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2024.01.30 市民主役条例
 福井県鯖江市「市民が主役のまちづくり条例」

 今回紹介するのは福井県鯖江市で制定された条例です。首都圏在住の皆さんが福井県の鯖江市に行こうと思ったら、公共交通機関は何を使って向かうことになるでしょう。太平洋側から日本海側への移動ですので、飛行機を使うべきでしょうか?それとも北陸に属する県ですから、北陸新幹線を使うとよいのでしょうか?どちらも3時間台で、東京からなら鯖江まで到着できますよ。飛行機でしたら、羽田から小松空港まで飛びます。でも小松空港は福井県ではなく、石川県にありますからね。残念ながら福井県には航空路線の定期便が飛んでいる空港がないのです。小松空港からは、バスなどで小松駅に向かい、そこから北陸本線の特急「しらさぎ」号(名古屋行)に乗り込んで、鯖江まで進むことになります。北陸新幹線を使うなら、東京駅から「かがやき」号(金沢行)に乗り、終点の金沢から北陸本線に乗り換えて特急「サンダーバード」号(大阪行)を使えば、鯖江に着きますよ。2023年度末のスタートを目指している北陸新幹線の金沢・敦賀間の延伸プロジェクトが完了すれば、福井駅が開業することになりますので、もっと時間は短縮されるでしょうね。でも現時点において、最も短時間で、東京から鯖江に到着できるのは、東海道新幹線を利用したルートなのです。東京駅から「のぞみ」号で名古屋まで乗り、「ひかり」号に乗り換えて、米原まで進みます。そこから北陸本線の特急「しらさぎ」号(金沢行)を使って鯖江に到着するのですね。
 さて鯖江市のイメージキャラクターをご存じでしょうか。「ちかもんくん」という名前の「文化系癒しキャラクター」(鯖江市のホームページより)が活動していますよ。「ちかもん」を漢字で書くとするならば「近門」になるでしょうか。井原西鶴、松尾芭蕉とともに元禄文化を代表する、浄瑠璃・歌舞伎作者「近松門左衛門」のことなのです。近松は鯖江で生まれたのですね。「近松のまち さばえ」として、市はPRに努めていますよ。「劇作家として大成するうえで、幼少期を過ごした鯖江の豊かな自然や人情は、彼の生み出した作品に大きく影響したことと思います」と、鯖江市はアピールしています。
 もう一つ「〇〇のまち さばえ」というキャッチコピーがあります。それは「めがねのまち さばえ」です。眼鏡フレームの国内生産シェアの、実に9割以上を誇っているのです。鯖江市における眼鏡フレーム製造の歴史は、明治期にさかのぼります。農業が中心の土地であった鯖江ですが、冬になると雪に埋もれてしまうのです。日本海側気候の特徴ですね。この農閑期の冬場に安定収入を得る方策として、当時眼鏡作りが盛んであった大阪から職人を招いて、眼鏡の製造技術を伝えてもらったことが始まりだといわれています。実に1世紀以上の歴史があるわけですね。けれども「伝統的工芸品」には指定されていません。なぜなら、伝統的工芸品の指定を受けるための「要件」を満たさない部分があるからです。それは、「伝統的に使用されてきた原材料が主たる原材料として用いられ、製造されるものであること」という点ですね。プラスチック(セルロイド)や、現在はチタンででも製造されている眼鏡フレームですから。同じ北陸工業地域に属し、ノーベル賞の晩餐会で使用されることでも有名な、新潟県燕市の洋食器(スプーンやフォークなど)も、同様に伝統的工芸品には指定されていませんよね。さらに同様に、国内シェアも9割以上を誇っているんですよ。北陸にはこうした「地場産業」が発達しています。「伝統的な原材料」でこそありませんが、「一定の地域において少なくない数の者がその製造を行い、又はその製造に従事しているもの」という伝統的工芸品の要件にはぴったりの産業なのです。眼鏡フレームの製作には、多いもので200以上の工程が必要になります。専門工程ごとに分業が行われて生産されるため、関連する「眼鏡産業」に従事する人の数も多く、鯖江市の人口の約1割が携わっているという統計もあります。
 そんな鯖江市で、2010年(平成22年)4月1日に、「自分たちのまちは自分たちがつくるという市民主役のまちづくり」を進めることを目的とした「市民主役条例」が施行されました。「市民一人ひとりの前向きな小さな声を集め建設的な大きな声とすることにより、思いを一つにし」と条文にあります。この「市民一人ひとりの前向きな小さな声」をかたちにしようとしたのが「鯖江市役所JK課」(JK=女子高生)というユニークなプロジェクトなのです。これまで、市役所や公共サービスに直接関わることの少なかった市民である地元の女子高校生たちが、主役となって柔軟な視点で自分たちのまちを楽しく面白くしていくための新しい企画やアイディアを出していこう!というものです。そしてこの活動に刺激を受けて、なんと新たに「鯖江市OC課」(OC=おばちゃん)も立ち上がりましたよ。
 鯖江市を含む福井県は「共働き率全国1位、女性就業率全国2位」という、国勢調査に基づく集計結果が出ています。この理由が、先ほど確認した歴史的な産業構造によって説明されることがあります。すなわち「眼鏡産業」といった基幹となる地場産業に、女性が家の近くで働き手として活躍するケースが多く見られたからだ、と。さらには、母親が働く姿を見てきた子どもたちにも、「自分も大きくなったら働きたい」という価値観が根づいたのでは、と説明されるのです。「市民が主役」といった場合に、「女子高生」や「おばちゃん」という女性たちが注目されるのも、こうした背景があるのかもしれません。この「市民参加による住民自治や新しいまちづくり」を進めてきたことが評価されて、鯖江市は総務省から「ふるさとづくり大賞」を表彰されていますよ。
 鳥取県岩美町「バーベキュー禁止条例」

 今回紹介するのは鳥取県岩美町で制定された条例です。岩美町は鳥取県の最東北端に位置していますよ。ですから他の県と接していることになります。どこだかわかりますか?兵庫県の新温泉町になります。新温泉町は兵庫県の最西北端ということにもなりますね。ともに日本海に面していますので、これ以上北に陸地はなく、東西に並んで接しているのです。日本海側気候であり、豪雪地帯に指定されていますよ。
 岩美町は、町の全体がユネスコ世界ジオパークに認定された「山陰海岸ジオパーク」エリアの中にあることでも知られています。「ユネスコ世界ジオパーク」というのは、国際的に価値のある地質遺産(科学的に重要な地質・地形)を保護することで、自然環境や地域の文化への理解を深め、さらには科学研究や教育、地域振興等に活用することによって、自然と人間との共生及び持続可能な開発を実現することを目的とした事業になります。現在、世界で46か国・177のユネスコ世界ジオパークが認定されており、日本からは「山陰海岸」を含めた9地域(他に、洞爺湖有珠山、糸魚川、島原半島、室戸、隠岐、阿蘇、アポイ岳、伊豆半島)が登録されていますよ。どの点が「科学的に重要」なのかと言いますと、岩美町の「浦富海岸(うらどめかいがん)」は、東西約15kmにわたるリアス式海岸であり、さらに「海が作った彫刻」と呼ばれる美しい海食地形となっているところです。日本海の荒波と風雪によって浸食された断崖絶壁、洞門、洞窟、奇岩が並んでいるのです。そこに白砂青松の砂浜も広がっており、山陰海岸国立公園の名勝としても知られていますよ。
