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2024.01.30 市民主役条例
 福井県鯖江市「市民が主役のまちづくり条例」

 今回紹介するのは福井県鯖江市で制定された条例です。首都圏在住の皆さんが福井県の鯖江市に行こうと思ったら、公共交通機関は何を使って向かうことになるでしょう。太平洋側から日本海側への移動ですので、飛行機を使うべきでしょうか?それとも北陸に属する県ですから、北陸新幹線を使うとよいのでしょうか?どちらも3時間台で、東京からなら鯖江まで到着できますよ。飛行機でしたら、羽田から小松空港まで飛びます。でも小松空港は福井県ではなく、石川県にありますからね。残念ながら福井県には航空路線の定期便が飛んでいる空港がないのです。小松空港からは、バスなどで小松駅に向かい、そこから北陸本線の特急「しらさぎ」号(名古屋行)に乗り込んで、鯖江まで進むことになります。北陸新幹線を使うなら、東京駅から「かがやき」号(金沢行)に乗り、終点の金沢から北陸本線に乗り換えて特急「サンダーバード」号(大阪行)を使えば、鯖江に着きますよ。2023年度末のスタートを目指している北陸新幹線の金沢・敦賀間の延伸プロジェクトが完了すれば、福井駅が開業することになりますので、もっと時間は短縮されるでしょうね。でも現時点において、最も短時間で、東京から鯖江に到着できるのは、東海道新幹線を利用したルートなのです。東京駅から「のぞみ」号で名古屋まで乗り、「ひかり」号に乗り換えて、米原まで進みます。そこから北陸本線の特急「しらさぎ」号(金沢行)を使って鯖江に到着するのですね。
 さて鯖江市のイメージキャラクターをご存じでしょうか。「ちかもんくん」という名前の「文化系癒しキャラクター」(鯖江市のホームページより)が活動していますよ。「ちかもん」を漢字で書くとするならば「近門」になるでしょうか。井原西鶴、松尾芭蕉とともに元禄文化を代表する、浄瑠璃・歌舞伎作者「近松門左衛門」のことなのです。近松は鯖江で生まれたのですね。「近松のまち さばえ」として、市はPRに努めていますよ。「劇作家として大成するうえで、幼少期を過ごした鯖江の豊かな自然や人情は、彼の生み出した作品に大きく影響したことと思います」と、鯖江市はアピールしています。
 もう一つ「〇〇のまち さばえ」というキャッチコピーがあります。それは「めがねのまち さばえ」です。眼鏡フレームの国内生産シェアの、実に9割以上を誇っているのです。鯖江市における眼鏡フレーム製造の歴史は、明治期にさかのぼります。農業が中心の土地であった鯖江ですが、冬になると雪に埋もれてしまうのです。日本海側気候の特徴ですね。この農閑期の冬場に安定収入を得る方策として、当時眼鏡作りが盛んであった大阪から職人を招いて、眼鏡の製造技術を伝えてもらったことが始まりだといわれています。実に1世紀以上の歴史があるわけですね。けれども「伝統的工芸品」には指定されていません。なぜなら、伝統的工芸品の指定を受けるための「要件」を満たさない部分があるからです。それは、「伝統的に使用されてきた原材料が主たる原材料として用いられ、製造されるものであること」という点ですね。プラスチック(セルロイド)や、現在はチタンででも製造されている眼鏡フレームですから。同じ北陸工業地域に属し、ノーベル賞の晩餐会で使用されることでも有名な、新潟県燕市の洋食器(スプーンやフォークなど)も、同様に伝統的工芸品には指定されていませんよね。さらに同様に、国内シェアも9割以上を誇っているんですよ。北陸にはこうした「地場産業」が発達しています。「伝統的な原材料」でこそありませんが、「一定の地域において少なくない数の者がその製造を行い、又はその製造に従事しているもの」という伝統的工芸品の要件にはぴったりの産業なのです。眼鏡フレームの製作には、多いもので200以上の工程が必要になります。専門工程ごとに分業が行われて生産されるため、関連する「眼鏡産業」に従事する人の数も多く、鯖江市の人口の約1割が携わっているという統計もあります。
 そんな鯖江市で、2010年(平成22年)4月1日に、「自分たちのまちは自分たちがつくるという市民主役のまちづくり」を進めることを目的とした「市民主役条例」が施行されました。「市民一人ひとりの前向きな小さな声を集め建設的な大きな声とすることにより、思いを一つにし」と条文にあります。この「市民一人ひとりの前向きな小さな声」をかたちにしようとしたのが「鯖江市役所JK課」(JK=女子高生)というユニークなプロジェクトなのです。これまで、市役所や公共サービスに直接関わることの少なかった市民である地元の女子高校生たちが、主役となって柔軟な視点で自分たちのまちを楽しく面白くしていくための新しい企画やアイディアを出していこう!というものです。そしてこの活動に刺激を受けて、なんと新たに「鯖江市OC課」(OC=おばちゃん)も立ち上がりましたよ。
