に仕える高官)の日記や女官たちの手記によると平安時代以降、宮中や貴族の間で、七夕に食する風習があったとされている」と、歴史的な背景についても説明されています。条例の文言の中にここまで詳しく解説がなされるというのはめずらしいことです。続けて「そのような中、三輪素麺は、本市の優れた地域資源として、桜井市地域ブランドに認定され、更に、他とは違い手延べによる細く白い優れた品質を保持し、国が地域特有のブランドとして保護する『地理的表示保護制度』の登録も受けたところである。このような古い歴史をもつ三輪素麺を積極的にPRし普及するために、三輪素麺を食する習慣を広め、伝統文化への理解の促進及び本市の地域経済の活性化を図るため、この条例を制定する」とあるのです。
「地理的表示保護制度」というのは、「特定農林水産物等の名称の保護に関する法律」(地理的表示法)に基づき、特定の産地と結びつきのある産品の名称(これを「地理的表示」といいます)を知的財産として保護することを目的としています。農林水産省が、生産業者の利益の増進と、需要者の信頼を確保するために、進めているのです。産地偽装を防ぎ、模倣品を排除するためでもあります。「三輪素麺」の他にも「夕張メロン」や「越前がに」や「神戸ビーフ」などが登録されています。
2018年には、桜井市で「全国そうめんサミット2018inそうめん発祥の地三輪」が開催されています。実行委員会大会会長である松井正剛桜井市長は「日本の麺文化の歴史は1200年以上になる。豊かな自然風土に育まれ、全国に産地がある。それが一堂に会するサミットを開催できたことは意義深い」と語っていますよ。
2023.04.08
ケアラー支援条例
埼玉県さいたま市「ケアラー支援条例」
今回紹介するのは埼玉県さいたま市で制定された条例です。さいたま市は人口130万人をこえる政令指定都市になります。埼玉県の南東部に位置しており、東京都心から 20~40km 圏にすっぽりと収まっているかたちです。現在20ある政令指定都市の中では、唯一内陸県(海に面していない県)にあります。ちなみに政令指定都市20市の市長によって構成されているのが「指定都市市長会」です。大都市に共通する課題についての話し合いが行われていますよ。最近の「大都市制度実現プロジェクト会議」では、これまでの「特別自治市」という呼称があまり広まっていないことを理由に、新たに「特別市」という通称名を使って情報発信に努めようという決定がなされましたよ。さて政令指定都市であるさいたま市は、行政単位として市の中に区を持つことができます。行政区と呼ばれ、さいたま市には10区あります。桜区・浦和区・南区・緑区・西区・北区・大宮区・見沼区・中央区・岩槻区ですね。このうち「固有名詞」で成立している区について確認してみましょう。すなわち浦和区・大宮区・見沼区・岩槻区の4つになります。
浦和は埼玉県の県庁所在地でもあり、古くから中山道の宿場町として繁栄してきました。中山道は日本橋を起点に、板橋宿・蕨宿・浦和宿と続きますからね。浦和は三番目の宿場なのです。では四番目は?大宮宿になりますよ!