 また、岩美町は「冬の味覚の王者」と称される「松葉がに」の漁獲量日本一を誇る町でもあります。「松葉がに」とは成長したズワイガ二の雄のことで、山陰地方での呼称になります。北陸地方では「越前がに」と呼ばれていますね。立冬の頃に行われる松葉がにの初セリは、山陰に冬の訪れを知らせる風物詩として知られていますよ。その11月の第4土曜日は鳥取県「松葉がにの日」として指定されています。平成16年10月に岩美町制施行50周年を記念して制定されたのでした。由来は江戸時代に記された鳥取藩の文献に「松葉がに」という名称が登場したことによります。『町目付日記』に、11月13日という日付も記されていることから記念日が決まりました。「目付」というのは、江戸幕府及び諸藩における職名の一つで「監察(調査し取り締まること)を務める役」を意味しています。幕府でしたら「大目付」は大名の監察、「目付」は旗本・御家人の監察ですよね。鳥取藩で御用座敷(藩の役人が勤務する場所)の建て替えが行われ、完成の棟上げ式の祝宴に出された献立に「松葉がに」が登場しているのです。他にも鳥取藩主が、岡山藩主や津山藩主に「松葉がに」を贈った記録が残されていて、江戸時代から「由緒正しい鳥取県の冬の贈答品」という扱いだったと考えられています。
 毎年恒例の「学校給食で、一人1杯の松葉がにが提供されました」というニュースは、岩美町の中学校三年生にふるまわれるものですよ。町内の漁港で水揚げされてゆでられたものが、町立岩美中学校の三年生全員に給食で提供されます。甲羅の大きさは10cm以上にもなりますよ。町特産のカニを通じて故郷への誇りや愛着を持ってもらおうと、毎年町教育委員会が企画しているのです。教育委員会は、地域の公共事務のうち、教育・文化・スポーツ等に関する事務を担当する機関として、全ての都道府県及び市区町村に設置されています。それは広く地域住民の意向を反映した教育行政を実現するためなのです。
 そんな鳥取県岩美町で制定されたのが「キャンプ及びバーベキュー等禁止区域に関する条例」です。令和3年4月1日に施行されました。
 新型コロナウイルス感染症の流行以降、「風通しがよい環境下でのレジャー活動」に注目が集まるなか、「アウトドアブーム」とも呼ばれる状況が続いています。屋外でのキャンプやバーベキューを楽しむ人が増えているのです。他方で、多くの人がバーベキューを行うことにより、ごみの投棄や散乱が見られるようになり、さらには悪臭も発生しています。また、騒音や不法駐車の増加等の問題も生じてきてしまいました。このため、条例を制定して、特定の場所以外でのバーベキューを禁止する自治体が現れたのです。
 岩美町の条例では、岩美町内の海岸部でのキャンプやバーベキュー等を規制することにしました。山陰海岸国立公園でありユネスコ世界ジオパークにも認定されている場所ですからね。地域の環境や秩序を守ることを目的とした条例制定です。条例に違反した場合、1万円以下の罰金が課されることにもなります。地方自治法第14条第3項に基づいて、条例の中に罰則規定を設けることができるからです。「決められた場所以外でのキャンプやバーベキュー等はやめましょう」と、岩美町はお願いしています。
 こうした自治体の動きに対して日本バーベキュー協会からコメントが出されています。「バーベキュー規制条例には大賛成。迷惑している人がいる限り、その場所でのバーベキューは禁止するべきと考えています。行って良い場所とダメな場所を、はっきりと明文化する必要があります。」とのことです。また「バーベキューを禁止するというだけでなく、快適で使いやすいバーベキューの環境整備も行ってほしい」ともアピールしています。確かに、バーベキューは人と人を繋ぎ、また地元の物品の販売促進にもなり、地域振興につながりますからね。ルールを守って楽しくアウトドアブームに乗りましょう。
 鹿児島県鹿児島市「マグマ温泉条例」

 今回紹介するのは鹿児島県鹿児島市で制定された条例です。鹿児島市は九州の南端部近く、福岡市から南へ約280km、熊本市から南へ約180kmの場所に位置しています。福岡市の博多駅を出て、熊本市の熊本駅を通り、鹿児島市の鹿児島中央駅に至る、九州新幹線の路線をイメージしてくださいね。(ちなみに昨年9月に開業したのは長崎を走る「西九州新幹線」ですよ。)鹿児島県内の薩摩半島の北東部および桜島全域を市域としている鹿児島市は、日本百景の一つである鹿児島湾(錦江湾)を有し、湾内には活火山である桜島を擁しています。年間約1000万人(コロナ前の令和1年)の観光客が訪れる観光都市でもあるのです。鹿児島湾西岸の市街地から桜島を望む景観が、イタリアのナポリからヴェスヴィオ火山を望む風景に似ていることから、「東洋のナポリ」と称されていますよ。実際、鹿児島市とナポリ市は姉妹都市盟約の宣言も行っているのです。
 ところでこの「東洋の○○」という表現ですが、社会の勉強をしていると、しばしば目にしますよね。少し確認してみましょうか!
 まず「東洋のマンチェスター」といえば、どこでしょうか?マンチェスターというのは、産業革命によって発展を遂げたイギリスを代表する商工業都市です。サッカーの強豪クラブチームがあることでも有名ですよね。そのマンチェスターに比肩する大都市として、明治・大正・昭和にわたり、紡績や造船など大規模な工場が建設され、人口も大正末期には東京を抜いて日本最大となったこともある、大阪のことをそう呼ぶのでしたね。「天下の台所」から「東洋のマンチェスター」へ、というのが大阪のキャッチフレーズになります。
 では「東洋のルソー」と呼ばれた人物はご存知でしょうか?ルソーというのは、フランス革命の精神的な支柱ともなり、その後の民主政治に大きな影響を与えた思想家です。『社会契約論』を著した政治哲学者でもあります。この『社会契約論』を翻訳し、日本にルソーを紹介したのが、自由民権運動の理論的指導者とも言える「東洋のルソー」中江兆民なのです。1881年には西園寺公望と共に「東洋自由新聞」を創刊し、民権思想の普及に筆を振るいました。1890年に実施された第1回衆議院議員総選挙における当選者の一人でもありますよ。
 さて「東洋のガラパゴス」と称されているのは、どこでしょうか?ガラパゴス諸島は赤道直下の太平洋上に浮かぶ大小の島々からなる火山群島です。エクアドル本土から約1000km西に離れ、ガラパゴスゾウガメなど独特な進化を遂げた固有種が多いことで有名です。同じように、東京から南へ約1000km離れた場所に30余りの島々が浮かぶのが小笠原諸島ですよね。大陸とつながったことのない海洋諸島であることから、独自の生態系を形作っていて「東洋のガラパゴス」と呼ばれているのです。世界自然遺産にも登録されましたね。
 他にも「東洋の○○」は多々あるのですが…、誌面の都合上今回はここまでとします。皆さんもぜひ調べてみてください!