 鯖江市を含む福井県は「共働き率全国1位、女性就業率全国2位」という、国勢調査に基づく集計結果が出ています。この理由が、先ほど確認した歴史的な産業構造によって説明されることがあります。すなわち「眼鏡産業」といった基幹となる地場産業に、女性が家の近くで働き手として活躍するケースが多く見られたからだ、と。さらには、母親が働く姿を見てきた子どもたちにも、「自分も大きくなったら働きたい」という価値観が根づいたのでは、と説明されるのです。「市民が主役」といった場合に、「女子高生」や「おばちゃん」という女性たちが注目されるのも、こうした背景があるのかもしれません。この「市民参加による住民自治や新しいまちづくり」を進めてきたことが評価されて、鯖江市は総務省から「ふるさとづくり大賞」を表彰されていますよ。
2023.12.29 一掬の水
 「一掬の水」

 「一掬の水を注いでやってはくれまいか」。私にとっての「恩師」、大先生からの言葉でした。あるチャレンジをする人物を応援してやってほしい、という依頼だったのです。ところが、私にもこれまで築いてきた人間関係がありまして、「あちら立てればこちらが立たぬ」という状況だといえました。それでも「応援します」と返事をしたのは、この「一掬の水」という言い回しに、心を動かされたからでもあるのです。
 「一掬」は「いっきく」と読みます。「掬」という漢字は、「訓読み」をすれば、イメージがわくでしょう。「一掬(ひとすく)い」になります。「水などを両手ですくうこと」を意味します。その「ひとすくい」の量から、「わずかなこと」を表してもいます。ですから「一掬の水を注いでやって」という依頼からは、「ほんの少しでもよいので、力を貸してやってくれないか」という願いが伝わってきたのでした。
 「一掬の涙」という表現があります。こちらも「雀の涙」や「蚊の涙」という言い回しと同じように「ごくわずかなもののたとえ」という意味合いで使われることもありますが、文字通り「両手ですくうほどの涙」ということであれば、それは「たくさんの涙」を流すということにもなるのです。ですから「一掬の涙を惜しまなかった」といった小説の中の表現には注意が必要です。人目をはばからず泣き続けている様子を表していますからね。
 「掬水月在手」という言葉も覚えておきたいです。漢文ですので日本語の書き下し文に直してみますと「水を掬すれば月手に在り」(みずをきくすれば、つきてにあり)になります。唐の時代の詩人である于良史(うりょうし)の詩「春山夜月(しゅんざんやげつ)」に出てくるフレーズです。「ふと、水鉢の水を両手で掬ってみれば、掌の中に月が映っているではないか」という場面をえがいたものですね。なんとも風流で、茶道の掛軸としてもよく掛けられている言葉なんですよ。
 鳥取県岩美町「バーベキュー禁止条例」

 今回紹介するのは鳥取県岩美町で制定された条例です。岩美町は鳥取県の最東北端に位置していますよ。ですから他の県と接していることになります。どこだかわかりますか?兵庫県の新温泉町になります。新温泉町は兵庫県の最西北端ということにもなりますね。ともに日本海に面していますので、これ以上北に陸地はなく、東西に並んで接しているのです。日本海側気候であり、豪雪地帯に指定されていますよ。
 岩美町は、町の全体がユネスコ世界ジオパークに認定された「山陰海岸ジオパーク」エリアの中にあることでも知られています。「ユネスコ世界ジオパーク」というのは、国際的に価値のある地質遺産(科学的に重要な地質・地形)を保護することで、自然環境や地域の文化への理解を深め、さらには科学研究や教育、地域振興等に活用することによって、自然と人間との共生及び持続可能な開発を実現することを目的とした事業になります。現在、世界で46か国・177のユネスコ世界ジオパークが認定されており、日本からは「山陰海岸」を含めた9地域(他に、洞爺湖有珠山、糸魚川、島原半島、室戸、隠岐、阿蘇、アポイ岳、伊豆半島)が登録されていますよ。どの点が「科学的に重要」なのかと言いますと、岩美町の「浦富海岸(うらどめかいがん)」は、東西約15kmにわたるリアス式海岸であり、さらに「海が作った彫刻」と呼ばれる美しい海食地形となっているところです。日本海の荒波と風雪によって浸食された断崖絶壁、洞門、洞窟、奇岩が並んでいるのです。そこに白砂青松の砂浜も広がっており、山陰海岸国立公園の名勝としても知られていますよ。
 また、岩美町は「冬の味覚の王者」と称される「松葉がに」の漁獲量日本一を誇る町でもあります。「松葉がに」とは成長したズワイガ二の雄のことで、山陰地方での呼称になります。北陸地方では「越前がに」と呼ばれていますね。立冬の頃に行われる松葉がにの初セリは、山陰に冬の訪れを知らせる風物詩として知られていますよ。その11月の第4土曜日は鳥取県「松葉がにの日」として指定されています。平成16年10月に岩美町制施行50周年を記念して制定されたのでした。由来は江戸時代に記された鳥取藩の文献に「松葉がに」という名称が登場したことによります。『町目付日記』に、11月13日という日付も記されていることから記念日が決まりました。「目付」というのは、江戸幕府及び諸藩における職名の一つで「監察(調査し取り締まること)を務める役」を意味しています。幕府でしたら「大目付」は大名の監察、「目付」は旗本・御家人の監察ですよね。鳥取藩で御用座敷(藩の役人が勤務する場所)の建て替えが行われ、完成の棟上げ式の祝宴に出された献立に「松葉がに」が登場しているのです。他にも鳥取藩主が、岡山藩主や津山藩主に「松葉がに」を贈った記録が残されていて、江戸時代から「由緒正しい鳥取県の冬の贈答品」という扱いだったと考えられています。
