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 「ことほどさように」

 ついつい口にしてしまう言い回しなのですが、 「A、ことほどさように、B」という用法になります。一種の「構文」ですね。実は英語の構文「so…that」の訳語であるとも言われています。Aで述べたことを受けて、Bで述べる事柄の程度を強調する、という役割を果すのです。辞書で意味を確認すると、「没落したら私のところへ誰も足を運ばなくなった。ことほどさように人間は冷淡なものだ。」などという例文とともに、「それほど」や「それくらい」という言い換えの言葉が載っていたりします。確かに「それくらい、人間は冷淡だ」という言い方でも通じますよね。けれども、「ことほどさように」という言い回しには、「それほど」や「それくらい」にはない、ある種の迫力のようなものが感じられるのです。ですからつい口にしてしまうのですが、とある国語学者などは「私の最も嫌いな言葉の一つだ」と断言しています。「真実味が感じられない」「安易なひとりよがりの表現」と、散々に言い募っています(笑)。一体どこがそんなに気に入らないというのでしょうか?
 答えは簡単です。「真実味がない」や「ひとりよがり」という批判の言葉が示すとおり、言葉そのものの意味ではなく、「ことほどさように」という言い回しを使うような人間が嫌いだ!というみもふたもない結論です。この国語学者は、誰か嫌いな人間がよく使うフレーズとして「ことほどさように」を取り上げたのでしょう。
 さて、ある社会学者が次のように「ことほどさように」を使っています。皆さんはどう感じるでしょうか。日本人が「幸せとは何か」という問題について、まともに考えてこなかったという批判を展開しているくだりです。<便利さや快適さ>は数値化できるものであるが、<幸せ>はそもそも数値化できない、というのが社会学者の意見なのです。
 「日本で幸福度調査というと、毎年行われる国民生活選好度調査、つまり満足度調査を意味します。市場や行政が自分たちのニーズを満たしているか、を調査します。便利で快適か、の調査です。歴代の内閣はこれと大差ないものを『幸福度調査』と呼んで繰り返してきました。ことほどさように、<幸せ>を<便利や快適>から区別できない国民も珍しいですね。」
 ね、イヤミでしょ(笑)。でも、これくらい踏み込んだ発言をしなくては伝わらないこともあるのです。相手を怒らせるくらいの。たとえ国語学者には嫌われたとしてもですね。