 さてさて、鹿児島市についてでした。百万石の「一番大名」である加賀藩の前田家に次いで、「天下第二の雄藩」と呼ばれた薩摩藩の島津家の城下町として栄えてきました。薩摩藩といえば、鎖国下の江戸時代においても「四つの窓口」の一つとして、琉球王国との貿易を行い、世界の情報も手に入れていましたよ。「四つの窓口」とは「長崎・対馬・薩摩・松前」ですよね。それぞれの交易先は「オランダと清・朝鮮・琉球・アイヌ」になりますよ。江戸時代以前から鹿児島では、大陸や南洋諸島に近いという地理的条件から、琉球を中継地とした貿易が活発に行われていました。大陸文化やヨーロッパ文化の門戸になっていたのです。だからこそ、1549年にフランシスコ・ザビエルが、ここに上陸し、日本初のキリスト教伝来の地となったのですよ。
 市域の中心部から直線距離にして約4kmに位置する桜島は、現在も活発な火山活動を続けていて、鹿児島のニュースでは降灰予報が流されています。活火山を抱えながら、これだけの人口規模を有する都市は世界的にも稀だと言えます。首相官邸のホームページには「現在、我が国には111の活火山があり、世界でも有数の火山国で、桜島等の複数の火山で噴火が発生しています」という記述があるほどです。ちなみに活火山の数が一番多い都道府県は東京都で、21を数えます(伊豆・小笠原諸島にありますよ)。桜島の噴火による大量の降灰や噴石による被害を契機に制定されたのが「活動火山対策特別措置法」(略称は「活火山法」です)になります。近年の御嶽山噴火を受けて法改正がなされ、「登山者」についての規定が定められたことは記憶に新しいところです。
 そんな桜島と結びつきの強い鹿児島市で制定されたのが「鹿児島市桜島マグマ温泉条例」です。ネーミングのインパクトはすごいですが、市民の健康と福祉を増進するために設置された「公の施設」についての条例です。「公の施設」というのは地方自治法に規定があり、図書館や体育館や公園など一般住民の利用を念頭においた施設のことです。市庁舎などは「公共施設」ではありますが、「公の施設」ではないことに注意して下さいね。「桜島マグマ温泉」は住民のための温泉施設です。そしてその管理を「指定管理者」に行わせるために制定されたのが、この条例です。指定管理者制度といって、公の施設をノウハウのある民間事業者等に管理してもらう制度になります。地方自治法に「公の施設の設置及びその管理に関する事項は、条例でこれを定めなければならない」とあることから、鹿児島市が条例提案したのですよ。
2023.04.09 そうめん条例
 奈良県桜井市「そうめん条例」

 奈良県といえば通称「海なし県」として知られる「内陸県」(海岸線を持たない県)の一つです。日本国内には8つありますが、奈良県は他の7つの県と切り離されていますよね。本州の中央に並んでいる7つの県は、群馬県・埼玉県・栃木県・山梨県・長野県・岐阜県・滋賀県で、ひとかたまりになって接していますが、奈良県だけは日本最大である紀伊半島の中にポツンと存在しています。この「海なし県」には有名な覚え方がありますので、ご存じの生徒さんも多いと思いますが確認しておきましょう。「グサッとヤナギしなる」ですね。関東地方の群馬(グんま)・埼玉(サいたま)・栃木(トちぎ)、中部地方の山梨(ヤまなし)・長野(ナがの)・岐阜(ギふ)、近畿地方の滋賀(シが)・奈良(ナら)の順で覚えることができるという優れものです。
 ではここで問題です。「海なし県」が8つあるとすれば、「漁港がない県」も8つあると考えますよね。海に面している都道府県には必ず漁港がありますから。でも「漁港なし県」は7つなのです。さてどういうことでしょうか?正解は「滋賀県には琵琶湖で営まれている漁業のための漁港が20もあるから」ということになります。琵琶湖の扱いは大変興味深く、漁業法における農林水産大臣の指定では「海面」に含まれることになります。また、河川法における国土交通大臣の指定では、一級「河川」ということにもなっているのです。ですから、湖とも海ともまた川とも言える特別な存在というわけなのですよ。もう一つおまけの問題です。「海なし県」の8つには、海がありませんので当然、島もないと考えたくなりますが、実は3つの県には島があります。これはどういうことでしょうか?琵琶湖がヒントになりますよね。そう、「湖にうかぶ島」があるのです。長野県の野尻湖には琵琶島(びわじま)が、山梨県の河口湖には鵜の島(うのしま)が、滋賀県の琵琶湖には、沖島(おきしま)・竹生島(ちくぶしま)・多景島 (たけしま)がありますからね。
 さて奈良県の桜井市です。桜井市は、奈良県内の多くの支川(実に157本!)を集めて大阪湾へと注いでいる大和川の上流に位置しています。大和川の源流が桜井市の笠置山地になります。古事記の中で「倭(やまと)は国(くに)のまほろば」とうたわれた地域にあたり、桜井市にある三輪山周辺がその中心地だとされています。「まほろば」というのは「素晴らしいところ」という意味の古い日本の言葉です。JR西日本の桜井駅を通る路線は「万葉まほろば線」という名称がつけられていますからね。6世紀の末に推古天皇が飛鳥(奈良県明日香村)に皇居を移してから始まるのが、いわゆる「飛鳥時代」になりますが、それ以前(「古墳時代」という区分がされることもあります)、古代国家の成立という歴史の舞台となっていたのが、この「やまと」なのです。「やまと」の大王(おおきみ)を中心とする豪族たちの連合政権が形作られていたと考えられていますよね。氏姓制度という仕組みになります。
 そんな奈良県の桜井市で制定されたのが「そうめん条例」なのです。2017年7月7日、七夕の日に施行されました。正式には「三輪素麺の普及の促進に関する条例」になります。そうめん発祥の地は「三輪そうめん」で知られている、ここ奈良県桜井市の三輪地方だといわれており、そこから兵庫県の「播州そうめん」、香川県の「小豆島そうめん」へと製法が伝わったとされているのです。3つの産地は現在「日本三大そうめん」と呼ばれています。この呼び名は2019年開成中学の社会の入試問題にも登場していて、そこから「小豆島」に結びつける理解が求められましたよ。
 さて条例にはこうあります。「三輪素麺は、現在から1200年余り前、飢饉に苦しむ民を救うため、保存食として小麦を挽いて棒状に練り乾燥させたものが時を経て…」とその発祥を語り、続いて「公卿(くぎょう:朝廷に仕える高官)の日記や女官たちの手記によると平安時代以降、宮中や貴族の間で、七夕に食する風習があったとされている」と、歴史的な背景についても説明されています。条例の文言の中にここまで詳しく解説がなされるというのはめずらしいことです。続けて「そのような中、三輪素麺は、本市の優れた地域資源として、桜井市地域ブランドに認定され、更に、他とは違い手延べによる細く白い優れた品質を保持し、国が地域特有のブランドとして保護する『地理的表示保護制度』の登録も受けたところである。このような古い歴史をもつ三輪素麺を積極的にPRし普及するために、三輪素麺を食する習慣を広め、伝統文化への理解の促進及び本市の地域経済の活性化を図るため、この条例を制定する」とあるのです。