大宮は、東北・北海道新幹線の「はやぶさ」「やまびこ」「なすの」「はやて」、山形新幹線の「つばさ」、秋田新幹線の「こまち」、上越新幹線の「とき」「たにがわ」、北陸新幹線の「かがやき」「はくたか」「あさま」「つるぎ」と、5つの路線の新幹線12種が走るという鉄道の結節点であり、東北・上信越方面から首都圏への玄関口になっていますよね。
見沼という地名は江戸時代の歴史に登場しますよ。「米将軍」と呼ばれた江戸幕府8代将軍の徳川吉宗による「享保の改革」です。幕府の財政を立て直すために積極的に新田開発を行ったのでしたね。財政基盤である石高を増大させるためです。見沼にあった「ため井」(ため池よりも浅い、農業用水をためておくところ)が干拓され、新たに田んぼが誕生しました。そして代わりとなる農業用水の確保のために引かれたのが、利根川を取水口とする約60kmにわたる見沼代用水でした。「見沼の代わりとなる用水」という意味です。現在でも地図帳で確認できる、大きなかんがい施設になります。世界かんがい施設遺産にも登録されていますよ。日本では他にも、福島県の安積疎水、愛知県の明治用水、香川県の満濃池、熊本県の通潤用水など多くの施設が登録されています。国際かんがい排水委員会(ICID)によって、「建設から100年以上経過し、かんがい農業の発展に貢献したもの、卓越した技術により建設されたもの等、歴史的・技術的・社会的価値のあるかんがい施設を登録・表彰する」ために創設された制度です。日本では農林水産省が事務局となっていますよ。
岩槻は「人形のまち」として知られていますよね。岩槻の人形づくりの歴史は、日光東照宮と深いかかわりがあります。江戸幕府3代将軍の徳川家光の時代、江戸幕府初代将軍の徳川家康をまつる神社として日光東照宮を造営するにあたって、全国から優れた工匠が集められました。岩槻は、日光御成道の宿場町であったため、この工匠たちの出入りが盛んで、また住み着いた者も多くいたといわれています。そしてその中から人形づくりの技術が広まったと伝えられているのです。だからこそ、日光東照宮で見ることのできる豪華絢爛な装飾品の数々には、「岩槻人形」と同じ技法でできているものがあるというのです。「岩槻人形」は、経済産業大臣から伝統的工芸品に指定され、節句人形生産量日本一を誇る埼玉県に、鴻巣市などと共に貢献しています。
さて「ケアラー支援条例」です。「ケアラー」という言葉にはまだ法律上の定義はありませんが、一般的には、高齢・障害・疾病等により援助を必要とする家族・友人等の身近な人に、無償で介護・看護・世話等を行っている人を「ケアラー」と呼んでいます。その中で18歳未満のケアラーは特に「ヤングケアラー」と呼ばれています。
ケアラーには、身体的にも精神的にも経済的にも、大きな負担がかかっています。離職せざるをえなかったり、社会から孤立してしまったり、場合によっては心身の不調等から重大な事件につながるようなことさえあります。さらに、ヤングケアラーにとっては、年齢や成長の度合いに見合わない重い責任や負担を負うことで、自身の学校生活や社会生活に深刻な影響を及ぼすこともあります。これまで、行政からの支援の対象といえば、「ケアを受ける立場の人たち」についてでしたが、「ケアラー」=「ケアをする立場の人たち」が抱える問題についても目を向けて支援していくことが、今まさに求められているのです。そうした背景から、昨年の7月1日に施行されたのが、さいたま市の「ケアラー支援条例」なのです。
「日常生活において支援を必要としている人の周りには、それらの人を支える多くのケアラーの存在があり、それは決して特別な存在ではない」という文言ではじまるこの条例では、「誰一人取り残すことなく、ケアラーを社会全体で支えていく必要がある」ということをうったえ、「一人ひとりのケアラーが自分らしく、健康で文化的な生活を営むことができる地域社会の実現を目指」すことがうたわれています。また同じ埼玉県の入間市では「ヤングケアラー」の支援に特化した条例が、同じく7月1日に施行されていますよ。学校生活や進路などに支障が出ないよう、ヤングケアラーを早期に発見し、社会全体で支える環境を整備することを目的としています。
今回紹介するのは埼玉県さいたま市で制定された条例です。さいたま市は人口130万人をこえる政令指定都市になります。埼玉県の南東部に位置しており、東京都心から 20~40km 圏にすっぽりと収まっているかたちです。現在20ある政令指定都市の中では、唯一内陸県(海に面していない県)にあります。ちなみに政令指定都市20市の市長によって構成されているのが「指定都市市長会」です。大都市に共通する課題についての話し合いが行われていますよ。最近の「大都市制度実現プロジェクト会議」では、これまでの「特別自治市」という呼称があまり広まっていないことを理由に、新たに「特別市」という通称名を使って情報発信に努めようという決定がなされましたよ。さて政令指定都市であるさいたま市は、行政単位として市の中に区を持つことができます。行政区と呼ばれ、さいたま市には10区あります。桜区・浦和区・南区・緑区・西区・北区・大宮区・見沼区・中央区・岩槻区ですね。このうち「固有名詞」で成立している区について確認してみましょう。すなわち浦和区・大宮区・見沼区・岩槻区の4つになります。
浦和は埼玉県の県庁所在地でもあり、古くから中山道の宿場町として繁栄してきました。中山道は日本橋を起点に、板橋宿・蕨宿・浦和宿と続きますからね。浦和は三番目の宿場なのです。では四番目は?大宮宿になりますよ!
