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2021.10.25 リアクション
 「リアクション」

 今年の夏は東京でパラリンピック競技大会が開催されましたね。記憶に残る熱戦が繰りひろげられました。個性や能力を自分たちらしく発揮する選手たちの活躍に目を奪われましたよね。今回のパラリンピック競技大会を契機に、われわれ一人ひとりが多様性への理解を深めていくことにつながっていったと思います。「誰もが生きやすい社会を目指して」というのが、大会が掲げた目標です。社会の様々な分野において、ダイバーシティ(多種多様性)とインクルージョン(包括・一体性)を推進していくことが求められています。多様な個性のある人々が、自分らしさを発揮しつつ、違いを認め合い、そしてその違いを活かしながら協力することの必要性を、多くの人々に認識してもらうこと。この大会の意義は十分に果たされたと思います。
 さて私は、パラリンピックの三つの競技で、メダル授与式のプレゼンターを務めさせて頂きました。金・銀・銅のメダルをのせたトレーを、選手の方々のもとに運ぶ任務ですね。組織委員会から「運営貢献者」ということでご指名があったのです。ブリーフィング(事前の説明)では「メダリストにはコングラッチュレーションと、一言お願いします」と連絡があったのですが、メダリストの皆さんが全員「英語圏」出身の選手というわけではありませんよね。せっかくですから、英語だけではなくフランス語・中国語・ロシア語での「おめでとうございます」を確認しておきました。ドイツ語やスペイン語を準備しなかったのは、担当する競技のファイナリスト(決勝戦進出者)にはいらっしゃらなかったからです。ちなみにフランス語では「フェリシタシオン」、中国語では「ゴンシー、ゴンシー」、ロシア語では「パズドラヴリャーユ」になります。でも「カナ表記」を覚えたとしても、「発音」が正しくなければ相手に伝わりませんよね。そこでインターネットの動画を見て、ネイティブスピーカー(その言語を母国語として話す人)の発音を繰り返し耳にしておきました。なんと便利な世の中になったものだと、感心しながらです。デジタルネイティブ世代(生まれたときからインターネットが身近にある世代)である方々にとっては「当たり前」なのかもしれませんが、私が外国語を勉強しようとした何十年前には「夢」でしかありませんでしたよ、本当に。こうしてインターネットの恩恵にあずかった結果、フランスの選手からは「メルシー(フランス語でありがとう)」と、中国の選手からは「シエ、シエ(中国語でありがとう)」と笑顔で返事が戻ってきましたよ!私が事前の準備をしようと思ったのは、このリアクションをイメージしていたからなのです。
 「リアクション」は英語の「reaction」が由来の言葉ですが、日常会話でもよく耳にするようになり日本語として通用していますよね。「反応」という意味になります。「話をふられたときの反応」のことを「リアクション」という言葉で表現することに慣れているのではないでしょうか。大げさな「リアクション」を芸風とするお笑いタレントさんの活躍でおなじみですよね。「reaction」を分解すると「re」+「action」になります。「action」は「アクション」で「行動」「動作」を意味しますよね。「re-」という接頭辞は「再び」「反対に」を意味する「リ」になります。「リターン」や「リフォーム」の「リ」も同じですよ。そう考えると「リ・アクション」を「反・作用」と訳すことができますよね。物理の「作用・反作用の法則」というのは「action-reaction law」になりますからね。
 「作用があればかならず反作用が生じており、その大きさは等しく方向が反対である」これが「作用・反作用の法則」です。「リアクション」をこの「反作用」であると考えると、「アクション」すなわち「行動」をおこす際に注意すべき点が見えてくると思います。相手に対して何らかの働きかけをする場合に気を配るべき点です。物理の法則では相手に作用するのは目に見えない「力」になりますが、人間関係においては「相手に対する関心の度合い」が作用するのだ、と考えてみてください。相手に「無関心」のまま働きかけたとしても、返ってくるのは「無関係ですよね」というつれない対応になります。少しでも「あなたに関心があります」という態度で働きかければ、「私のことを見てくれている」という反応が返ってきますから。メダル授与式の例でいうと「あなたがフランス人であるということを知っていますよ」という意味を込めて「フェリシタシオン」と声をかけると、「メルシー」という笑顔の返事が戻ってくるのです。相手がどんなリアクションをするのだろう?と考えること自体が、相手に対して関心を払っているということになりますからね。

 「みどりのウォーキングコース」

 例年であれば新年会等の会合を通じて、地元町会の皆さまをはじめ各種団体の方々に「今年もよろしくお願い致します」とご挨拶をさせて頂き、あらためて様々なご要望などをお伺いするタイミングでありました。ところが昨年来の「コロナ禍」で、それも叶わぬ事態です。今年の干支は「丑」であります。「牛の歩み」と申しますが、「先を急がず、目の前のことを着実に進める」という指針として受けとめたいと思います。感染症の先行きが見通せない状況の中でも「新しい生活様式」が定着してくるなど、これまでの社会構造のあり方を見直す機会になっています。区政においても、身近なところから確実に進展をさせることが重要になってくるのでしょう。