 「地理的表示保護制度」というのは、「特定農林水産物等の名称の保護に関する法律」(地理的表示法)に基づき、特定の産地と結びつきのある産品の名称(これを「地理的表示」といいます)を知的財産として保護することを目的としています。農林水産省が、生産業者の利益の増進と、需要者の信頼を確保するために、進めているのです。産地偽装を防ぎ、模倣品を排除するためでもあります。「三輪素麺」の他にも「夕張メロン」や「越前がに」や「神戸ビーフ」などが登録されています。
 2018年には、桜井市で「全国そうめんサミット2018inそうめん発祥の地三輪」が開催されています。実行委員会大会会長である松井正剛桜井市長は「日本の麺文化の歴史は1200年以上になる。豊かな自然風土に育まれ、全国に産地がある。それが一堂に会するサミットを開催できたことは意義深い」と語っていますよ。
 埼玉県さいたま市「ケアラー支援条例」

 今回紹介するのは埼玉県さいたま市で制定された条例です。さいたま市は人口130万人をこえる政令指定都市になります。埼玉県の南東部に位置しており、東京都心から 20~40km 圏にすっぽりと収まっているかたちです。現在20ある政令指定都市の中では、唯一内陸県(海に面していない県)にあります。ちなみに政令指定都市20市の市長によって構成されているのが「指定都市市長会」です。大都市に共通する課題についての話し合いが行われていますよ。最近の「大都市制度実現プロジェクト会議」では、これまでの「特別自治市」という呼称があまり広まっていないことを理由に、新たに「特別市」という通称名を使って情報発信に努めようという決定がなされましたよ。さて政令指定都市であるさいたま市は、行政単位として市の中に区を持つことができます。行政区と呼ばれ、さいたま市には10区あります。桜区・浦和区・南区・緑区・西区・北区・大宮区・見沼区・中央区・岩槻区ですね。このうち「固有名詞」で成立している区について確認してみましょう。すなわち浦和区・大宮区・見沼区・岩槻区の4つになります。
 浦和は埼玉県の県庁所在地でもあり、古くから中山道の宿場町として繁栄してきました。中山道は日本橋を起点に、板橋宿・蕨宿・浦和宿と続きますからね。浦和は三番目の宿場なのです。では四番目は?大宮宿になりますよ!
 大宮は、東北・北海道新幹線の「はやぶさ」「やまびこ」「なすの」「はやて」、山形新幹線の「つばさ」、秋田新幹線の「こまち」、上越新幹線の「とき」「たにがわ」、北陸新幹線の「かがやき」「はくたか」「あさま」「つるぎ」と、5つの路線の新幹線12種が走るという鉄道の結節点であり、東北・上信越方面から首都圏への玄関口になっていますよね。
 見沼という地名は江戸時代の歴史に登場しますよ。「米将軍」と呼ばれた江戸幕府8代将軍の徳川吉宗による「享保の改革」です。幕府の財政を立て直すために積極的に新田開発を行ったのでしたね。財政基盤である石高を増大させるためです。見沼にあった「ため井」(ため池よりも浅い、農業用水をためておくところ)が干拓され、新たに田んぼが誕生しました。そして代わりとなる農業用水の確保のために引かれたのが、利根川を取水口とする約60kmにわたる見沼代用水でした。「見沼の代わりとなる用水」という意味です。現在でも地図帳で確認できる、大きなかんがい施設になります。世界かんがい施設遺産にも登録されていますよ。日本では他にも、福島県の安積疎水、愛知県の明治用水、香川県の満濃池、熊本県の通潤用水など多くの施設が登録されています。国際かんがい排水委員会(ICID)によって、「建設から100年以上経過し、かんがい農業の発展に貢献したもの、卓越した技術により建設されたもの等、歴史的・技術的・社会的価値のあるかんがい施設を登録・表彰する」ために創設された制度です。日本では農林水産省が事務局となっていますよ。
 岩槻は「人形のまち」として知られていますよね。岩槻の人形づくりの歴史は、日光東照宮と深いかかわりがあります。江戸幕府3代将軍の徳川家光の時代、江戸幕府初代将軍の徳川家康をまつる神社として日光東照宮を造営するにあたって、全国から優れた工匠が集められました。岩槻は、日光御成道の宿場町であったため、この工匠たちの出入りが盛んで、また住み着いた者も多くいたといわれています。そしてその中から人形づくりの技術が広まったと伝えられているのです。だからこそ、日光東照宮で見ることのできる豪華絢爛な装飾品の数々には、「岩槻人形」と同じ技法でできているものがあるというのです。「岩槻人形」は、経済産業大臣から伝統的工芸品に指定され、節句人形生産量日本一を誇る埼玉県に、鴻巣市などと共に貢献しています。
 さて「ケアラー支援条例」です。「ケアラー」という言葉にはまだ法律上の定義はありませんが、一般的には、高齢・障害・疾病等により援助を必要とする家族・友人等の身近な人に、無償で介護・看護・世話等を行っている人を「ケアラー」と呼んでいます。その中で18歳未満のケアラーは特に「ヤングケアラー」と呼ばれています。
 ケアラーには、身体的にも精神的にも経済的にも、大きな負担がかかっています。離職せざるをえなかったり、社会から孤立してしまったり、場合によっては心身の不調等から重大な事件につながるようなことさえあります。さらに、ヤングケアラーにとっては、年齢や成長の度合いに見合わない重い責任や負担を負うことで、自身の学校生活や社会生活に深刻な影響を及ぼすこともあります。これまで、行政からの支援の対象といえば、「ケアを受ける立場の人たち」についてでしたが、「ケアラー」=「ケアをする立場の人たち」が抱える問題についても目を向けて支援していくことが、今まさに求められているのです。そうした背景から、昨年の7月1日に施行されたのが、さいたま市の「ケアラー支援条例」なのです。
 「日常生活において支援を必要としている人の周りには、それらの人を支える多くのケアラーの存在があり、それは決して特別な存在ではない」という文言ではじまるこの条例では、「誰一人取り残すことなく、ケアラーを社会全体で支えていく必要がある」ということをうったえ、「一人ひとりのケアラーが自分らしく、健康で文化的な生活を営むことができる地域社会の実現を目指」すことがうたわれています。また同じ埼玉県の入間市では「ヤングケアラー」の支援に特化した条例が、同じく7月1日に施行されていますよ。学校生活や進路などに支障が出ないよう、ヤングケアラーを早期に発見し、社会全体で支える環境を整備することを目的としています。
 新潟県妙高市「希少野生動植物保護条例」