大宮は、東北・北海道新幹線の「はやぶさ」「やまびこ」「なすの」「はやて」、山形新幹線の「つばさ」、秋田新幹線の「こまち」、上越新幹線の「とき」「たにがわ」、北陸新幹線の「かがやき」「はくたか」「あさま」「つるぎ」と、5つの路線の新幹線12種が走るという鉄道の結節点であり、東北・上信越方面から首都圏への玄関口になっていますよね。
見沼という地名は江戸時代の歴史に登場しますよ。「米将軍」と呼ばれた江戸幕府8代将軍の徳川吉宗による「享保の改革」です。幕府の財政を立て直すために積極的に新田開発を行ったのでしたね。財政基盤である石高を増大させるためです。見沼にあった「ため井」(ため池よりも浅い、農業用水をためておくところ)が干拓され、新たに田んぼが誕生しました。そして代わりとなる農業用水の確保のために引かれたのが、利根川を取水口とする約60kmにわたる見沼代用水でした。「見沼の代わりとなる用水」という意味です。現在でも地図帳で確認できる、大きなかんがい施設になります。世界かんがい施設遺産にも登録されていますよ。日本では他にも、福島県の安積疎水、愛知県の明治用水、香川県の満濃池、熊本県の通潤用水など多くの施設が登録されています。国際かんがい排水委員会(ICID)によって、「建設から100年以上経過し、かんがい農業の発展に貢献したもの、卓越した技術により建設されたもの等、歴史的・技術的・社会的価値のあるかんがい施設を登録・表彰する」ために創設された制度です。日本では農林水産省が事務局となっていますよ。
岩槻は「人形のまち」として知られていますよね。岩槻の人形づくりの歴史は、日光東照宮と深いかかわりがあります。江戸幕府3代将軍の徳川家光の時代、江戸幕府初代将軍の徳川家康をまつる神社として日光東照宮を造営するにあたって、全国から優れた工匠が集められました。岩槻は、日光御成道の宿場町であったため、この工匠たちの出入りが盛んで、また住み着いた者も多くいたといわれています。そしてその中から人形づくりの技術が広まったと伝えられているのです。だからこそ、日光東照宮で見ることのできる豪華絢爛な装飾品の数々には、「岩槻人形」と同じ技法でできているものがあるというのです。「岩槻人形」は、経済産業大臣から伝統的工芸品に指定され、節句人形生産量日本一を誇る埼玉県に、鴻巣市などと共に貢献しています。
さて「ケアラー支援条例」です。「ケアラー」という言葉にはまだ法律上の定義はありませんが、一般的には、高齢・障害・疾病等により援助を必要とする家族・友人等の身近な人に、無償で介護・看護・世話等を行っている人を「ケアラー」と呼んでいます。その中で18歳未満のケアラーは特に「ヤングケアラー」と呼ばれています。
ケアラーには、身体的にも精神的にも経済的にも、大きな負担がかかっています。離職せざるをえなかったり、社会から孤立してしまったり、場合によっては心身の不調等から重大な事件につながるようなことさえあります。さらに、ヤングケアラーにとっては、年齢や成長の度合いに見合わない重い責任や負担を負うことで、自身の学校生活や社会生活に深刻な影響を及ぼすこともあります。これまで、行政からの支援の対象といえば、「ケアを受ける立場の人たち」についてでしたが、「ケアラー」=「ケアをする立場の人たち」が抱える問題についても目を向けて支援していくことが、今まさに求められているのです。そうした背景から、昨年の7月1日に施行されたのが、さいたま市の「ケアラー支援条例」なのです。
「日常生活において支援を必要としている人の周りには、それらの人を支える多くのケアラーの存在があり、それは決して特別な存在ではない」という文言ではじまるこの条例では、「誰一人取り残すことなく、ケアラーを社会全体で支えていく必要がある」ということをうったえ、「一人ひとりのケアラーが自分らしく、健康で文化的な生活を営むことができる地域社会の実現を目指」すことがうたわれています。また同じ埼玉県の入間市では「ヤングケアラー」の支援に特化した条例が、同じく7月1日に施行されていますよ。学校生活や進路などに支障が出ないよう、ヤングケアラーを早期に発見し、社会全体で支える環境を整備することを目的としています。
