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2023.01.26
ビオトープ条例
福岡県北九州市「ビオトープ条例」
今回紹介するのは福岡県北九州市で制定された「ビオトープ条例」です。ビオトープというのは日本語にすると「生物の生息空間」という意味になります。ギリシャ語で「生物」を意味する「bios(ビオス)」と「場所」を意味する「topos(トポス)」の合成語で、ドイツで生まれた言葉なんですよ。工業の進展や都市化などによって失われた生態系を復元し、本来その地域にすむさまざまな野生生物が再び生息することができるようになった空間のことを指しています。そんなビオトープと北九州市には、どのようなつながりがあるのでしょうか?
北九州市が誕生したのは1963年です。門司市・小倉市・戸畑市・八幡市・若松市の5市が合併して新設されました。三大都市圏(首都圏・中京圏・近畿圏)を除く地域では初の政令指定都市の誕生であり、都道府県庁所在地以外の都市としても初めてのことでした。ですから福岡県の県庁所在地である福岡市よりも、政令指定都市になるタイミングは早かったことになります!市の北側は日本海(響灘)に、東側は瀬戸内海(周防灘)に面し、関門海峡を挟んで本州の下関市とは最も幅が狭い早鞆瀬戸において約650メートルの距離で向かい合っています。九州最北端の都市であるということもできますね。
合併した市の中に八幡市があることからも分かるように、北九州市の歴史を語る上で官営八幡製鉄所の存在は欠かせません。鉄の自給をめざした国家プロジェクトで、1901年に操業を開始しました。時代背景としては、明治政府の富国強兵政策があり、特に日清戦争(1894年~1895年)を契機とする鉄鋼需要に応じるために官営製鉄所建設案が帝国議会で可決されたことがあります。一漁村にすぎなかった八幡が製鉄所建設地に選ばれた理由はなんでしょう。製鉄に必要な鉄鉱石・石炭(コークス)・石灰石を手に入れやすかったからです。北九州市には筑豊炭田があり、石灰石も産出します。鉄鉱石は中国から船で輸入されるため、これらを結びつけるのに適した洞海湾沿岸の八幡が選ばれたのでした。ちなみに、平成27年にユネスコ世界文化遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産」の構成資産としても、北九州市の官営八幡製鉄所関連施設が選ばれていますからね。また、平成23年にユネスコ世界記憶遺産(世界の記憶)として日本で最初に選定されたのは山本作兵衛さんの「筑豊の炭鉱画」ですよ。これも覚えておきましょう。
洞海湾を母港とする北九州工業地帯は、日本の四大工業地帯の一つとして、重化学工業を中心に、日本の近代化そして高度経済成長を支えてきました。当時、工場群から立ち上る煙は「七色の煙」(酸化鉄の赤、炭素の黒、石灰の白など)といわれ、繁栄のシンボルとして旧八幡市の市歌にも登場するほどでした。「煙もうもう天に漲(みなぎ)る天下の壮観」とうたわれています。ところが、産業の発展は一方で激しい公害をもたらすことになりました。1960年代には北九州地域の大気汚染は国内最悪を記録することになります。洞海湾も工場排水により「死の海」と化していました。魚はおろか、微生物すら生息することのできない海です。高度経済成長の光と影をしっかりと理解しておかなくてはなりません。
物の豊かさが追求された高度経済成長期には、同時に四大公害病(水俣病・新潟水俣病・イタイイタイ病・四日市ぜんそく)を始め全国各地で公害被害が発生し、大きな社会問題となりました。国は1967年に公害対策基本法を制定し、1971年には環境庁を発足させます。公害防止のみならず環境保全に関わる総括的な対策を実施するためです。その後、環境問題は地球温暖化など多様化の時代を迎えたことにより、公害対策基本法を発展的に継承してより広い視点から環境問題に対処するため、新しく環境基本法が1993年に制定されることになります。現在も環境政策の指針となっていますよ。例えば2008年に公布された生物多様性基本法も環境基本法の下に位置付けられています。中央省庁再編に伴い環境省が発足したこともご存知ですよね。厚生省の所管であった廃棄物部門が環境省に移行したことも理解しておきましょう。
北九州市では環境改善が急速に進められました。かつての「七色の煙」「死の海」のまちから「緑の街」「星空の街」へと変貌をとげたのです。1992年にリオデジャネイロで開催された国連環境開発会議(地球サミット)では、日本の自治体では唯一となる「国連地方自治体表彰」を受けています。この奇跡的ともいえる公害克服と環境再生について北九州市環境首都推進室は「市民が公害に気づき、行政・企業・大学などが一体となって対策に取り組んできた」ことが最大の要因であると述べています。現在、北九州市は国から「SDGs未来都市」に、OECDから「SDGs推進に向けた世界のモデル都市」に選定されていますよ。
生物多様性基本法の施行を受けて、北九州市では「北九州市生物多様性戦略」を策定しました。生物多様性の確保に向けた施策を行い「都市と自然との共生」を実現するためです。その事業の一つが「響灘・鳥がさえずる緑の回廊創成事業」になります。響灘地区にある廃棄物処分場跡地に日本最大級の広さ41haの「響灘ビオトープ」を誕生させたのです。市民が生物多様性に配慮しながら自然とふれあえる魅力ある自然環境学習の拠点とすることを目的としています。平成24年に制定された「北九州市響灘ビオトープ条例」によって運用が進められていますよ。
かつて「公害の街」として知られた北九州市は、その克服の過程で蓄積された経験やノウハウを活用し、今や循環型社会づくりの実践モデル都市として日本のみならず世界の牽引役を果たしているのです!