 今回紹介するのは新潟県妙高市で制定された条例です。妙高市は新潟県の南西部、長野県との県境に位置しています。同じ新潟県では上越市と糸魚川市に、長野県では飯山市と長野市とも接していますよ。新潟県の妙高市と上越市と糸魚川市は3市合わせて「上越地方」とも呼ばれています。新潟県を地理的に4つの地域に区分した場合の1つにあたります。他の3つは「下越地方」「中越地方」「佐渡地方」ですね。これはかつて新潟県が越後国と呼ばれていたことに由来し、都である京都に近い方から「上越後」「中越後」「下越後」と区分されていたことによります。「上越後」を略した「上越」が新潟県南西部の地域名として用いられるようになったのです。
 ここで混乱が生じてしまう場合がありますのでご注意下さい!それは「上越」に、もう一つの意味があるからです。上野国(こうずけのくに)と呼ばれた群馬県と、越後国と呼ばれた新潟県を合わせて「上越」と称する呼び方のことです。東京から大宮、高崎を経て、新潟へとつながっている「上越新幹線」は、この「群馬」+「新潟」の意味での「上越」が使われているのです。そしてややこしいことには、「上越妙高駅」という新幹線の駅が存在するのですが、これは上越新幹線の駅ではありません!長野を経て金沢までつながっている「北陸新幹線」の駅になるのです。もちろんこの「上越妙高駅」は妙高市に隣接する上越市にあります。ぜひ地図帳で、上越新幹線と北陸新幹線の路線を確認してみて下さい。新潟県は二つの新幹線が「併存」しているのですよ。今回取り上げる妙高市は北陸新幹線のルート上にあるのです。
 東京駅(東京都千代田区)と金沢駅(石川県金沢市)を約2時間半で結ぶ北陸新幹線です。その走行ルートは、「加賀百万石」で知られる前田家の参勤交代のルートに沿ったものになっているというと驚くでしょうか。加賀藩前田家は、金沢から北国街道(ほっこくかいどう)を抜けて、追分宿(現在の軽井沢町)で中山道へと合流し、江戸へとむかう参勤交代ルートをとっていました。その距離は約480キロメートルで、12泊13日の行程だったといわれています。北国街道は江戸幕府によって整備された脇街道ですが、「善光寺街道」という別名があるように、善光寺への参拝のために整備が進みました。さらには佐渡の金を江戸に運ぶための産業道路として、五街道に次ぐ重要な役割を果たしていました。
 妙高市の名前の由来ともなっている妙高山は「妙高戸隠連山国立公園」に含まれます。2015年に32番目となる国立公園として誕生した新しい国立公園になります。四季折々の美しい景観を見せる妙高山ですが、特に有名なのが「跳ね馬」と呼ばれる雪形(ゆきがた)です。雪形というのは、山に積もった雪が春になってとけはじめ、白い残雪と黒い岩肌とのコントラストが山腹にあらわれることによって、さまざまな姿(鳥や馬や蝶など)に見える模様のことを指しています。妙高山では、妙高市側から眺めると、まるで馬が力強く跳ねているように見える雪形が現れるのです。例年、4月中旬頃になると現れるこの「跳ね馬」は、昔から上越地方で春の農耕の始まりを告げる目安とされてきました。現在でも風物詩として観光名所にもなっていて、妙高市の体育館(「はね馬アリーナ」)や鉄道の沿線名(「妙高はねうまライン」)などに「跳ね馬」の名称が使用されるほど、地元で親しまれています。
 豊かな自然が残る「妙高戸隠連山国立公園」は、国の天然記念物であり絶滅危惧種にも指定されているライチョウの生息地にあたります。また、ヒメギフチョウやゴマシジミ、オオルリシジミなどの貴重な昆虫類が分布し、オキナグサヤマシャクヤクなどのめずらしい草本植物も自生しています。ところがこうした野生動植物は、その希少性の高さから、マニアが捕獲・採集しようとするケースが相次ぎ、さらにはインターネット等で高額で取り引きされる、いわゆるネットオークションにかけられるといった事例も発生しています。環境省が取引を控えるよう、オークション大手の業者に通知を行ったことがニュースにもなりました。
 そうした状況をふまえ、国においては「絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律(略称:種の保存法)」で保護を図るものの、妙高市でも独自に市内に生育する希少動植物を守るために条例を制定したのです。対象となる動植物については、国と県のレッドデータブックなどを参照し、市で環境審議会を開催して専門家に意見を聞き、指定を行いました。オキナグサなど植物6種、ヒメギフチョウなど昆虫9種、ライチョウなど鳥類5種、キタノメダカなど魚類2種の計22種類になります。これらの捕獲、採取、殺傷、損傷を禁止し、条例に違反した場合、1年以下の懲役か、50万円以下の罰金が科せられるというものです。それが令和3年4月1日付けで施行された「妙高市希少野生動植物保護条例」になります。「この条例は、希少な野生動植物が妙高市の自然環境の重要な構成要素の一つであるとともに市民の貴重な財産であり、その保護が生物多様性を確保していく上で欠かすことができないものであることに鑑み、市内に生息し、又は生育する希少な野生動植物を保護し、次代へ継承していくことを目的とする。」とあります。
 市は条例施行後、希少動植物が生息する付近や登山口など約10カ所に「捕獲・採取禁止」と書かれた看板を設置し、市職員や関係者が保護監視活動を行っています。個体数や種類の調査も継続して行われています。妙高市は「人と自然が調和しすべての生命を安心して育むことができる地域」という意味である「生命地域(バイオリージョン)」の創造を掲げて、希少生物保護への理解を呼びかけています。
 栃木県下野市「かんぴょう条例」

 今回紹介するのは栃木県下野市で制定された条例です。「下野」は「しもつけ」と読みますよ。その由来は古く、大化の改新の時代にさかのぼります。「下野国(しもつけのくに)」という表記で東山道の一国として登場します。律令制における地方の行政区分である「七道」は確認しておきましょうね。「東海道・東山道・山陽道・山陰道・北陸道・南海道・西海道」の七つです。東海道や山陰道は、これまでとりあげた条例の中で解説したこともありますよ。今回は東山道です。旧国名を並べてみると「近江・美濃・飛騨・信濃・上野・下野・陸奥・出羽」の八か国となります。ちなみに「上野」は「こうずけ」と読みますよ。「上野国」は大半が現在の群馬県に、「下野国」は栃木県にあたりますので、覚えておきましょう。
 下野市の公式ホームページには「下野市は、関東平野の北部、栃木県の中南部に位置し、都心から約85km圏にあり、首都圏の一端を構成しています」とあります。「首都圏」という表現に疑問符がついてしまう読者のために、正確な意味をお伝えしておきますね。「首都圏」の定義は首都圏整備法の第2条第1項において規定されており「東京都の区域及び政令で定めるその周辺の地域を一体とした広域」となっています。そして「政令で定めるその周辺の地域」については、首都圏整備法施行令第1条において、「埼玉県、千葉県、神奈川県、茨城県、栃木県、群馬県及び山梨県の区域」と規定されているのです。東山道の八か国のうち、上野国と下野国は現在の首都圏にあたるのだと、理解しておいて下さいね。