 「文京区みどりの基本計画」が改定され、「緑化重点地区」が文京区全域に広げられることになりました。「文京区全域をみどりでいっぱいにする!」という意気込みはいいでしょう。にもかかわらず、令和になってからの実績において、「生垣造成補助」「屋上緑化補助」といった文京区の助成事業は、ともに0件という体たらくです。「申請がありませんでした」では、すまされないだろうと厳しく追及しました。文京区の本気度をアピールすれば、その心意気に応じる区民の方は必ずいらっしゃいますし、そうした情報をお持ちの業界の皆さまからの協力も必要でしょう。
 また「文京ウォーキングガイドブック」が改訂されました。コロナ禍において運動の機会が減少する中で、三密を避けながら安全に健康づくりを進められるウォーキングが注目されています。文京区のコースマップが提示されているのですが、「学問の道」「文人の道」「文学の道」と、名所・旧跡を巡るコースになっています。アカデミー推進部に所属するスポーツ振興課が作成するとこうなるのでしょう。しかしながら、「街歩き」ではなく「ウォーキング」が目的のコースです。気持ちよく歩き続けることが重要で、立ちどまって史跡を確認する必要はないわけです。そこでアカデミー推進部に、土木部と協議して「みどりのウォーキングコース」を作成することを求めました。播磨坂の緑道(東京都が「みどりの新戦略」の中で優良空間の例として掲げています)や、後楽緑道(文京区景観創造賞を受賞しています)はもちろんのこと、「接道緑化」(施設や事業所の敷地で、道路に接している部分の緑化)の進んでいる箇所を結んで、オリジナルのコースを作成するのです。「文京区全域を緑化する」という目標を掲げているのですから、特に接道緑化の推進は今後も優先される課題となるでしょう。小さくても改善を進めることが、文京区全体をブラッシュアップすることにつながると確信しています。丑年の今年だからこそ、たゆまぬ歩みを進めていきたいと思います。
 「ふるさと歴史館」

 文京区には「ふるさと歴史館」という施設がありますが、文京区を「ふるさと」だと感じるというのは、そもそもどういった感情なのでしょう。田舎であれば「ふるさと」といえば自然の景観がイメージされます。文部省唱歌の『ふるさと』に描かれているような「兎追いし山」だの「小鮒釣りし川」だの、いつまでも変わらない原風景が思い浮かぶのでしょう。ところが都心も都心にある文京区であってみれば、「変わらぬ姿をとどめているもの」など、そうありはしないわけです。あえて言えば、建て替えサイクルの長い「不動産」こそが、今も昔と同じ姿で残っているものなのでしょう。とりわけ、子どもの頃から馴染みになっている「お店」などは、高齢者となってからも懐かしさとともに「ふるさと」を感じさせるものであると思います。
 ちょうど一年前の1月31日、惜しまれながら閉店した『江知勝』さんはご存知のことでしょう。明治4年(1871年)創業の老舗のすき焼屋さんでした。明治の初めから続いたお店ですので、すき焼屋というよりも文明開化の象徴である牛鍋屋と呼ぶのがふさわしい雰囲気がありました。菊池寛が川端康成と横光利一を引き合わせて「牛鍋をごちそうした」お店であり、つまりは新感覚派が誕生した場所であり、ひいては川端康成をノーベル文学賞に導いたお店であるともいえるのです。川端康成による直筆の芳名録も残されていますからね。
 自民党文京区議団は、『江知勝』さんの歴史的価値と区民の愛着をうったえて、文京区の「ふるさと歴史館」からのアプローチを求めました。「ふるさと」を懐かしむということの意義をあらためて区にも認識してほしいとの思いからです。高齢者の居場所作りと思い出作りに欠かせない「不動産」の公共的な価値は、しっかりと評価すべきです。人生の晩年においては活動範囲も狭くなります。生まれ育ち住み慣れた場所で、自らの人生を振り返りつつ、懐かしい「ふるさと」を感じながら自分らしい生活を最期までおくれるようにすること。地域共生社会の実現が目指されています。国はこれを「我が事・丸ごとの仕組みづくり」と呼んでいます。
 5年後の2025年には4人にひとりが75歳以上という状況に日本は突入します。制度の「縦割り」や、これまでの「支え手」「受け手」という関係を超えて、地域の多様な主体が「我が事」として参画し、分野を越えて「丸ごと」つながることで、本当の意味で地域特性を活かした「文京区版地域包括ケアシステム」の構築が求められているのです。様々な分野との協働を通じた重層的なセーフティーネットをつくりあげること。それは「ふるさと文京」の価値を高めていくものだと確信しています。
2020.11.24 持続可能
 「持続可能」

 最近「持続可能」ということばをよく耳にしませんか?ニュースで取り上げられることも多いのですが、生徒の皆さんにとっても「学校で聞く」機会が多い言葉の一つではないでしょうか。新しく策定された「中学校学習指導要領」において掲げられているのが「持続可能な社会の創り手の育成」だからです。持続可能な社会を創っていくために必要な知識や技能の習得に向けて取り組むことが、教育の大きな目標になっているのですよ。