 毎年恒例の「学校給食で、一人1杯の松葉がにが提供されました」というニュースは、岩美町の中学校三年生にふるまわれるものですよ。町内の漁港で水揚げされてゆでられたものが、町立岩美中学校の三年生全員に給食で提供されます。甲羅の大きさは10cm以上にもなりますよ。町特産のカニを通じて故郷への誇りや愛着を持ってもらおうと、毎年町教育委員会が企画しているのです。教育委員会は、地域の公共事務のうち、教育・文化・スポーツ等に関する事務を担当する機関として、全ての都道府県及び市区町村に設置されています。それは広く地域住民の意向を反映した教育行政を実現するためなのです。
 そんな鳥取県岩美町で制定されたのが「キャンプ及びバーベキュー等禁止区域に関する条例」です。令和3年4月1日に施行されました。
 新型コロナウイルス感染症の流行以降、「風通しがよい環境下でのレジャー活動」に注目が集まるなか、「アウトドアブーム」とも呼ばれる状況が続いています。屋外でのキャンプやバーベキューを楽しむ人が増えているのです。他方で、多くの人がバーベキューを行うことにより、ごみの投棄や散乱が見られるようになり、さらには悪臭も発生しています。また、騒音や不法駐車の増加等の問題も生じてきてしまいました。このため、条例を制定して、特定の場所以外でのバーベキューを禁止する自治体が現れたのです。
 岩美町の条例では、岩美町内の海岸部でのキャンプやバーベキュー等を規制することにしました。山陰海岸国立公園でありユネスコ世界ジオパークにも認定されている場所ですからね。地域の環境や秩序を守ることを目的とした条例制定です。条例に違反した場合、1万円以下の罰金が課されることにもなります。地方自治法第14条第3項に基づいて、条例の中に罰則規定を設けることができるからです。「決められた場所以外でのキャンプやバーベキュー等はやめましょう」と、岩美町はお願いしています。
 こうした自治体の動きに対して日本バーベキュー協会からコメントが出されています。「バーベキュー規制条例には大賛成。迷惑している人がいる限り、その場所でのバーベキューは禁止するべきと考えています。行って良い場所とダメな場所を、はっきりと明文化する必要があります。」とのことです。また「バーベキューを禁止するというだけでなく、快適で使いやすいバーベキューの環境整備も行ってほしい」ともアピールしています。確かに、バーベキューは人と人を繋ぎ、また地元の物品の販売促進にもなり、地域振興につながりますからね。ルールを守って楽しくアウトドアブームに乗りましょう。
2023.10.04 ガラパゴス化
 「ガラパゴス化」

  私の使っている携帯電話はボタンを押して電話をかけるタイプです。折り畳み式でもあります。「ガラケーを持っているんですか!」と驚かれることもありますが、今や「ガラケー」は販売しておらず、私の携帯も「ガラホ」と呼ばれる「外見はガラケー、中身はスマホ」といった様式の電話なのです。通話とメール以外で利用することもありませんので、「アプリ」(アプリケーションソフトウェア)とも無縁です。特に新しい機種に変更する必要を感じないのですが、「インターネットの検索はどうするのですか?」と心配されたりします。パソコンを使って書き物をする際にはもちろん検索しますが、辞書を引く感覚なので、辞書を持ち歩かないのと同様に、携帯で調べようとは思わないのです。
 こうした態度にかつての教え子(もう社会人として活躍しています)から、「ありえないですよ、ガラケーなんて!」とからかわれたものですから、反発してみたくなったのです。「ガラパゴスというのは進化の最先端に位置するんだぞ!」と。
 ガラケーの「ガラ」は「ガラパゴス化」の略で、日本独自に発達した技術やサービスが世界的な標準規格からは、かけ離れていってしまった状態のことを意味しています。その結果、競争力の低下をまねいた状態を指すこともあり、世界から取り残されていることを揶揄する表現としても使われています。そもそも「ガラパゴス」という言葉は、南米の「ガラパゴス諸島」に由来します。南米といっても、エクアドルから太平洋に向かって西に900㎞離れている「絶海の孤島」の集まりです。この島々は過去に一度も大陸と接したことがないため、島全体の生態系が独自の進化を遂げているのです。ガラパゴスゾウガメ、ウミイグアナ、ガラパゴスペンギンなどといった、ガラパゴス諸島でしか見ることのできない固有種の宝庫です。しかしながらガラパゴス諸島は外来種や環境破壊により、世界一絶滅危惧種の多い島だとも警告されているのです。
 「ほら、取り残されて危機に瀕しているという意味じゃないですか」と教え子くんは指摘しますが、皆さんに知ってほしいのは「独自に進化を遂げた」という部分なのです。生物として最適化を進行させたのですよ。その結果、唯一無二の存在になったのです。決して「退化」ではないということを理解して下さいね。でも私も、スマホで検索できるように適応したいと思います!