2023.04.04
希少野生動植物保護条例
新潟県妙高市「希少野生動植物保護条例」
今回紹介するのは新潟県妙高市で制定された条例です。妙高市は新潟県の南西部、長野県との県境に位置しています。同じ新潟県では上越市と糸魚川市に、長野県では飯山市と長野市とも接していますよ。新潟県の妙高市と上越市と糸魚川市は3市合わせて「上越地方」とも呼ばれています。新潟県を地理的に4つの地域に区分した場合の1つにあたります。他の3つは「下越地方」「中越地方」「佐渡地方」ですね。これはかつて新潟県が越後国と呼ばれていたことに由来し、都である京都に近い方から「上越後」「中越後」「下越後」と区分されていたことによります。「上越後」を略した「上越」が新潟県南西部の地域名として用いられるようになったのです。
ここで混乱が生じてしまう場合がありますのでご注意下さい!それは「上越」に、もう一つの意味があるからです。上野国(こうずけのくに)と呼ばれた群馬県と、越後国と呼ばれた新潟県を合わせて「上越」と称する呼び方のことです。東京から大宮、高崎を経て、新潟へとつながっている「上越新幹線」は、この「群馬」+「新潟」の意味での「上越」が使われているのです。そしてややこしいことには、「上越妙高駅」という新幹線の駅が存在するのですが、これは上越新幹線の駅ではありません!長野を経て金沢までつながっている「北陸新幹線」の駅になるのです。もちろんこの「上越妙高駅」は妙高市に隣接する上越市にあります。ぜひ地図帳で、上越新幹線と北陸新幹線の路線を確認してみて下さい。新潟県は二つの新幹線が「併存」しているのですよ。今回取り上げる妙高市は北陸新幹線のルート上にあるのです。
東京駅(東京都千代田区)と金沢駅(石川県金沢市)を約2時間半で結ぶ北陸新幹線です。その走行ルートは、「加賀百万石」で知られる前田家の参勤交代のルートに沿ったものになっているというと驚くでしょうか。加賀藩前田家は、金沢から北国街道(ほっこくかいどう)を抜けて、追分宿(現在の軽井沢町)で中山道へと合流し、江戸へとむかう参勤交代ルートをとっていました。その距離は約480キロメートルで、12泊13日の行程だったといわれています。北国街道は江戸幕府によって整備された脇街道ですが、「善光寺街道」という別名があるように、善光寺への参拝のために整備が進みました。さらには佐渡の金を江戸に運ぶための産業道路として、五街道に次ぐ重要な役割を果たしていました。
妙高市の名前の由来ともなっている妙高山は「妙高戸隠連山国立公園」に含まれます。2015年に32番目となる国立公園として誕生した新しい国立公園になります。四季折々の美しい景観を見せる妙高山ですが、特に有名なのが「跳ね馬」と呼ばれる雪形(ゆきがた)です。雪形というのは、山に積もった雪が春になってとけはじめ、白い残雪と黒い岩肌とのコントラストが山腹にあらわれることによって、さまざまな姿(鳥や馬や蝶など)に見える模様のことを指しています。妙高山では、妙高市側から眺めると、まるで馬が力強く跳ねているように見える雪形が現れるのです。例年、4月中旬頃になると現れるこの「跳ね馬」は、昔から上越地方で春の農耕の始まりを告げる目安とされてきました。現在でも風物詩として観光名所にもなっていて、妙高市の体育館(「はね馬アリーナ」)や鉄道の沿線名(「妙高はねうまライン」)などに「跳ね馬」の名称が使用されるほど、地元で親しまれています。