 この「持続可能」という言葉を見ると、塾講師として教壇に立ち始めた頃のことを思い出します。教室で「今年の入試に出題されると思うから、要チェックだぞ!」と教えていた内容です。それは「地球サミット」についてです。1992年にブラジルのリオデジャネイロで開かれた国連環境開発会議のことで、それまで対立するものとして考えられていた「環境保全」と「開発・発展」を、ともに実現すべき両立可能な課題であると位置づけた画期的なもので、そこでのテーマが「持続可能な発展」でした。
 あれから28年という月日が経ちましたが、現在の子どもたちにも「今年の入試に出されると思うから、要チェックだぞ!」と教えたいのが、「SGDs」についてですね。
 SDGsとは「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」の略称です。そもそもどう発音するかというと「エス・ディー・ジーズ」です。2015年9月の国連サミットで採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」に記載された2016年から2030年までの国際目標になります。持続可能な世界を実現するための17のゴールと169のターゲットから構成され、地球上の誰一人として取り残さない(leave no one behind)ことを誓っています。日本政府としても積極的に取り組んでいますよ。テレビ局がSDGsを取り上げるキャンペーンを開催していることからも、今まで以上にSDGsという言葉を聞くことになるのではないでしょうか。
 「まだピンとこない」という生徒さんには、次のようなたとえで理解をしてもらいたいと思います。「持続可能な学習目標」をたてて勉強を続けることが大切だ、という話です。無理な計画や、無駄な計画では意味がありませんからね。続けることができてはじめて効果が発揮されるのです。何ごとも「持続可能」であるということに価値があるのですよ!
2020.09.23 整理整頓
 「整理整頓」

 整理整頓という四字熟語をご存知のことかと思います。整理も整頓も似たような意味の熟語だと思われるかもしれません。でも「国語の先生」として解説すると、厳密には「違う」ということになるのです。まず共通する部分ですが「乱れた状態にあるものを整えること」「かたづけること」という点になります。ここは同じなのです。その上で「整理する」という言葉には「必要なものと不要なものを分けて、不要なものを処分する」という意味がつけ加わります。「リストラされた」という表現は皆さんも耳にしたことがあると思います。仕事をクビになってしまったというニュアンスで使われることが多いのですが、「人員整理」の結果、職を失ってしまったということなのです。「必要な社員と不必要な社員を分けて、不必要な社員をクビにする」ということなのですね。ですが、決して「人員整頓」とは言いません。整頓には「取捨選択」の意味合いは、あまり強くないと考えられます。そのかわり「優先順位」をしっかりとつけるという色合いが濃くなるのです。どういうことでしょうか?具体的な例を挙げて説明してみましょう。「机の中を整理しなさい!」と言われた場合にはどうすればいいのでしょうか?正解は「机の中を見ていらないものを捨ててしまうことで整った状態にすること」になります。では「机の中を整頓しなさい!」と言われた場合はどうでしょうか?正解は「机の中にあるものを配置し直すことで、使い勝手が良い状態にしたり、何がどこにあるかが明確にわかるようにしたりすること」になります。整理と整頓で、求められるものの違いが明確になりましたでしょうか。
 たくさんのものや色々なもので、雑然としているときに、それを整然とした状態にするためには、まずは要不要の取捨選択をおこなうというプロセスが必要になります。それが整理の本来の意味です。その上で、何がどこにあるのかわかるように秩序立てて並べなおすというのが、整頓の意味になります。ですから整理して整頓するという順序の四字熟語になるわけですね。
 さて、今回皆さんに整理整頓のお話をしようと思ったのには、きっかけがあるのです。東京大学に「ものづくり経営研究センター」という機構があります。そこは日本発の「ものづくりシステム」の国際的な研究拠点であり、とりわけ戦後日本の製造企業が形成した「統合型ものづくり(生産・開発・購買)システム」の理論的・実証的研究を専門に行なうことを目指しています。21世紀の日本から世界へ向けた主体的な知的発信を行ないうる世界最高水準の研究拠点とすることを目的とするセンターなのです。そこのセンター長が東京大学大学院経済学研究科教授の藤本隆宏先生です。先生にお目にかかる機会があり、そこでお伺いしたお話が今回のテーマとなっているのです。藤本教授は「生産管理」という工場でのものづくりのプロセスを専門に研究していらっしゃる先生です。その先生が整理整頓の重要性を強調されたのですよ!あらゆる工場において、一番初めに決めなければならないことは、「物を置く位置」なのだそうです。必ずそこに物があるようにする。一日の作業が終わったら、必ずそこに片付ける。そうした整理整頓ができているかどうかが、効率的な工場になるかならないかの差をうむというのです。日本が世界に発信する「ものづくりシステム」の基本に、整理整頓がすえられているのですよ!
