2017.02.02 機運が熟する
「機運が熟する」

 「機運」とは「ものごとがうまくいきそうな、めぐりあわせ」のことです。「機運が熟する」とは、事を行う情勢が十分に整ってくる、という意味を表す慣用表現になります。ここでいかにもオトナの言い回しに相応(ふさわ)しいといえるポイントが、「熟する」という表現を使用しているところですね。「熟」という言葉が「熟年」をすぐさま連想させるからではありませんよ!そもそも「熟年」という表現は、七十年代の後半にできた造語なのです。今では「熟年離婚」なんて見出しが紙面に踊っていたりしますので、すっかり定着した観がありますが…実は比較的新しい言葉なのですよ。急速に日本社会の高齢化が進んで、「働きざかりとは言えないが、老人と言われるのはちょっと…」という年代が増加したことによって、苦肉の策で?生み出されたボキャブラリーであったわけです。
 閑話休題。「熟する」に話を戻します。「円熟」という熟語を思い浮かべてください。用例としては「円熟した芸風」といったように、芸事の世界で誰からも「立派なものだ」と思われるくらい、芸や技が十分に上達していることを意味する言葉ですね。ですから、この「機運が熟する」も、時のめぐりあわせというチャンスが到来した!あたかも偶然に、というニュアンスを醸(かも)し出しながら、その実しっかりと下準備はしてきたことに含みを持たせることができるわけです。お分かりでしょうか。非常に高度な政治的判断を伴う態度表明の際に使用されるケースが多いと言うことができます。すなわち、「決して成り行きまかせではない」という意味合いを込めて使われる、ということですね。
 その「成り行き」を表すことばに「気運」があります。どちらも同じ「きうん」なのですが、意味合いが異なります。それは「機」と「気」のそれぞれの漢字の持つ意味合いの違いによるものです。「機」は、「あることをするのに、ちょうどいいとき。ものごとの起こるきっかけ。」という意味。「気」は、「その場にただよっているもの感じ。目に見えない働き。」という意味。ですから「気運」を使う場合には、時世のなりゆきによってある一定の方向が示されている、というケースが多いですね。用例としては「気運が高まる」という表現になります。
 「改革の機運が熟した」と「改革の気運が高まった」では、同じような表現で、随分とニュアンスが違うのですよ。このあたりの「使い分け」を意識して、演説を聞く際にもチェックしてみて下さいませ!
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