2023.09.14 惻隠の情
 「惻隠の情」

 何やら難しそうですよね。「そくいんのじょう」と読みます。「相手のことを思いやる気持ち」を意味しています。「惻」という漢字が見慣れないですよね。でも部首である「りっしんべん」に表されているように、「心を測る」=「相手の心を推し量る」ことを意味しています。「隠」については、「かくす」という意味のほかに、「慇」(イン)と同じく「相手をいたむ」という意味があります。ですから「惻隠」という熟語で「相手に寄り添って心配する」という内容になるのですね。
 「惻隠の情」という言い回しには出典があります。中国の古典『孟子(もうし)』です。孟子は中国の思想家で、その言葉や行いをまとめた書物が『孟子』になります。今からおよそ2300年前、紀元前4~3世紀、中国の戦国時代にあたりますよ。『孟子』には次のような一節が登場します。「井戸に落ちそうになった子どもを見たら、思わず手を出して助けようと思う」と。この気持ちを「惻隠の心」と表現したのでした。相手の立場になって同情するという「人間らしい」感情の一つとされています。この「人間らしさ」を突きつめて、孟子は「性善説(せいぜんせつ)」を唱えました。ここでいう「性」とは「天から与えられた人の本質」を意味しています。また「善」とは「道徳的に正しいこと」という意味です。ですから「性善説」というのは「人は本来、善である」ということになります。危険にさらされた幼子を見るに見かねて助けようとする気持ちを、人間なら誰しも持ち合わせているという考えですね。
 ですがここで少し注意が必要です。「性善説」をあまりに素朴に理解してしまうと、「人間は存在そのものが善である」という楽観的な解釈になってしまうのです。「何もしなくても立派である」と。孟子の教えは違います。「善は絶えざる努力によって開花され」そしてその結果「立派な人間になれる」というものなのです。「惻隠の情」は、いわば「種」のようなものであり、「開花」させるためには努力も必要になるということです。孟子はこれを「惻隠の心は仁(じん)の端(たん)なり」と表現しました。「仁」というのは「人を思いやる気持ち」のことで、道徳的に人として正しい生き方を示す言葉になります。人間が生まれつき持っている「惻隠の情」からスタートして、完成形である「仁」を目指して努力すること。自然の心の延長線上に徳はあるのだから、「人間ならばできるはず」というのが「性善説」の持つ意味なのですよ。
 さてこの「惻隠の情」について、「これは人類学的真理なんです」と解釈するのが思想家の内田樹先生です。あまりなじみのない「人類学」という言葉が出てきました。「経済学」や「物理学」ならば知っていますよね。「経済学」を「経済についての学問」と考えれば分かるように、「人類学」も同じように「人類についての学問」ということなのでしょうか?その通りです!東京大学にも「人類学研究室」があります。研究室のホームページには次のような「人類学とは」という紹介が載せられていますよ。「ヒトは、大きな脳を持ち、二足で歩き、言語で互いに意思疎通を行い、自らの生息環境を脅かすまでに文明を発達させた、極めて特異な生物です。『人類学』とは、このヒトという特異な生物が、なぜ、どのように誕生し、どのような生物学的特徴を持った存在であるのかを、科学的に明らかにしようとする学問です。ただし、ヒトは『文化』を持っている点でほかの動物と本質的に異なっています。このため現在の人類学は、便宜上ヒトの生物的特質を研究対象とする『自然人類学』と、文化的特質を研究対象とする『文化人類学』に分かれています。」
 ここでぜひ皆さんにも知っていただきたいのが、この「文化人類学」という学問です。人類の文化的側面を研究する学問ですね。文化によって異なって見える「生活様式・言語・習慣・ものの考え方」などを比較研究して、そこに人類共通の法則性を見い出そうとするものだと理解してください。世界には多様な文化と社会が存在します。そんな「異文化」を俯瞰して、「人類」という大きなスケールで「社会とは?」「文化とは?」そして「人間とは何か?」を考えることが文化人類学なのです。「現代文」の重要なテーマの一つにもなります。
 話を元に戻して、「惻隠の情」が「人類学的真理」だという話です。内田先生は著書『複雑化の教育論』の中で、「人間は他者からの支援要請を聴き取った時に主体として立ち上がる」とおっしゃっています。どういうことでしょうか?「支援要請」というのは、「手をかしてほしい」ということで、もっと端的にいうと「助けて!」というメッセージです。それを受け取った人が「助けなければ」という気持ちになることが「惻隠の情」です。「主体として立ち上がる」というのは、「あなたがいてくれてよかった!」という強力なメッセージが届くことで、「ほかでもないあなた」が承認されるということです。このことは、人は「頼りにされている」という場面で本来の力を発揮できる、ということでもあります。身近な例をあげると、「頼んだぞ!」とバトンを渡されたリレーのアンカーが、自己ベストを更新してトラックを走りぬける、といったケースです。これも「人間とはどういう生き物か?」を考察する人類学的な研究の対象になるのですよ。
 「インクルージョン」

 東京大学が「ダイバーシティ&インクルージョン宣言」を定めました。この宣言は「ダイバーシティ(多様性)の尊重」と「インクルージョン(包摂性)の推進」という二つの項目によって構成されており、「多様性」と「包摂性」が均等な価値を持つことを示しています。そして東京大学が、世界的人材を輩出していくためには「多様性」と「包摂性」を実現することが不可欠である、と考えていることが分かる内容になっています。
 ダイバーシティ(diversity)とは、英語で「多様性」を意味する言葉であり、皆さんも耳にすることが多くなったと思います。集団において、年齢・性別・人種・宗教・趣味嗜好など様々な属性の人たちが集まった状態のことを指しています。東京大学の宣言の中でも、そうした属性によって「差別されることのないことを保障します」とうたわれています。 ダイバーシティは、一人ひとりが自分らしく生きることができる社会をつくるための普遍的価値になります。つまりダイバーシティは、基本的人権に根差し、無条件に尊重されるべき理念なのです。
 一方、インクルージョン(Inclusion)は、英語で「受容(受け入れる)」という意味があり、宣言の中では「包摂性」と訳されています。東京大学といえば、受験生にとっては最も「狭き門」というイメージがあります。その東京大学が「受け入れます」と宣言しているのですから、これはどういう意味になるのでしょうか。この部分の宣言にはこうあります「様々な属性や背景を理由に不当に排除されることなく参画の機会があることを保障します」と。無条件に認められる「多様性」に対して、「包摂性」は「不当に排除されない」という扱いになっています。「不当に」の反対は「公正に」ということでしょう。ですから「不当に排除される」ということの反対を「公正に選抜される」ことだと理解すれば、東京大学で学ぶことが無条件で認められるわけではないことが分かりますよね。さらにインクルージョンに関する決定は「一度きりの最終形ではなく、社会や時代の文脈によって不断に問い直され、見直される」とも表明されています。東京大学の真摯な姿勢がうかがわれます。
 多様な個性と背景、多彩な才能を持つ人々が集まり、差別や偏見を克服する活気にあふれた「東京大学コミュニティ」をつくりたい、という宣言でもあります。総合大学である東京大学の中では、無数の、そして広範囲の活動が、現在進行形で展開されています。そこに「誰でも学べる」「みんなで学べる」という観点で参加が可能になるような地域に開かれた東京大学の姿を、私も卒業生の一人として、また東京大学に隣接する町会コミュニティにも属している一人として、期待してしまいます!