 児童・生徒の皆さんにも、ぜひ伝えなければいけない話だと思っています。
2020.05.07 不要不急
 「不要不急」

 新型コロナウイルス感染症の流行が始まり、わずか数か月ほどの間にパンデミックといわれる世界的な流行となっています。日本でも新型コロナウイルス対策の特別措置法に基づく緊急事態宣言が政府より発令されました。東京都からは都民に対して「不要不急の外出を控える」といった要請がなされています。小中学生にとっても、友達の家に行くことや屋外で一緒に遊ぶことも、避けるよう求められることになります。「家で過ごそう(Stay Home)」という呼びかけのもと、感染拡大防止のため、通院・食料の買い出しなどといった「生活の維持に必要」な場合を除き、原則として外出を自粛しようということになっています。
 「不要不急」という四字熟語を少し考えてみましょう。「不要」は「必要でない」、「不急」は「急ぎではない」、という意味になりますよね。「不要」の反対語は「必要」だとわかりますが、「不急」の反対語はなんでしょうか?「急がなければならない」という意味の熟語ですよね。それは「至急」(非常に急ぐこと)や「火急」(急を要すること)になるでしょう。四字熟語としてはこなれていないのですが、無理やりくっつけると「至急必要」というように「不要不急」の反対語をつくることができるかもしれません。
 「家でどうやって過ごせばいいですか?」という相談を受けることも多いのですが、「勉強してください」という回答以外を期待されているのでしょうね(笑)。こんなときには歴史に学びましょう!時は14世紀、場所はイタリアのフィレンツェです。ヨーロッパでは「黒死病」といって恐れられた感染症ペストが蔓延していました。その最中、都会での接触を避けるため、郊外の別荘にこもることにした男女10人がいます。命が脅かされている不安を振り払おうと、10人はそれぞれ毎日1つずつ物語を語り始めます。それが10日間続いて全部で百の物語がつむぎだされるというお話です。ルネサンス期を代表する文学者であるジョヴァンニ・ボッカッチョの著書『デカメロン』の内容になります。「デカメロンって、あれですか?」ききたいことはわかります。日本の各地に「巨大なメロンパン」を販売するパン屋さんが存在しますからね。もちろん「でかい」でも「メロン」でもありませんよ。デカメロンはギリシャ語の「10日」に由来する言葉なのです。
 日本に先立って緊急事態宣言が出されたイタリアでは、このボッカッチョの『デカメロン』を読み直してみよう、という動きが広がっています。きっかけは「昔の人達はこんなときどうしていたのだろうか?」という問いかけからだそうです。「全部封鎖されてしまった。どこにも行けない。でも毎日の忙しさの中で、思うようにできなかったことに時間を割くことができる。もしかしたらそんなに悪いことでもないのかもしれない」と、不安の中でもできることを一つずつ始めようとしているイタリアの人たちの声が、インターネット上では聞こえてきます。
 皆さんにもぜひ「古典を読む」というチャレンジを始めてほしいと思います。そしてこうした状況の中、世界中で売上げが増加しているという「古典」があることをご存知でしょうか?古典といっても、発表されたのは1947年ですから今から73年前になります。「まるで現在の状況を予言しているかのようだ」と話題になっているその著書のタイトルは『ペスト』といいます。ペストという感染症に翻弄されながらも、その脅威に立ち向かっていく人々を描いた作品です。作者はアルベール・カミュ(Albert Camus)。ノーベル文学賞を受賞したフランスの小説家ですよ。ここで先ほどの「でかいメロンパン」と同じような小話?を一つ。東大のフランス語の授業でのことでした。テキストに登場したCamusを「カマス」と読んでしまった同級生がいたのです。担当の富永教授がさりげなく返しました「君、塩焼きじゃないんだから」と。教室は笑うに笑えない妙な雰囲気に包まれていましたね。話をもとに戻して「古典のすすめ」でした。『デカメロン』を皆さんにお勧めするのは、昭和的な言い方をすると「風紀委員に叱られそう」で、ちょっと躊躇するのですが、『ペスト』はお勧めです!主人公である医師リウーの「こんな考え方はあるいは笑われるかもしれませんが、しかしペストと戦う唯一の方法は、誠実さということです。…僕の場合には、つまり自分の職務を果すことだと心得ています」という言葉は、今まさに胸に迫ってくるものがありますよ。
 「プログラミング」