豊かな自然が残る「妙高戸隠連山国立公園」は、国の天然記念物であり絶滅危惧種にも指定されているライチョウの生息地にあたります。また、ヒメギフチョウやゴマシジミ、オオルリシジミなどの貴重な昆虫類が分布し、オキナグサヤマシャクヤクなどのめずらしい草本植物も自生しています。ところがこうした野生動植物は、その希少性の高さから、マニアが捕獲・採集しようとするケースが相次ぎ、さらにはインターネット等で高額で取り引きされる、いわゆるネットオークションにかけられるといった事例も発生しています。環境省が取引を控えるよう、オークション大手の業者に通知を行ったことがニュースにもなりました。
そうした状況をふまえ、国においては「絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律(略称:種の保存法)」で保護を図るものの、妙高市でも独自に市内に生育する希少動植物を守るために条例を制定したのです。対象となる動植物については、国と県のレッドデータブックなどを参照し、市で環境審議会を開催して専門家に意見を聞き、指定を行いました。オキナグサなど植物6種、ヒメギフチョウなど昆虫9種、ライチョウなど鳥類5種、キタノメダカなど魚類2種の計22種類になります。これらの捕獲、採取、殺傷、損傷を禁止し、条例に違反した場合、1年以下の懲役か、50万円以下の罰金が科せられるというものです。それが令和3年4月1日付けで施行された「妙高市希少野生動植物保護条例」になります。「この条例は、希少な野生動植物が妙高市の自然環境の重要な構成要素の一つであるとともに市民の貴重な財産であり、その保護が生物多様性を確保していく上で欠かすことができないものであることに鑑み、市内に生息し、又は生育する希少な野生動植物を保護し、次代へ継承していくことを目的とする。」とあります。
市は条例施行後、希少動植物が生息する付近や登山口など約10カ所に「捕獲・採取禁止」と書かれた看板を設置し、市職員や関係者が保護監視活動を行っています。個体数や種類の調査も継続して行われています。妙高市は「人と自然が調和しすべての生命を安心して育むことができる地域」という意味である「生命地域(バイオリージョン)」の創造を掲げて、希少生物保護への理解を呼びかけています。
今回紹介するのは新潟県妙高市で制定された条例です。妙高市は新潟県の南西部、長野県との県境に位置しています。同じ新潟県では上越市と糸魚川市に、長野県では飯山市と長野市とも接していますよ。新潟県の妙高市と上越市と糸魚川市は3市合わせて「上越地方」とも呼ばれています。新潟県を地理的に4つの地域に区分した場合の1つにあたります。他の3つは「下越地方」「中越地方」「佐渡地方」ですね。これはかつて新潟県が越後国と呼ばれていたことに由来し、都である京都に近い方から「上越後」「中越後」「下越後」と区分されていたことによります。「上越後」を略した「上越」が新潟県南西部の地域名として用いられるようになったのです。
ここで混乱が生じてしまう場合がありますのでご注意下さい!それは「上越」に、もう一つの意味があるからです。上野国(こうずけのくに)と呼ばれた群馬県と、越後国と呼ばれた新潟県を合わせて「上越」と称する呼び方のことです。東京から大宮、高崎を経て、新潟へとつながっている「上越新幹線」は、この「群馬」+「新潟」の意味での「上越」が使われているのです。そしてややこしいことには、「上越妙高駅」という新幹線の駅が存在するのですが、これは上越新幹線の駅ではありません!長野を経て金沢までつながっている「北陸新幹線」の駅になるのです。もちろんこの「上越妙高駅」は妙高市に隣接する上越市にあります。ぜひ地図帳で、上越新幹線と北陸新幹線の路線を確認してみて下さい。新潟県は二つの新幹線が「併存」しているのですよ。今回取り上げる妙高市は北陸新幹線のルート上にあるのです。
