| Home |
2018.04.10
軌道修正
「軌道修正」
筆者の友人に、とある禅寺のご住職がいらっしゃいます。お寺のお坊さんというと、皆さんはお年をめした方というイメージを抱くかもしれませんが、このご住職は小さなお子さんもいらっしゃって比較的若いのです。といっても筆者と同い年ですから、世間的には若いという範疇(はんちゅう)には入らないのですが、お寺の世界では若手で通ってしまいます。学問や政治の世界でも40代はまだまだ「はなたれ小僧」の扱いですから、本家本元の僧侶の世界でしたら、なおさらそうだと言えるのではないでしょうか。そんな若手と目されているお坊さんだからなのか、かなり無茶なお願いが舞い込んだのだそうです。
「バンジージャンプを飛んでくださらないですか?」テレビ局のディレクターがやってきて出演の依頼をされたそうです。面白そうだから「いいですよ!」とオッケーしたと言うのですが、依頼するほうも依頼するほうですがオッケーするほうもオッケーするほうです(笑)。「何が目的の企画だったんですか?」とたずねると、禅の修行をしているお坊さんは一般人と違って常に平常心でいられるのかどうか?を検証する実験を行いたいという趣旨だそうで、初めてバンジージャンプを体験する一般人とお坊さんとで、その様子についてテレビカメラを通して比較するというのです。「平常心でいられるかということを試すなら、何もバンジージャンプでなくてもいいのでは…」と筆者は思うのですが、テレビ的にはそれが面白いということになるのでしょう。バラエティー番組で、ヘルメットにカメラを仕込んだ芸人さんがバンジージャンプを飛び降りるシーンというのは筆者にも見覚えがありますから。
結果はどうなったかと言いますと、心拍数などの数値データもとって比較がなされたそうなのですが、見事にお坊さんの方が「落ち着いている」ということが証明されたそうです。筆者は番組を観たわけではないのですが、話を聞いているだけで興味がわいてきまして、せっかくの機会?ですから、どうやって平常心を保ったのかうかがってみました。すると「うまく軌道修正することが大事なんだと思いますよ」というお返事。軌道修正?何ですかそれは!バンジージャンプを飛んでから方向を変える工夫をしたんですか?!文字通り「軌道を修正する」という意味で受け取った筆者は驚いて声をあげてしまったのですが、ご住職からは「いえいえ、そうではなくて心のありようの問題ですよ」とのお答え。一体どういうことなのでしょうか。
「高い所から飛び込むのですから、それは怖いですよ。」修行の成果で高い所も平気になって恐怖心も消え去った、ということではないそうです。恐怖も感じるし、緊張もするとのこと。では一般人と何が違うのでしょうか。筆者がその場に置かれたら、次から次へと頭の中で考えが巡って収拾がつかなくなると思います。「この高さから飛び込む。何もつけていなければ命を落とすことになる。でも丈夫なゴムがついているから大丈夫。でもそのゴムが外れたり切れたりしたら。下には岩場も見える。ぶつかったら命を落とす。でもちゃんと点検しているはずだから。でも点検を怠っていたら。やはり命を落とす。でも死にたくない。だったら飛ぶ必要はない…」ものすごい集中力を発揮しながら「でも、でも、でも」と際限なく思考が空回りを続けることでしょう。そうした思考回路にはまり込まずにうまく抜け出すことはできるのだ!と、ご住職はおっしゃるのです。そしてそれを「軌道修正」と表現されたのでした。
恐怖や緊張から思考が一点に集中して凝り固まってしまう。そうした精神状態を解きほぐすためには、「集中」の反対である「分散」を使うのだそうです。決まりきった考え(この場合「落ちたら死ぬ」という考え)に集中してしまうと、何を見ても聞いても触っても、「やっぱり命を落とす」ということに結び付けてしまいます。そうではなくて、自分をとりまく環境から様々な情報を受け取った上で、ちゃんと分けて整理すること。自分の外にあるものからの影響をシャットアウトして内にこもって集中するのではなく、ちゃんと見えるもの、聞こえること、触ってわかることなど、それぞれきちんと確認をするのだそうです。
「初めてバンジージャンプを飛ぶのですから、当然インストラクターの方がついてくれます。まずはその方の話をしっかりと聞くこと。そして周りの景色をよく見ること。命綱のゴムもちゃんと触って確認をすること。一つひとつ立ちどまるように、あえて気持ちを散らすのです。」筆者も納得しました。教え子に対して「集中しろ!」と声をかけることはあっても「気を散らせ!」と言ったことはありませんでしたが、皆さんもマイナス思考の無限ループにはまり込んでしまったら、気を散らして軌道修正を試みてくださいね、とアドバイスさせていただきます。ご住職ありがとうございました!