 「先生!eスポーツで入試が行われるようになるのでしょうか?」教え子君が突拍子もない質問をぶつけてきました。eスポーツというのは「エレクトロニック・スポーツ(electronic sports)」の略称で、コンピューターゲームやビデオゲームを使ったスポーツ競技のことを指します。スポーツというとアスリート(身体運動に習熟している人)を思い浮かべるかもしれませんが、要は複数のプレイヤーで対戦するゲームをスポーツだと解釈してeスポーツと呼んでいるのです。アメリカではすでに、国がeスポーツをスポーツとして認めており、プロゲーマーがスポーツ選手であることも認められています。
 「世界的なゲームメーカーがある日本なのに、まだまだeスポーツの認知度は低いよね。世界からはeスポーツの後進国と呼ばれているくらいだから。いきなり入試に登場することはないと思うよ」と、答えたものの面白い視点だと感じたのでした。現に、早稲田大学の自己推薦入試では、卓球で活躍した生徒や囲碁で活躍した生徒が合格を果たしています。ですからeスポーツで活躍した生徒が合格するのもそれほど遠い未来の話ではないように思えるのです。
 「でも、学校の授業でやることが決まったと聞いたので、授業でやるなら入試にも出るかなと思って」と教え子君は続けます。驚いた私は「教育現場にeスポーツ導入だって!一体どこの自治体の話なの、それは?中高生の放課後の居場所づくりという事業では、多人数で遊べるビデオゲームを導入して成果を上げたという話を聞いたことがあるけれど、あくまで学校外の話だよ。授業でやるってどこで聞いたの?」と逆に質問してしまいました。「中学校の授業で必修化されるって…」「ああ、それはプログラミング教育のことだよ!」
 教え子君は「プログラミング教育必修化」という情報に何らかのメディアで接する機会があったのでしょう。もしかしたらその際にニュース映像で「コンピューターの画面に向かう生徒」というシーンでも目にしたのかもしれません。そこで自分なりの解釈として「学校でコンピューターをさわってゲームをする授業」というイメージをふくらませたのでしょう。でも、もちろんプログラミング教育はコンピューターゲームをする授業ではありませんからね。
 プログラミングとは「プログラムを設計すること」であり、プログラムとは「コンピューターに対する指示」のことです。プログラミング教育とは、コンピューターが情報を処理するためのプログラムを設計することで、論理的な思考力・創造力を身につけることを目的とした教育なのです。文部科学省は新しく改訂された学習指導要領で、2021年から中学校のプログラミング教育必修化を決定しています。「じゃあ先生、プログラマーをみんなで目指すのですか?」eスポーツとかプログラマーとか、言葉はよく知っている教え子君です。プログラミング教育のねらいは「プログラマー(プログラミングを行なう人)」の育成ではありません。「プログラミング的思考」を養うことなのです。文部科学省では「プログラミング的思考」を次のように定義しています。「自分が意図する一連の活動を実現するために、どのような動きの組合せが必要であり、一つ一つの動きに対応した記号を、どのように組み合わせたらいいのか、記号の組合せをどのように改善していけば、より意図した活動に近づくのか、といったことを論理的に考えていく力」であると。プログラミングによって学べる力は「論理的思考力」「自発的な学習能力」「問題解決力」であるといわれています。プログラムは、処理手順に沿って作業しなければエラーが発生してしまいます。エラーが発生した場合には、なぜエラーが発生したのか原因を探り(論理的思考力)、対処方法を自分で考えなくてはなりません(問題解決力)。その際、自ら調べることが必要となるため(自発的な学習能力)、プログラミングは教育内容として優れているというわけです。「ということは、プログラミングが入試に出るようになるのですね!」と教え子君。
 今回の学習指導要領の改訂では確かに「プログラミング教育の必修化」が打ち出されましたが、それは「授業で扱う題材として必ず取り上げるように」という意味で、「科目」として独立するわけではありません。文部科学省が提示している「モデル授業」でも、様々な学年での取り組みが示されていますが、何年生で取り上げても構わないという扱いですので、学校によっては扱う学年が違ってくるのかもしれません。科目ではありませんので、高校入試での「受験科目」になることも、現時点ではないと考えられますよ。