東京駅(東京都千代田区)と金沢駅(石川県金沢市)を約2時間半で結ぶ北陸新幹線です。その走行ルートは、「加賀百万石」で知られる前田家の参勤交代のルートに沿ったものになっているというと驚くでしょうか。加賀藩前田家は、金沢から北国街道(ほっこくかいどう)を抜けて、追分宿(現在の軽井沢町)で中山道へと合流し、江戸へとむかう参勤交代ルートをとっていました。その距離は約480キロメートルで、12泊13日の行程だったといわれています。北国街道は江戸幕府によって整備された脇街道ですが、「善光寺街道」という別名があるように、善光寺への参拝のために整備が進みました。さらには佐渡の金を江戸に運ぶための産業道路として、五街道に次ぐ重要な役割を果たしていました。
妙高市の名前の由来ともなっている妙高山は「妙高戸隠連山国立公園」に含まれます。2015年に32番目となる国立公園として誕生した新しい国立公園になります。四季折々の美しい景観を見せる妙高山ですが、特に有名なのが「跳ね馬」と呼ばれる雪形(ゆきがた)です。雪形というのは、山に積もった雪が春になってとけはじめ、白い残雪と黒い岩肌とのコントラストが山腹にあらわれることによって、さまざまな姿(鳥や馬や蝶など)に見える模様のことを指しています。妙高山では、妙高市側から眺めると、まるで馬が力強く跳ねているように見える雪形が現れるのです。例年、4月中旬頃になると現れるこの「跳ね馬」は、昔から上越地方で春の農耕の始まりを告げる目安とされてきました。現在でも風物詩として観光名所にもなっていて、妙高市の体育館(「はね馬アリーナ」)や鉄道の沿線名(「妙高はねうまライン」)などに「跳ね馬」の名称が使用されるほど、地元で親しまれています。
豊かな自然が残る「妙高戸隠連山国立公園」は、国の天然記念物であり絶滅危惧種にも指定されているライチョウの生息地にあたります。また、ヒメギフチョウやゴマシジミ、オオルリシジミなどの貴重な昆虫類が分布し、オキナグサヤマシャクヤクなどのめずらしい草本植物も自生しています。ところがこうした野生動植物は、その希少性の高さから、マニアが捕獲・採集しようとするケースが相次ぎ、さらにはインターネット等で高額で取り引きされる、いわゆるネットオークションにかけられるといった事例も発生しています。環境省が取引を控えるよう、オークション大手の業者に通知を行ったことがニュースにもなりました。
そうした状況をふまえ、国においては「絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律(略称:種の保存法)」で保護を図るものの、妙高市でも独自に市内に生育する希少動植物を守るために条例を制定したのです。対象となる動植物については、国と県のレッドデータブックなどを参照し、市で環境審議会を開催して専門家に意見を聞き、指定を行いました。オキナグサなど植物6種、ヒメギフチョウなど昆虫9種、ライチョウなど鳥類5種、キタノメダカなど魚類2種の計22種類になります。これらの捕獲、採取、殺傷、損傷を禁止し、条例に違反した場合、1年以下の懲役か、50万円以下の罰金が科せられるというものです。それが令和3年4月1日付けで施行された「妙高市希少野生動植物保護条例」になります。「この条例は、希少な野生動植物が妙高市の自然環境の重要な構成要素の一つであるとともに市民の貴重な財産であり、その保護が生物多様性を確保していく上で欠かすことができないものであることに鑑み、市内に生息し、又は生育する希少な野生動植物を保護し、次代へ継承していくことを目的とする。」とあります。
市は条例施行後、希少動植物が生息する付近や登山口など約10カ所に「捕獲・採取禁止」と書かれた看板を設置し、市職員や関係者が保護監視活動を行っています。個体数や種類の調査も継続して行われています。妙高市は「人と自然が調和しすべての生命を安心して育むことができる地域」という意味である「生命地域(バイオリージョン)」の創造を掲げて、希少生物保護への理解を呼びかけています。