今回紹介するのは福岡県北九州市で制定された「ビオトープ条例」です。ビオトープというのは日本語にすると「生物の生息空間」という意味になります。ギリシャ語で「生物」を意味する「bios(ビオス)」と「場所」を意味する「topos(トポス)」の合成語で、ドイツで生まれた言葉なんですよ。工業の進展や都市化などによって失われた生態系を復元し、本来その地域にすむさまざまな野生生物が再び生息することができるようになった空間のことを指しています。そんなビオトープと北九州市には、どのようなつながりがあるのでしょうか?
北九州市が誕生したのは1963年です。門司市・小倉市・戸畑市・八幡市・若松市の5市が合併して新設されました。三大都市圏(首都圏・中京圏・近畿圏)を除く地域では初の政令指定都市の誕生であり、都道府県庁所在地以外の都市としても初めてのことでした。ですから福岡県の県庁所在地である福岡市よりも、政令指定都市になるタイミングは早かったことになります!市の北側は日本海(響灘)に、東側は瀬戸内海(周防灘)に面し、関門海峡を挟んで本州の下関市とは最も幅が狭い早鞆瀬戸において約650メートルの距離で向かい合っています。九州最北端の都市であるということもできますね。
合併した市の中に八幡市があることからも分かるように、北九州市の歴史を語る上で官営八幡製鉄所の存在は欠かせません。鉄の自給をめざした国家プロジェクトで、1901年に操業を開始しました。時代背景としては、明治政府の富国強兵政策があり、特に日清戦争(1894年~1895年)を契機とする鉄鋼需要に応じるために官営製鉄所建設案が帝国議会で可決されたことがあります。一漁村にすぎなかった八幡が製鉄所建設地に選ばれた理由はなんでしょう。製鉄に必要な鉄鉱石・石炭(コークス)・石灰石を手に入れやすかったからです。北九州市には筑豊炭田があり、石灰石も産出します。鉄鉱石は中国から船で輸入されるため、これらを結びつけるのに適した洞海湾沿岸の八幡が選ばれたのでした。ちなみに、平成27年にユネスコ世界文化遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産」の構成資産としても、北九州市の官営八幡製鉄所関連施設が選ばれていますからね。また、平成23年にユネスコ世界記憶遺産(世界の記憶)として日本で最初に選定されたのは山本作兵衛さんの「筑豊の炭鉱画」ですよ。これも覚えておきましょう。
洞海湾を母港とする北九州工業地帯は、日本の四大工業地帯の一つとして、重化学工業を中心に、日本の近代化そして高度経済成長を支えてきました。当時、工場群から立ち上る煙は「七色の煙」(酸化鉄の赤、炭素の黒、石灰の白など)といわれ、繁栄のシンボルとして旧八幡市の市歌にも登場するほどでした。「煙もうもう天に漲(みなぎ)る天下の壮観」とうたわれています。ところが、産業の発展は一方で激しい公害をもたらすことになりました。1960年代には北九州地域の大気汚染は国内最悪を記録することになります。洞海湾も工場排水により「死の海」と化していました。魚はおろか、微生物すら生息することのできない海です。高度経済成長の光と影をしっかりと理解しておかなくてはなりません。
物の豊かさが追求された高度経済成長期には、同時に四大公害病(水俣病・新潟水俣病・イタイイタイ病・四日市ぜんそく)を始め全国各地で公害被害が発生し、大きな社会問題となりました。国は1967年に公害対策基本法を制定し、1971年には環境庁を発足させます。公害防止のみならず環境保全に関わる総括的な対策を実施するためです。その後、環境問題は地球温暖化など多様化の時代を迎えたことにより、公害対策基本法を発展的に継承してより広い視点から環境問題に対処するため、新しく環境基本法が1993年に制定されることになります。現在も環境政策の指針となっていますよ。例えば2008年に公布された生物多様性基本法も環境基本法の下に位置付けられています。中央省庁再編に伴い環境省が発足したこともご存知ですよね。厚生省の所管であった廃棄物部門が環境省に移行したことも理解しておきましょう。
北九州市では環境改善が急速に進められました。かつての「七色の煙」「死の海」のまちから「緑の街」「星空の街」へと変貌をとげたのです。1992年にリオデジャネイロで開催された国連環境開発会議(地球サミット)では、日本の自治体では唯一となる「国連地方自治体表彰」を受けています。この奇跡的ともいえる公害克服と環境再生について北九州市環境首都推進室は「市民が公害に気づき、行政・企業・大学などが一体となって対策に取り組んできた」ことが最大の要因であると述べています。現在、北九州市は国から「SDGs未来都市」に、OECDから「SDGs推進に向けた世界のモデル都市」に選定されていますよ。
生物多様性基本法の施行を受けて、北九州市では「北九州市生物多様性戦略」を策定しました。生物多様性の確保に向けた施策を行い「都市と自然との共生」を実現するためです。その事業の一つが「響灘・鳥がさえずる緑の回廊創成事業」になります。響灘地区にある廃棄物処分場跡地に日本最大級の広さ41haの「響灘ビオトープ」を誕生させたのです。市民が生物多様性に配慮しながら自然とふれあえる魅力ある自然環境学習の拠点とすることを目的としています。平成24年に制定された「北九州市響灘ビオトープ条例」によって運用が進められていますよ。
かつて「公害の街」として知られた北九州市は、その克服の過程で蓄積された経験やノウハウを活用し、今や循環型社会づくりの実践モデル都市として日本のみならず世界の牽引役を果たしているのです!
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