 授業のスタートに向けて、各学校では「外部の専門家を招いて担任の先生への講習会」が盛んにおこなわれています。私の友人も、都内の学校に講演に出向いています。どんな内容を話したのか聞いたところ「ゴール(目的)から逆算して、何をすべきなのかを考えることのできる」思考法を身につけさせることが重要だ、ということだそうです。コンピューターをいじれる、というイメージが先行していますが、そうではないオーソドックスな「思考法」についての教育になりそうだ、とのことです。eスポーツはゲームの操作や戦略を競うものですので、プログラミング教育とは直接的には関係してこないですが、「面白いゲームをつくるという目的のためには、どんな工夫が必要なのか」といったプログラミングの導入に、ゲームが取り入れられることは大いにありうると思いますよ
2019.11.29 国土強靭化
 「国土強靭化」

 記録的な大雨をもたらした台風19号は、東日本の広範囲で甚大な被害を発生させました。お亡くなりになった方々に心からお悔やみを申し上げるとともに、被災者の皆さまにお見舞いを申し上げます。気象庁が注意喚起のために使用する「これまでに経験したことのないような大雨」や「数十年に一度の大雨」といった表現が、毎年のように繰り返されています。自然災害の多発時代が到来したのではないかと思えるくらいです。
 「安心安全のまちづくり」を標榜している東京です。確かに、英国・エコノミスト誌の調査部門「エコノミスト・インテリジェンス・ユニット(EIU)」が発表した「世界の都市安全性指数ランキング」では、3年連続で東京が「世界で最も安全な都市」に輝いています。しかしながら、同じ英国の保険取引市場のロイズがケンブリッジ大学と共同で作成している「ロイズ都市リスク指標(CRI)」で発表された「災害による経済的損失額の推計」では、なんと東京が世界279都市の中で最大に位置付けられました。ひとたび災害に見舞われると東京の受ける経済的損失は莫大で、損害保険というリスク計算を生業としているプロからすると「東京は危ない」ということになるのです。
 そこで重要なのがリスクを知ることです。そのために自治体が作成しているのがハザードマップ(被害予測地図)になります。自然災害による被害を予測し、その被害範囲を地図化したものです。文京区には「文京区水害ハザードマップ」「神田川洪水ハザードマップ」「文京区土砂災害ハザードマップ」の三つが用意されています。
 「ここにいてはダメです」と表紙に書かれた水害ハザードマップを作成した江戸川区が話題になりました。荒川と江戸川が氾濫すると、区内のほぼ全域が浸水するという最悪の想定が示され、被害の発生前に区の外に避難をするよう区民に求めたのです。戸惑いの声があがる一方で、被害の大きさを率直に伝える内容を評価する声も多くありました。それでも「ここにいてはダメ」と行政に指摘された場所の、たとえば不動産価値は影響を受けないでしょうか。
 われわれは、ハザードマップを作成するだけではなく、「もう一歩踏み込むべきではないか」と考え、文京区にも要請しています。それは、浸水区域や土砂災害警戒区域を指定する側の責任についてです。危険性を指摘するだけではなく、脆弱な部分を強靭化する責任も果たすべきではないかと考えるのです。弱点があるならばその対応策を考え、重点化・優先順位付けを行った上で、しっかりと強靭化を行うべきです。その結果、「災害に強いまち」が形成されるならば、区内の不動産価値も上がるのではないでしょうか。文京区で「国土強靱化地域計画」を策定することを求めて、行政に一層の働きかけを行っていきたいと思っています。
 「超スマート社会」

 「Society(ソサエティ)5.0」という言葉を最近よく耳にすることがありませんか?「なんとなく、新しい時代がやってくる」といったニュアンスで受けとめているのではないでしょうか。では、わざわざ小数点をつけて表されている「5.0」とはなんでしょうか?ソフトウェアの更新などに使われる言葉に「バージョンアップ」(機能やサービス内容の更新)がありますが、その更新される範囲や規模などの違いによって呼び方が異なることがあります。ソフトウェア全体を大きく更新するのが「メジャーバージョンアップ」。その場合には「Ver.1.0」から「Ver.2.0」へと変更されます。そして部分的な修正による更新を行うのが「マイナーバージョンアップ」。その場合には「Ver.1.0」から「Ver.1.1」へと、小数点以下だけを変えて表現されることが多いのです。
