2018.05.07 取りも直さず
 「取りも直さず」

 「東大に合格するなんて子どもの頃から天才だったんでしょう?」何度か耳にした言葉です。私自身が言われることもありますが、東大に進学した教え子君が小学生の頃にどのような学習態度だったのか、というお話をご父母の皆さんにする場合でも、反応として返ってくるケースがあります。もちろんここでの天才という言葉には「非常に優秀」というくらいの意味しかなくて、「小学生の頃からすごくお出来になったでしょう?」という発言と内容は変わらないのですが。それなら秀才という表現でもよさそうなものですが、「秀才を超える」という意味で天才という言葉を使って下さっているのです。「ちょっとやそっとの秀才ではない」というニュアンスをこめて、おっしゃって下さっているわけですね。
 しかしながら、「誰も考えつかないこと」を創造するのが天才だとするならば、東大合格生というのは、そうした「何もないところから、新しいものを生み出してくる」という方向性とは正反対のタイプだと思うのです。正反対というのは文字通りで、「目の前にあるものを、誰にでも分かるように解説する」というのがその真骨頂になります。これは文明開化の時期に東京大学が設立されて以来の重要な役割だと私は考えています。西洋から日本ではまだ誰も見たことも聞いたこともないような新しい考え方や技術が伝えられました。それを「これは取りも直さずこういうことだ」と説明して、皆が「へー、そういうことだったのか!」と理解できるようにすること。このうまく説明する能力こそ、東大に期待され、また東大生が発揮すべき力であると考えるのですよ。
 「Aというのは取りも直さずBということだ」という用法では、Aを説明するために、Bという内容によって、相手を納得させなくてはなりません。「なるほどぴったりと当たる」と相手に思わせなくてはならないのです。そのためには「それはどういうことですか?」という質問をあらかじめ想定して、そうした疑問が出ないように表現を練り直し、簡潔でしかも状況を説明するのに最も適切だと思われる表現を選び取らなくてはなりません。でもそれは、うまく言い換える能力に過ぎませんよね。決して何かを生み出す天才ではないのです。むしろ誰にも理解されない天才の発想を、皆が理解できるように説明するサポーターの役割です。でもこれこそ、国語の読解で最も求められる力ではないでしょうか!


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