筆者の友人に、とある禅寺のご住職がいらっしゃいます。お寺のお坊さんというと、皆さんはお年をめした方というイメージを抱くかもしれませんが、このご住職は小さなお子さんもいらっしゃって比較的若いのです。といっても筆者と同い年ですから、世間的には若いという範疇(はんちゅう)には入らないのですが、お寺の世界では若手で通ってしまいます。学問や政治の世界でも40代はまだまだ「はなたれ小僧」の扱いですから、本家本元の僧侶の世界でしたら、なおさらそうだと言えるのではないでしょうか。そんな若手と目されているお坊さんだからなのか、かなり無茶なお願いが舞い込んだのだそうです。
「バンジージャンプを飛んでくださらないですか?」テレビ局のディレクターがやってきて出演の依頼をされたそうです。面白そうだから「いいですよ!」とオッケーしたと言うのですが、依頼するほうも依頼するほうですがオッケーするほうもオッケーするほうです(笑)。「何が目的の企画だったんですか?」とたずねると、禅の修行をしているお坊さんは一般人と違って常に平常心でいられるのかどうか?を検証する実験を行いたいという趣旨だそうで、初めてバンジージャンプを体験する一般人とお坊さんとで、その様子についてテレビカメラを通して比較するというのです。「平常心でいられるかということを試すなら、何もバンジージャンプでなくてもいいのでは…」と筆者は思うのですが、テレビ的にはそれが面白いということになるのでしょう。バラエティー番組で、ヘルメットにカメラを仕込んだ芸人さんがバンジージャンプを飛び降りるシーンというのは筆者にも見覚えがありますから。
結果はどうなったかと言いますと、心拍数などの数値データもとって比較がなされたそうなのですが、見事にお坊さんの方が「落ち着いている」ということが証明されたそうです。筆者は番組を観たわけではないのですが、話を聞いているだけで興味がわいてきまして、せっかくの機会?ですから、どうやって平常心を保ったのかうかがってみました。すると「うまく軌道修正することが大事なんだと思いますよ」というお返事。軌道修正?何ですかそれは!バンジージャンプを飛んでから方向を変える工夫をしたんですか?!文字通り「軌道を修正する」という意味で受け取った筆者は驚いて声をあげてしまったのですが、ご住職からは「いえいえ、そうではなくて心のありようの問題ですよ」とのお答え。一体どういうことなのでしょうか。
「高い所から飛び込むのですから、それは怖いですよ。」修行の成果で高い所も平気になって恐怖心も消え去った、ということではないそうです。恐怖も感じるし、緊張もするとのこと。では一般人と何が違うのでしょうか。筆者がその場に置かれたら、次から次へと頭の中で考えが巡って収拾がつかなくなると思います。「この高さから飛び込む。何もつけていなければ命を落とすことになる。でも丈夫なゴムがついているから大丈夫。でもそのゴムが外れたり切れたりしたら。下には岩場も見える。ぶつかったら命を落とす。でもちゃんと点検しているはずだから。でも点検を怠っていたら。やはり命を落とす。でも死にたくない。だったら飛ぶ必要はない…」ものすごい集中力を発揮しながら「でも、でも、でも」と際限なく思考が空回りを続けることでしょう。そうした思考回路にはまり込まずにうまく抜け出すことはできるのだ!と、ご住職はおっしゃるのです。そしてそれを「軌道修正」と表現されたのでした。
恐怖や緊張から思考が一点に集中して凝り固まってしまう。そうした精神状態を解きほぐすためには、「集中」の反対である「分散」を使うのだそうです。決まりきった考え(この場合「落ちたら死ぬ」という考え)に集中してしまうと、何を見ても聞いても触っても、「やっぱり命を落とす」ということに結び付けてしまいます。そうではなくて、自分をとりまく環境から様々な情報を受け取った上で、ちゃんと分けて整理すること。自分の外にあるものからの影響をシャットアウトして内にこもって集中するのではなく、ちゃんと見えるもの、聞こえること、触ってわかることなど、それぞれきちんと確認をするのだそうです。
「初めてバンジージャンプを飛ぶのですから、当然インストラクターの方がついてくれます。まずはその方の話をしっかりと聞くこと。そして周りの景色をよく見ること。命綱のゴムもちゃんと触って確認をすること。一つひとつ立ちどまるように、あえて気持ちを散らすのです。」筆者も納得しました。教え子に対して「集中しろ!」と声をかけることはあっても「気を散らせ!」と言ったことはありませんでしたが、皆さんもマイナス思考の無限ループにはまり込んでしまったら、気を散らして軌道修正を試みてくださいね、とアドバイスさせていただきます。ご住職ありがとうございました!
| Home |