 ですから「Society5.0」というのは「大きく更新された5番目の社会」ということになります。それはどういう意味でしょうか?人類がこれまで歩んできた「社会」を、順に「狩猟社会」「農耕社会」「工業社会」「情報社会」ととらえます。現在は「情報社会」という4番目の社会「Society4.0」にあたります。そして、これに次ぐ第5の新たな社会の姿が「Society5.0」と呼ばれるイメージになるのです。日本政府による定義では「サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会(Society)」となります。「ちょっとなに言ってるのか分からない!」というツッコミが入ってもいいのではないでしょうか(笑)。これまでの社会を表す言葉のように「狩猟」「農耕」「工業」「情報」と熟語を使って表現できれば定着していくのでしょうが、まだ「○○社会」のように「Society5.0」を表現することはできないでいます。熟語ではありませんが「超スマート社会」というのがその内容になります。ここで「頭の体操」です!「超スマート」という意味を表す熟語を考えてみるのです。様々な漢字を組み合わせて、ぴったりの表現を探してみましょう。「電脳社会」なんていうSF的な表現も、当たり前になるのかもしれませんよ。ちなみに中国語では「電脳」といえばコンピューターのことですので、違和感はあまりないのかもしれません。
 これまでの情報社会では、あふれる情報の中から自分達に必要な情報を見つけて分析、判断する作業が必要でした。これからの超スマート社会では通信技術の発達と膨大なデータを蓄積して処理する技術によって、全ての人とモノがつながり、様々な知識と情報が共有され新たな価値が生み出される時代になるというのです。今でも、われわれはインターネットを通じてあらゆる情報にアクセスしているように思います。でもそれが情報社会の限界なのです。現実空間にいる私たちからサイバー空間にある情報にアクセスをしているという状況、この状況自体が更新されるのです。超スマート社会では、サイバー空間にIoTを通じて蓄積されたデータがAIを利用して分析され、逆に、現実空間へ新たな価値として提供されてくるということになるわけです。こうした、現実空間とサイバー空間の間でデータが循環する社会を、「データ駆動型社会」とも表現します。
 「Society5.0」において経験する変化は、これまでの延長線上にない劇的なものになります。ではそうした新しい令和の時代を生きる子どもたちにとって、必要な教育とはどのようなものになるのでしょうか?インターネットを使った調べ学習、というのがこれまでの情報社会でのスタイルでしたが、これにとどまらず、学習のあり方そのものが大きく変わっていくでしょう。超スマート社会では、教育用 AI が発達し普及していくことにより、AI が生徒個人のスタディ・ログ(学習履歴)や健康状況等の情報を把握・分析し、一人ひとりに対応した学習計画や学習コンテンツを提示することが可能になるというのです。「いつでも、どこでも、簡単に」最適化された情報がやりとりされるようになれば、学習機会の考え方自体が変化します。生徒全員が同じ授業を同じ教室で受けるということの必然性がなくなっていくのかもしれません。けれども、人と機械が複雑かつ高度に関係し合う社会となっていく中で、あえてAI によっては代替できない「人間ならではの営みとは何であるのか」を問い直すことは、どうしても必要になると思います。その答えを、一人ひとりが自分のこととして受けとめて、考えなければならない社会が到来するともいえますね
2019.07.31 目からうろこ
 「目からうろこ」

 「目からうろこという実感がなければ、情報として伝わることはありませんよ!」と、情熱的に語ってくださったのは、東京大学高齢社会総合研究機構の飯島勝矢教授です。高齢者医療の最前線で活躍しながら、政府の諮問機関にも専門委員として参画して活発な提言をなさっている先生です。直接お話をうかがう機会があったので、いくつか質問もさせていただきました。寝たきりの高齢者にならないようにするためには予防が大切である!というテーマでしたから、私の教え子たち(小・中学生)にとっては、まったくといっていいほど関係のないお話になります(笑)。私も「これは小・中学生にとっても大切な内容だから、しっかりと質問して教え子たちに伝えよう」とは、少しも考えていませんでした。実際、お話の中では「筋肉量の低下にともない身体能力は落ちていってしまうので、筋肉量を維持するためにタンパク質を摂取することが極めて重要である」ということが強調されていたのですから。小・中学生にタンパク質の重要性をわざわざ伝えようとは思いませんよね。ところが、お話をうかがっているうちに「これは教え子にも伝えなければ!」と気づかされたポイントがあったのです。それが冒頭で紹介した「目からうろこ」という情報の力になります。