 「東に鬼怒川と田川、西に思川と姿川が流れる高低差のあまりない、古来より開けた平坦で安定した自然災害も少ない地域です」とホームページは続きます。江戸時代には五街道の一つである日光道中の宿場町(小金井宿と石橋宿)として栄えていました。現在でも、国道4号線が首都圏の中心部と東北地方を結ぶ大動脈として南北に通っており、並行して走るJR宇都宮線(東北本線)の駅には「小金井駅」と「石橋駅」がありますからね。
 そんな栃木県下野市で制定されたのが「かんぴょう条例」になります。令和2年3月に施行されました。第1条にその目的が掲げられています。「この条例は、生産量全国一位の下野市のかんぴょうの生産及び消費拡大に関し、基本理念を定め、…(中略)…、もって本市のかんぴょうに関わる産業の振興及び市民の郷土に対する愛着を深め、豊かで健康的な生活の向上を図ることを目的とする。」下野市はかんぴょうの生産量で全国1位を誇っているのです。ちなみにこうした生産量の調査は、農林水産省が「作物統計調査」や「地域特産野菜生産状況調査」として行っています。「かんぴょう」は栃木県が圧倒的で、全国のシェア(占有率)が99%※をこえています。同じく栃木県が1位の「いちご」では14.3%のシェアですし、和歌山県が圧倒的と思われる「うめ」でさえ58.1%のシェアに過ぎません。「90%をこえるシェア」となる作物は、むしろ例外と言えるでしょう。探してみましたよ!群馬県の「こんにゃくいも」、北海道の「あずき」「てんさい」、熊本県の「いぐさ」などが見つかりました。工芸作物(収穫後に加工して使う作物)にあたるものが多いことがわかりますね。「こんにゃくの原料」「砂糖の原料」「畳表の原料」ですよね。「あずき」も「あんこの原料」なのですが、豆類として「加工せずに食用になる」とも考えられます。
 「かんぴょう」も原料となる夕顔(ユウガオ)の実から作られますよ。栃木県のかんぴょう生産の始まりは、年号まで特定されています。1712年、近江国水口藩(現在の滋賀県甲賀市)から下野国壬生藩(現在の栃木県壬生町)に国替えとなった鳥居忠英公が、かんぴょうの種を水口藩から取り寄せ、領内で栽培を奨励したのがきっかけだったと言われています。江戸時代の化政文化を代表する浮世絵師、歌川広重の代表作ともいえる『東海道五十三次』、その50番目の宿場として登場するのが「水口宿」です。そしてその版画のタイトルが「名物干瓢(かんぴょう)」なのです。初夏の風物として「干瓢作り」が描かれています。筵(むしろ)の上に座った女性が、まな板の上の夕顔の実に一心に包丁を入れています。その後ろには、赤ん坊を背負った娘さんが、「次に切る夕顔の実」を持ったままスタンバイしています。もうひとりの娘さんは、細長く剥(む)かれた夕顔の実を、丁寧に天日干ししています。現在でも「夕顔の実を剥いて干す」という、かんぴょう作りの基本的な作業は変わっていませんからね。
 かんぴょうといえばお寿司の具材として使われます。細長い形から「長生きできるように」との願いがこめられるといいます。節分に1年の幸福や無病息災を願いながら食べる「恵方巻き」にも入っていますね。昨年の2月3日を前にして、当時の金子農林水産大臣は食品ロスを防ぐため「恵方巻きを事前に予約して購入するよう」呼びかけました。2019年に「食品ロスの削減の推進に関する法律」(略称:食品ロス削減推進法)が施行され、企業や小売店でもロスを減らす取り組みが行われるようになっているからです。10月30日が「食品ロス削減の日」と定められ、消費者にむけて啓発も行われています。宴会の食べ残しをなくすため、宴会の最初の30分間と最後の10分間は席について、ちゃんと料理を食べようという「3010(さんまるいちまる)運動」から、「3010」を逆にして10月30日に決められたということですよ。
(※データはいずれも2020年のもの)
 千葉県松戸市「コロナ緊急人権宣言」

 「宣言シリーズ」が続きますが、「連続」は今回がラストです。紹介するのは千葉県松戸市で「緊急に」発せられた宣言になります。松戸市は千葉県の北西部に位置する人口約50万人の市です。東京都とは江戸川をはさんで、葛飾区とほんの少しだけ江戸川区に接していますよ。地図帳で確認すると、松戸市のほぼ中心部を国道6号線がJR常磐線と並びながら縦断していることがわかります。この国道6号線の地元での呼び名が水戸街道です。水戸街道は江戸時代に定められた幹線道路で、五街道に準ずる脇街道の一つになります。千住宿を基点に、松戸宿、取手宿、土浦宿など十九の宿場を経て、水戸に至る約116㎞の行程です。当時は二泊三日で歩いていました。松戸市は水戸街道の宿場町である松戸宿として栄えたという歴史があるのです。なぜ江戸と水戸を結ぶ街道が重視されたのかというと、徳川御三家の一つである水戸徳川家の存在があります。将軍の補佐役と目され、水戸藩主は江戸に生活の本拠を置いていました。参勤交代も求められなかったのです。まれに藩主が国許である水戸に下るときの行列は盛大となり、幕府の役人であろうと土下座して送り迎えしたと伝えられています。時代劇の中で「下に、下に」の掛け声で知られるあのシーンですよ。ただの大名行列では使われない掛け声なのです。「水戸の副将軍」「天下の副将軍」といった言い回しも、現代の時代劇の中だけではなく、江戸時代から講釈師(明治時代からは講談師と呼ばれるようになります)が使っていたそうです。もちろん副将軍という役職は正式にはありませんよ。
 もう一つ、社会の学習で忘れてはいけない松戸市に関するエピソードがあります。それは「二十世紀梨」発見の地であるということです。現在その場所は「二十世紀が丘梨元町」と名づけられ、記念碑や鳥取県から贈られた感謝の碑が立っています。明治21年(1888年)に発見された新種の梨は「これからやってくる二十世紀を代表する品種になる」との思いから「二十世紀梨」と命名されたのでした。鳥取県から感謝されていることからも分かるように、かつては「梨といえば二十世紀梨」で、その生産量の多い鳥取県が梨の生産量日本一を誇っていたのでした…平成の半ばの頃までは。その後、甘みの強い梨の品種である「幸水」や「豊水」の人気が高まり、現在では梨の県別出荷量ランキングは入れ替わっています。栄えある一位は現在千葉県が獲得していますが、むしろ皆さんにとっては「梨の妖精ふなっしー」の宣伝のおかげで、「千葉県が一位」であることの方が知識として定着しているのかもしれませんね。