2023.07.07 飽和状態
 「飽和状態」

 「日本が経済成長を望んだところで、もはや成長期も終えた段階ですよ。すでに消費者のニーズもサチっちゃってますから、大幅な回復なんてあまり考えられないと思いますが…」と言うのは、かつての教え子君です。現在、東京大学の博士課程に在籍していて、将来は政府系のシンクタンク(政策立案・提言などを行う研究機関)に勤務したいという希望を抱いている青年です。「そこを何とか考えるのが、君の仕事になるんだろうが!」と、小学生の頃から知っているよしみで、私も遠慮せずに話をします。教え子がこうして今でも訪ねてきて、話を聞かせてくれるというのは、本当に教師冥利につきます。「最近の若者の傾向」を知るという意味でも、私にとって有益かつ貴重な時間となっています。
 今回の会話の中で「今の20代は、こんな言葉の使い方をするのか」と驚いたのが、この「サチる」という言い回しなのです。「サチる」は「saturation(サチュレーション)」という英語に由来します。その意味は「飽和状態」ということであり、そして「サチる」という用法で「飽和状態になる」ことを表しています。飽和状態というのは「これ以上の余地がないほどに、いっぱいの状態であること」を意味しています。理科の実験を思い出してください。水に食塩を「もうこれ以上溶かすことができない」ところまで溶かしたものを「飽和食塩水」と呼ぶのでしたね。濃度が物理的に限界を迎えた状態です。でも、デジタルネイティブ世代である20代が、理科実験から「サチる」という言葉を使うようになったわけではないでしょう。ネットワークで「サチる」というと、通信するための帯域がいっぱいになったり、データの処理が限界に達してしまったりして、「それ以上速度が出ない」という状態を指すのだそうです。ここから「数値が上限となり、これ以上増やせない」状況全般を「サチる」と言い表すようになったようです。
 また、皆さんはこのカタカナの「サチュレーション」を、最近見聞きしませんでしたか?そう「血液中に溶け込んでいる酸素の量」である「血中酸素飽和度」のことを意味していて、「サチュレーションが低下した危険な状態」といった用法で、ニュースでも取り上げられていましたよね。新型コロナウイルス感染症患者の病状を判断する目安として、用いられているものです。指先に装着して血中酸素飽和度を測定できるパルスオキシメーターという機器も注目されましたよね。患者の重症化をいち早く察知することができるからです。
 さて、教え子君が語ってくれた日本経済についてです。例えば、現在日本における自動車の普及率は、一世帯あたり一台を超えています。車を必要とする家族のほぼ全てが、自動車を所有している状態であるといえます。ですから、車を買い替えるといった需要はあったとしても、車がどんどん売れて台数が大きく増えるということは考えにくく、「自動車の飽和」を迎えているのが現状なのです。同様に、日本ではほとんどのモノが飽和しており、もはや量的拡大では経済は成長しない、というのが話の流れになります。
 ここで「経済」を「学習」に置き換えて、少し考えてみたいと思います。経済と同様に学習も、右肩上がりに成長を続けることが理想ではありますが、「学習曲線」と呼ばれる「練習量」と「理解度(習熟度)」の関係を思い出してみて下さい。学習を開始したばかりの「準備期」には、覚えることがたくさんあって、学習はどんどん進みます。そしてこの「準備期」を経ることで、学習者の「知識の受け皿」が広がり、次から次へと吸収することができているという実感がともなう「発展期」を迎えることになります。周りからも「成長しているね」と見られるのは、この時期にあたるのですね。ところが、「学習曲線」はここからあたかも停滞しているように見える「高原期(グラフが平らになる時期)」を迎えることになります。「これ以上知識を増やせない」と感じてしまう「飽和状態」に陥るのですね。ですがこの「サチった」状態こそ、新たな発展期を迎えるための準備期間として極めて重要になるのです。学習者にとっては、頭打ちのようで伸びを実感しにくくなるのですが、この時期にこそ、「量的」拡大から「質的」理解へと進化する大きな転換が行われているのです。本当の意味での「成果」は、このタイミングで獲得されるのだと言えるでしょう。そして理解の質が高まれば、飽和状態だと思われた知識も、さらに発展的に受容できるようになり、「成長する」スピードまで次第に速くなっていきます。学習曲線では「発展期」というステージを、周期を重ねるように何度も経験していくものなのですよ。
 「なるほど。量的な拡大を成長と捉えるだけでなく、質的な豊かさの拡充を成長と見なすのですね。」そうですよ、教え子君。「サチってからが勝負!」という理解で、日本経済の立て直しに向けた新たなビジョンの作成に力を注いで下さいね。
2023.06.07 神出鬼没
 「神出鬼没」