 「目からうろこ」というのは「目からうろこが落ちる」という言い回しを略して使っているものです。もともとはキリスト教の新約聖書の中の言葉になります。「すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった」(『新約聖書』 使徒言行録9章18・19節)。うろこで目をふさがれた状態でよく見えなかったものが、急にそのうろこが落ちて鮮明に見えるようになったということから、本来は宗教的な意味で「誤りを悟って迷いから目覚める」という内容だったのですね。今では「あることをきっかけに、わからなかったことが急に理解できるようになることのたとえ」として使われるようになっています。今回紹介している「目からうろこ」体験というのも、「お話をきっかけに、なるほどそういうことか!と理解することができた」という意味で使っています。
 さて、タンパク質の摂取が重要だというお話でした。先生はおっしゃいます。「健康のために必要なことなんて皆さんわかっていますよ。適度な運動、規則正しくバランスのとれた食事、質のよい十分な睡眠。情報がたくさんあふれている時代ですから、だいたいのことは皆さん知っている。タンパク質をとりましょうという話だって『初めて聞きました。そんなに健康に重要なことだったのですか』なんて驚く人はいませんよ。」高齢者の方々を対象にした健康セミナーでお話をしている場面を想像してみてください。健康な体を維持するためには一日にタンパク質を60g摂取しなくてはなりませんよ、と説明したとしても「大丈夫ですよ先生、お肉だってお魚だって食べていますから」と、聞き流されるのがオチだというのです。だからこそ、伝え方に工夫を凝らさなければならないのです。「では一日にお肉をどれくらい食べていますか?」という質問をして「お肉ばかりではないですが、豆腐や納豆だってタンパク質でしょ?100gくらいは合わせて食べていますよ!」と自分たちが食べている量に関心を向けさせます。「では200gのステーキをペロリと食べられますか?」と、あえて挑発的な?質問をして「毎日は無理でも、まだまだそれくらいは食べられますよ!」との発言を引き出して、これで文句はないでしょうと思わせるのです。そして最後に「では200gのステーキに含まれるタンパク質の量は何gだと思いますか?」と畳みかけるように質問をして「えっ?」と考えさせるのです。お肉を200g食べればタンパク質も200gとったことになると単純に考えていた人はあわてます。お肉はタンパク質のかたまりだと思っていましたからね。そこで遠慮がちに「100gくらいでしょうか?」と半分ほどに下げて答えてみて様子をうかがう人が多いのだそうですが、正解を聞いて衝撃を受けます。「200gのステーキには35gのタンパク質しか含まれていませんよ。」「なんですって!では60gのタンパク質をとろうとすればステーキを何g食べなくちゃいけないんですか!そんなには無理ですよ!」とようやく「自分のこと」として受けとめることになるというのです。「目からうろこ」の知識であってこそ、行動に影響をあたえることができるのです。
 「健康になるための情報」を伝えたとしても、それを「自分のこと」として受けとめて、行動や生活を変えようと思えるまでにはなかなかいたりません。そうした相手の心にまで届くのが「目からうろこ」と感じさせる情報の力だというのです。このことを「学力をアップさせるための情報」に置きかえれば、小・中学生にとっても切実な話題ではないでしょうか。「全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)」の分析結果が文部科学省から公表されました。学力が高い生徒がどのような生活習慣にあるのかが明らかになっているのです。「朝食をしっかりと食べる」「本や新聞などに親しむ」そんな生徒は学力が高い傾向にありますよ!と、耳にたこができるほど聞かされた内容でしょう。それを「自分のこと」として受けとめるためには、やはり伝える側の工夫も必要だということですね。「朝食をしっかり食べる」の「しっかり」とは具体的にどういったことなのか?という問いかけが不可欠です。時間をかければいいのか、量を増やせばいいのか、品目を増やせばいいのか、家族との会話が必要なのか、一歩ふみ込まなければ朝食のイメージが共有されませんよね。「本や新聞などに親しむ」というのも「親しむ」とはどのレベルなのか?具体的な数字に落とし込まなくてはなりませんよね。せっかくの国家プロジェクトなのですから、分析の結果を生徒に伝える際の工夫にこそ意を注ぐべきであるということを、教育委員会に対しても求めていこうと思います!