 そんな千葉県の松戸市で、2020年の8月1日に出されたのが「コロナ緊急人権宣言」です。正式には「新型コロナウイルス感染症の感染拡大に伴う人権尊重緊急宣言」になります。当時の夏休みの頃の状況を思い出してみましょう。国の緊急事態宣言は解除されたものの、感染者数は都市部を中心に再び増加に転じ、依然として予断を許さない状況となっていました。新型コロナウイルス感染症への対応が長期化する中、感染された方やその家族に対して、また、感染リスクにさらされながら人々の健康を守るために最前線で懸命に闘っている医療・介護関係者をはじめとする、社会生活を支えるために日々奮闘している多くの関係者(=エッセンシャルワーカー)やその家族に対して、心無い差別的な発言や偏見に基づくいじめ等が大きな社会問題となっていました。目に見えないウイルスへの不安から、その矛先が目の前にいる人間に向かってしまったのです。感染のリスクは誰にだってあるにもかかわらずです。松戸市では人権尊重と正しい情報と知識に基づいた行動をとることの大切さを、市民にうったえたのでした。
 人権は、いかなる場合でも尊重されるべき基本的な権利であり、日本国憲法の三大原則の一つです。誰もが生まれながらにして持っている、人間の尊厳に基づく固有の権利で、自分も、自分以外の人も、すべての人が「人間らしく、自分らしく生きる」ために必要なものです。偏見や思い込みに起因する差別は、この人権にするどく対立するものです。日本では、法務省などが中心となって差別解消に向けた取組を行っています。世界では、国際連合が人権教育の推進を呼びかけています。「世界人権宣言」はご存知でしょうか。「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ尊厳と権利とについて平等である」。この有名な文言から始まる世界人権宣言が国連で採択されたのは、1948年12月10日になります。人類が20世紀に二度の世界大戦を経験して、多くの尊い生命を奪い、悲劇と破壊をもたらしたことへの反省から、平和と人権の尊重を推進するために採択されたものです。国連はこの日を「人権デー」と定め、人権尊重を世界にうったえています。日本でも毎年12月4日から10日の一週間を「人権週間」として、全国各地でさまざまな啓発事業を実施していますよ。
 歴史上、感染症は人類が繰り返し直面してきた大きな脅威です。日本も例外ではありません。奈良の大仏を建立した聖武天皇の天平時代は、天然痘の大流行期でもありました。大宝律令の編纂に携わった藤原不比等の四人の息子たちが、そろって病死したのもこの時期です。聖武天皇は疫病を鎮める目的もあって大仏を建立しました。そうした伝統を現代にも引き継ぐ東大寺では、新型コロナウイルス早期終息と罹患した方々の早期回復、感染により亡くなられた方々の追福菩提のために祈りを捧げ続けていましたよ。ようやく「感染症の終息」のめどがたってきましたが、感染症に関する「差別・偏見やいじめ等のない」世の中にむけては、これからも目指していかなければなりませんね。
 岡山県総社市「ひきこもり支援宣言」

 今回取り上げるのは岡山県総社市の市長さんが提唱した宣言です。令和元年の8月26日に「全国ひきこもり支援基礎自治体サミット」が総社市で開催され、群馬県安中市長と愛知県豊明市長と滋賀県守山市長と山口県宇部市長と岡山県総社市長の5名による共同宣言が発表されました。「ひきこもり支援基礎自治体宣言書」にそろって署名したのです。そこには「わたしたちは、すべての人々に寄り添う自治体となることを目指し、家族会、当事者の会、福祉関係者とともに、ひきこもり支援に果敢に取り組むことを宣言します」と記されています。呼びかけ人である総社市の片岡聡一市長に直接お会いしてお話を伺う機会がありましたので、宣言の意図もふくめて皆さんに紹介してみたいと思います。
 さて、岡山県総社市といって、具体的に思い浮かぶものがありますでしょうか?首都圏に在住する皆さんにとって「中国地方」というのはイメージしにくいところかもしれませんね。近畿圏に在住する小学生が「関東甲信越」といわれてもピンとこないように、普段から接している情報にはどうしても地域差がありますから。それでも最近は岡山県のPR大使も務める人気お笑い芸人さんがテレビで活躍していますので、「岡山弁」を耳にしたこともあるのではないでしょうか。「おかやま晴れの国大使」として岡山県の魅力を発信していますよ。「晴れの国」というのは、温暖少雨で晴天に恵まれた瀬戸内式気候に属する岡山県のイメージなのです。
 総社市は岡山県南西部の内陸に位置しています。東は岡山市と、南では倉敷市とも接していますよ。北から南を貫いて流れている高梁川は、岡山県の流域面積第1位となる一級河川で、吉備高原を通って流れてきます。「吉備」というのは現在でも岡山県の通称とされ、この地方は古代から吉備国として栄えていました。「吉備という語感がたまらなく好きである」と言っていたのは作家の司馬遼太郎さんで、岡山のことを「桃太郎の末裔たちの国」とも表現しています。吉備団子といえば岡山県の郷土菓子ですよね。桃太郎に登場することでも有名です。この童話「桃太郎」の原型となった「鬼退治伝説」が、吉備では伝えられてきたのです。「古代、吉備には温羅(うら)という鬼がいました。温羅は鬼城山を居城として村人を襲い、悪事を重ねていました。そこで、大和の王は吉備津彦命に温羅を退治するよう命じました。吉備津彦命は、吉備の中山に陣を構え、巨石の楯を築き守りを固め、一方、温羅も城から弓矢で迎え撃ちます。そして激しい戦いの末、傷を負った温羅は鯉に化けて逃走し、吉備津彦命は鵜に変身して温羅を捕まえ退治しました。」この伝説の舞台となっているのが、総社市に点在する史跡群なのです。「古代吉備の遺産が誘う鬼退治の物語」として「桃太郎伝説の生まれたまち おかやま」が日本遺産に認定されたのは平成30年5月のことです。日本遺産というのは、地域の歴史的魅力や特色を通じて、日本文化や伝統を語る「ストーリー(物語)」を文化庁が認定する制度で、さまざまな文化財を国内外に発信することで地域の活性化を図ることを目的としています。これまで保存を重視してきた文化財を、活用することに力点を置いた制度なのですよ。
 ちなみに総社市では、買い物や通院のために出かけるときに電話予約をすると、ワンボックスカーが自宅などに迎えに来てくれて希望する目的地まで送ってくれるという公共の乗り物があります。その名も「雪舟くん」です。なぜ雪舟かというと、室町時代に水墨画を文化の域にまで大成させた、雪舟の生誕の地が総社市だからです。お寺で修業をしていた雪舟が、絵ばかり描くのでしかられて、柱にしばりつけられて泣いていたときに、それでも足の指を使って涙でネズミの絵を描いていたという話は有名ですよね。その逸話が残るのも、総社市にある宝福寺なのです。