 「前ぶれもなく突然現れたり、急に消えたりすること」を意味する四字熟語ですね。「しんしゅつきぼつ」と読みますよ。「神のように現れたり、鬼のように消えたりする」というのが、文字通りの意味になりますね。「神」や「鬼」というのは、その所在を確認することが難しいという対象であり、当然その「出没」についても、全く予測がつかないということになります。神様や鬼が登場する日本の昔話が元になっている言葉なのでしょうか?実は日本ではなく、中国の古典に由来する言葉だと言われています。それは『淮南子(えなんじ)』という思想書です。「塞翁が馬」(「人生の運・不運は予測できないものだ」という意味の故事成語)の出典として、聞き覚えのある人もいるでしょう。紀元前の二世紀、前漢の武帝の時代に編纂され、政治や兵学、天文や地理にいたるまで、内容は「百科全書」的なバラエティーに富んだものです。その中の、戦いの策略について述べられた「兵略訓」に「神出鬼行(=神出鬼没)」という言葉が登場してきます。漢文を日本語訳してみると次のようになります。「用兵に長けている者の行動は、神出鬼没である。星が輝くように、天がめぐるように、一挙一動は、前触れもなく、傷跡も残さない。動き出す様は疾風の如く、駆け抜ける様は稲妻の如くである」と。迅速な行動こそが肝要である!と強調しているのですね。
 「神出鬼没」と聞くと、私は子どもの頃に観たアニメを思い出します。「神出鬼没の大泥棒!」というセリフとともに、今で言うとグローバルに活躍?する主人公のお話です。世界中の警察が彼を逮捕しようとして血眼になっている、という設定でした。「神出鬼没」も、「血眼」という表現も、このアニメで初めて耳にしたように思います。それを今でも覚えているのですから、「最初の出会い」と言いますか「ファーストインプレッション」は、やはり大事なのだと思いますね。「かっこいいセリフだな」と、子ども心に憧れた感情とともに記憶がよみがえりますから。
 これを現在の世界にあてはめると、「グローバルに活躍していて」、その作品を「皆が血眼になって探している」という条件にぴったりと当てはまるアーティストが思い浮かびます。名前を、バンクシー(Banksi)と言います。イギリスを拠点とする素性不明の「路上芸術家」で、もちろん生年月日も未公表の人物です。世界中のストリート、壁、橋などを舞台に、まさに「神出鬼没」の活動を行っています。最近では、ロシアの侵攻が続くウクライナの首都キーウで作品が発表されましたよね。「柔道着姿の相手を投げ飛ばす小さな男の子」が描かれた壁を、ニュースで見た人も多いのではないでしょうか。
 ところで「壁に絵を描く」という行為は、人類の芸術の起源だと言えるのではないでしょうか。思い出してください、クロマニョン人と呼ばれる現生人類(ホモ・サピエンス)による「ラスコーの壁画」を。歴史の教科書にも載っていましたよね。フランスのラスコー洞窟で発見された野生動物の絵になります。鋭い観察眼に基づいた表現が駆使され、まるで生きているかのような躍動感に満ちた「作品」ですよね。今から約二万年前に描かれたものだとは思えないほどです。もちろん世界遺産にも登録されていますからね。
 さて、「神出鬼没」のバンクシーです。実は東京でも、その作品が発見されているのをご存知でしょうか。2019年1月、東京都港区の東京臨海新交通臨海線(通称「ゆりかもめ」)の日の出駅近くの防潮扉で「1匹のネズミの絵」が見つかりました。トランクケースを持ったネズミが傘を差して、どこか旅行にでもでかけようとする姿を描いた小さな絵になります。実は以前からその場所に描かれていたようなのですが、「1月17日」に突然話題となったのでした。きっかけは、その日に投稿された、小池百合子東京都知事の写真入りのツイッターです。「あのバンクシーの作品かもしれないカワイイねずみの絵が都内にありました!東京への贈り物かも?カバンを持っているようです。」この「つぶやき」を機に、一挙にマスコミの話題となったのでした。
 「本当にバンクシーによる作品なのか?」という検証もすすめられました。現時点でも真贋は確定されていないようですが、「おそらく間違いない」という判断です。というのも、バンクシー自身が編集に関わった初期の作品集『Wall and Piece』の中に、この作品の写真が掲載されているからです。「東京2003」とキャプション(写真の説明のための文字情報)もつけられています。東京都のホームページには「公共物への落書きは決して容認できるものではありませんが」と前置きしたうえで、「地元の方々からは…多くの都民が見学できるようにして欲しい旨の要望があり、日の出ふ頭の賑わい向上にも資することから、絵の描かれた防潮扉が設置されていた場所に近い同ふ頭において展示することとしました。」とあります。現在も、日の出ふ頭2号船客待合所で常設展示されていますよ。皆さんも機会があれば、「神出鬼没」の芸術作品を目の当たりにしてみませんか!
2023.05.22 長寿命化
 「長寿命化」

 中学校PTAの皆さんと懇談をする機会がありました。中学生のお子さんを抱えている保護者の皆さんですから、「子育て」のキャリアも優に十年は超えていらっしゃいます。お話を進めていると「体に無理が利かなくなってきましたよ」といった、お互いの年齢に相応した話題が、ちらほらと出てくるのです。「関節の可動域がどんどん狭まってきましたよね」(いわゆる「四十肩・五十肩」という症状です。)だとか、「いくら寝ても疲れが取れませんよね」(いわゆる「慢性疲労」という症状です。)だといった、体調をめぐって「いつもどこかがよくない」という話で盛り上がったりしてしまうのです。「腰が痛い」というのも「胃がもたれる」というのも、それはもう日常茶飯事なのです。ですからCMでも毎日流れてくるのが「痛みに効く」だったり「すっきり爽快」などといったフレーズですよね。世の中にはどれほど不具合を抱えている大人が多いのか、中学生の皆さんにも分かるというものでしょう。
 それでも大人は、「老朽化」などないかのように、日々仕事をこなしています。もちろん深刻な症状が出てからでは遅いので、健康状態には気をつけているということは大前提です。その上で、体調には波があり、毎日が常にベストの状態であるということは、そもそも「有難い」(めったにない)ことなのだと大人は知っているのです。仕事に関してもそうです。常に順調で何のトラブルもない、ということの方がむしろ例外的なのだと知っています。うまくいくこともありますが、思うようにならないことが次々と続いて、ひっきりなしに調整することを余儀なくされたりするものです。でもそれが普通なのです。人間の行動には、ある意味「不具合」が生じてしまうものだ、という認識が必要なのです。それを「不具合をおそれて行動をおこさない」という判断をしてしまうのは、本末転倒というべきです。たとえ不具合がおきたとしても、「タイミングよく問題が顕在化した」と捉えて、どう対処すればよいかを考えて前進した方がより現実的なのですね。
 ところがこの処世術(社会をうまく生きていくためのスキル)めいた大人の行動様式に「反発」や「軽蔑」を感じてしまうのが、思春期真っ盛りの中学生なのですね。「こうあるべきだ」という理想を掲げて行動をおこしたのに、それにそぐわない事態が生じてしまうと、「それならば行動すべきではない」という判断を下してしまうという傾向ですね。もっと日常的な例で言うと、「思ったようにできないならば、やらないほうがましだ!」と考えてしまうわけです。大人であれば「妥協しながらでも続けることに意義がある」と思うのですが、「全てをリセット」したほうが潔いと考えるのです。「ゼロから作り直そう!」と。確かにこの「スクラップ・アンド・ビルド」(解体と構築)という行動様式は、青春時代の特権ともいえます。「続けることに意味がある」などという大人の常識にとらわれず、「解体しては構築し直す」という発想で、次々と新しいことにチャレンジしていくことも、「自分のやり方」を確立するまでは、とても重要になるからです。長い間の取り組みを通じて既に形骸化してしまったといえるものでも、大胆にスクラップすることが難しくなるのが大人の立場の弱点ですから。
 しかし、では何でも「スクラップ・アンド・ビルド」で!ということになるかというと、もちろんそうではありません。身近な話を紹介しましょう。皆さんが通っている学校の話です。日本の多くの学校施設は、昭和の時代、とりわけ人口増加と都市化の進展した「高度経済成長期」に、盛んに建てられてきました。当時は「建設ラッシュ」とも呼ばれていましたよ。それから50年を経て、学校施設では老朽化対策が大きな課題となっています。しかも「では取り壊して、新しく作り直せばいい」という単純な話にはならないのです。近年、環境保全の観点から様々な分野で「SDGs」がスローガンとして掲げられており、「持続可能性」が追求されています。建設の分野も例外ではありません。既存の建物をメンテナンスしながら永続的に使い続けるという取り組みが実施されています。これが「建て替え」ではない「長寿命化」の考え方です。施設は経年により老朽化します。これは避けられないことです。また、施設に求められる機能も時代とともに変化します。状況に応じた組み換えは必須になります。そうした中で、老朽化した施設を将来にわたって長く使い続けるため、単に物理的な不具合を直すだけではなく、建物の機能や性能を現在の学校が求められている水準にまで引き上げることを「長寿命化」改修と呼ぶのです。
 学校施設は未来を担う子供たちが集い、生き生きと学び、生活をする場です。また地域住民にとっては、非常災害時には避難生活のよりどころとしての重要な役割を果たします。文部科学省では「長寿命化」を推進するため、長寿命化改修の事例集や計画策定のマニュアルなどを公表しています。単なる補修や改修ではなく、長寿命化と同時に時代の進展に応じた施設の改善が可能になるのだと、積極的に後押ししていますよ。アクティブ・ラーニングなどの学習形態の多様化に対応した多目的スペースを整備したり、バリアフリー化を図ったり、子どもたちに不人気のトイレ環境を改善したりと、さまざまな工夫を取れ入れている自治体が事例集では紹介されていますよ。
 鹿児島県鹿児島市「マグマ温泉条例」

 今回紹介するのは鹿児島県鹿児島市で制定された条例です。鹿児島市は九州の南端部近く、福岡市から南へ約280km、熊本市から南へ約180kmの場所に位置しています。福岡市の博多駅を出て、熊本市の熊本駅を通り、鹿児島市の鹿児島中央駅に至る、九州新幹線の路線をイメージしてくださいね。(ちなみに昨年9月に開業したのは長崎を走る「西九州新幹線」ですよ。)鹿児島県内の薩摩半島の北東部および桜島全域を市域としている鹿児島市は、日本百景の一つである鹿児島湾(錦江湾)を有し、湾内には活火山である桜島を擁しています。年間約1000万人(コロナ前の令和1年)の観光客が訪れる観光都市でもあるのです。鹿児島湾西岸の市街地から桜島を望む景観が、イタリアのナポリからヴェスヴィオ火山を望む風景に似ていることから、「東洋のナポリ」と称されていますよ。実際、鹿児島市とナポリ市は姉妹都市盟約の宣言も行っているのです。
 ところでこの「東洋の○○」という表現ですが、社会の勉強をしていると、しばしば目にしますよね。少し確認してみましょうか!