 閑話休題、「ひきこもり支援宣言」です。「8050問題」という言葉をご存知でしょうか。80代の親が50代の子どもの生活を支えているという問題です。背景にあるのは子どもの「ひきこもり」です。ひきこもりという言葉が社会に広がりはじめた頃は「若者の問題」とされていました。それから約30年が経過して、当時の若者が50代に、その親が80代となり、ひきこもりの長期化と高齢化が進んでいます。この「8050問題」に取り組む先進自治体の一つが、平成29年に「ひきこもり支援センター」を開設した総社市なのです。
 「小中学校時代の不登校は市の担当、高校生のひきこもりは県の担当、社会人のひきこもりは国の担当なんていう縦割りでは対応できない」と、片岡市長はおっしゃいます。ひきこもりの定義が「義務教育終了後であって、おおむね6ヶ月間以上、社会から孤立した状態にある」というのでは、義務教育期間を担当する市の役割が限られてしまいます。厚生労働省がひきこもり支援として打ち出した生活困窮者自立支援制度も、就労支援の側面が強く、支援の条件に当てはまらない人たちには行き届かないこともあります。住民に最も身近な基礎自治体が、ひきこもりの窓口にならなくては「すべての人々に寄り添う」ことはかないません。「制度の狭間に入りこんでしまい、自ら支援を求めることが難しい人を、支援につなげることこそ政治の役割だ」と、片岡市長はおっしゃいます。地域共生社会の実現に向けて、社会のひずみに光を当てることが、社会全体に安心感を広げることにもなるはずである、という信念が感じられましたよ。
 長崎県壱岐市「気候非常事態宣言」

 今回紹介するのは長崎県壱岐市で制定された宣言になります。いつもは「条例」を取り上げていますが、今回は「宣言」です。では宣言というのは何でしょうか?自治体の出す宣言は「都市宣言」とも呼ばれ、特定のテーマについて、その自治体がどのように取り組もうとしているのかを示すものになります。例えば、モータリゼーション(自動車が生活必需品として普及すること)が進展し、それに伴う交通死亡事故が増加した時代には、全国各都市で「交通安全都市宣言」が制定されました。また、世界的に平和運動が広がりをみせた時代には、「非核都市宣言」「平和都市宣言」などが多くの自治体で制定されました。
 地方議会が議決すべきことがら(議決事件といいます)を定めている地方自治法第 96 条では、宣言は議決事件とはなっていません。ですが、自治体が重視している地域課題を表現するとともに、それに対して積極的に取り組もうとしていることを表明するのが宣言ですから、議会の議決を前提にしている例も多いのです。今回紹介する、日本で初となる「気候非常事態宣言」も、議決によって制定されました。2019年の9月25日、壱岐市議会において可決、承認されたのです。
 エメラルドグリーンの海、新鮮な魚介類。九州の北西沖に浮かぶ島、長崎県壱岐市は観光地としても人気のスポットです。壱岐の周辺は玄界灘とよばれる海域で世界有数の漁場でもあります。対馬海流が流れているため気温の変化は緩やかであり、年間を通して多くの観光客が訪れます。壱岐へのアクセスは、佐賀県の唐津東港からは42km、福岡県の博多港からは76km、同じ長崎県の対馬の厳原からは68km、長崎空港からは94kmになります。ですから長崎県の壱岐ではありますが、佐賀県に一番近いところに位置しているともいえます。またフェリーの便数が最も多いのは博多港からで、長崎港からはフェリーは出ていません。アクセスの起点は福岡県だともいえます。では、なぜ壱岐市が長崎県に所属しているのでしょうか。さかのぼること明治時代、それは廃藩置県に起因します。壱岐は江戸時代には平戸藩に所属しており、平戸藩が長崎県に編入されたことから壱岐も長崎に同時に編入されたということのようです。
 さらに歴史をさかのぼると、壱岐は大変な危機を迎えたことがありました。時は鎌倉時代、元寇とよばれる「国難」に直面しました。文永・弘安の役ともいわれ、当時の資料的表現では「蒙古襲来」ということになります。ユーラシア大陸史上最大の国土を保有したモンゴル帝国が、朝鮮半島を通じて日本に攻め込もうとしてきました。その侵攻の順路となったのが壱岐なのです。壱岐には元の大軍が上陸しました。当時の島民のほとんどが殺害されたといいます。壱岐の芦辺港の近くには、馬に乗った若武者の像が立てられています。その人物の名は少弐資時、19歳にして壱岐をまもって戦死した武人です。壱岐神社では今も島の守護神として祀られています。資時の父である少弐経資は、鎮西御家人を指揮して異国警固番役を勤め、元寇に際しては軍事最高責任者として防戦に活躍した人物です。
 さて、そうした歴史をもつ壱岐で制定されたのが「気候非常事態宣言」です。この宣言を世界で最初に制定したのは、オーストラリアにあるデアビン市になります。2016年に議決されました。その後、欧米を中心に拡大し、現在では世界中で2000をこえる国や地域、組織が宣言を出しています。では、壱岐市が全国に先駆けて宣言を出したきっかけは何だったのでしょうか。壱岐市総務部 SDGs未来課にお話を伺いました。
 「壱岐市が気候非常事態宣言を出した背景には、まず気候変動による自然災害が顕著になってきたことがあります。さらに、海水温の上昇により魚の住処となる藻場が大幅に減少しており、2017年の漁獲量を10年前と比較すると6割も減少したことになります。漁業を主な産業とする壱岐市にとっては大打撃で、藻場を回復させる取り組みも行っていますが、気候変動問題を解決しなければ根本的な解決はできないと考えました」とおっしゃいます。環境面だけではなく、地域の経済面にも影響を及ぼしつつあることが今回の宣言につながったのだといえるでしょう。宣言文では、2050年までにCO2排出量を実質的にゼロにすることが打ち出されました。その方策としては、再生可能エネルギーの活用、省エネルギー、そして4Rの推進をあげています。4Rとは、リフューズ(REFUSE)・リデュース(REDUCE)・リユース(REUSE)・ リサイクル(RECYCLE)の4つの英語の頭文字「R」をとったものです。ごみを減らして、環境にやさしい社会をつくるキーワードになっています。
 しかしながら、気候変動の問題を一自治体だけで解決することは困難です。そのため宣言は「日本政府や他の地方自治体に、気候非常事態宣言についての連携を広く呼びかけます」という一文で結ばれています。「宣言を機に市民の関心を高め、さらには、SDGs未来都市に選定された自治体などとも連携しながら取り組みをすすめていきたいです」と語ってくださいました。
壱岐市の気候非常事態宣言が出された二日前、ニューヨークの国連本部で行われた演説で当時16歳のグレタ・トゥンベリさんが「温暖化対策に失敗すれば、あなたたちを決して許さない」と、各国首脳に対して訴えました。国連のグテレス事務総長が主催して開かれた「気候行動サミット」においてです。将来世代を守るためには行動をおこさなくてはなりません。連携を呼びかける気候非常事態宣言は、将来世代への返答の一つなのかもしれません。