 まず「東洋のマンチェスター」といえば、どこでしょうか?マンチェスターというのは、産業革命によって発展を遂げたイギリスを代表する商工業都市です。サッカーの強豪クラブチームがあることでも有名ですよね。そのマンチェスターに比肩する大都市として、明治・大正・昭和にわたり、紡績や造船など大規模な工場が建設され、人口も大正末期には東京を抜いて日本最大となったこともある、大阪のことをそう呼ぶのでしたね。「天下の台所」から「東洋のマンチェスター」へ、というのが大阪のキャッチフレーズになります。
 では「東洋のルソー」と呼ばれた人物はご存知でしょうか?ルソーというのは、フランス革命の精神的な支柱ともなり、その後の民主政治に大きな影響を与えた思想家です。『社会契約論』を著した政治哲学者でもあります。この『社会契約論』を翻訳し、日本にルソーを紹介したのが、自由民権運動の理論的指導者とも言える「東洋のルソー」中江兆民なのです。1881年には西園寺公望と共に「東洋自由新聞」を創刊し、民権思想の普及に筆を振るいました。1890年に実施された第1回衆議院議員総選挙における当選者の一人でもありますよ。
 さて「東洋のガラパゴス」と称されているのは、どこでしょうか?ガラパゴス諸島は赤道直下の太平洋上に浮かぶ大小の島々からなる火山群島です。エクアドル本土から約1000km西に離れ、ガラパゴスゾウガメなど独特な進化を遂げた固有種が多いことで有名です。同じように、東京から南へ約1000km離れた場所に30余りの島々が浮かぶのが小笠原諸島ですよね。大陸とつながったことのない海洋諸島であることから、独自の生態系を形作っていて「東洋のガラパゴス」と呼ばれているのです。世界自然遺産にも登録されましたね。
 他にも「東洋の○○」は多々あるのですが…、誌面の都合上今回はここまでとします。皆さんもぜひ調べてみてください!
 さてさて、鹿児島市についてでした。百万石の「一番大名」である加賀藩の前田家に次いで、「天下第二の雄藩」と呼ばれた薩摩藩の島津家の城下町として栄えてきました。薩摩藩といえば、鎖国下の江戸時代においても「四つの窓口」の一つとして、琉球王国との貿易を行い、世界の情報も手に入れていましたよ。「四つの窓口」とは「長崎・対馬・薩摩・松前」ですよね。それぞれの交易先は「オランダと清・朝鮮・琉球・アイヌ」になりますよ。江戸時代以前から鹿児島では、大陸や南洋諸島に近いという地理的条件から、琉球を中継地とした貿易が活発に行われていました。大陸文化やヨーロッパ文化の門戸になっていたのです。だからこそ、1549年にフランシスコ・ザビエルが、ここに上陸し、日本初のキリスト教伝来の地となったのですよ。
 市域の中心部から直線距離にして約4kmに位置する桜島は、現在も活発な火山活動を続けていて、鹿児島のニュースでは降灰予報が流されています。活火山を抱えながら、これだけの人口規模を有する都市は世界的にも稀だと言えます。首相官邸のホームページには「現在、我が国には111の活火山があり、世界でも有数の火山国で、桜島等の複数の火山で噴火が発生しています」という記述があるほどです。ちなみに活火山の数が一番多い都道府県は東京都で、21を数えます(伊豆・小笠原諸島にありますよ)。桜島の噴火による大量の降灰や噴石による被害を契機に制定されたのが「活動火山対策特別措置法」(略称は「活火山法」です)になります。近年の御嶽山噴火を受けて法改正がなされ、「登山者」についての規定が定められたことは記憶に新しいところです。
 そんな桜島と結びつきの強い鹿児島市で制定されたのが「鹿児島市桜島マグマ温泉条例」です。ネーミングのインパクトはすごいですが、市民の健康と福祉を増進するために設置された「公の施設」についての条例です。「公の施設」というのは地方自治法に規定があり、図書館や体育館や公園など一般住民の利用を念頭においた施設のことです。市庁舎などは「公共施設」ではありますが、「公の施設」ではないことに注意して下さいね。「桜島マグマ温泉」は住民のための温泉施設です。そしてその管理を「指定管理者」に行わせるために制定されたのが、この条例です。指定管理者制度といって、公の施設をノウハウのある民間事業者等に管理してもらう制度になります。地方自治法に「公の施設の設置及びその管理に関する事項は、条例でこれを定めなければならない」とあることから、鹿児島市が条例提案したのですよ。