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 鹿児島県鹿児島市「マグマ温泉条例」

 今回紹介するのは鹿児島県鹿児島市で制定された条例です。鹿児島市は九州の南端部近く、福岡市から南へ約280km、熊本市から南へ約180kmの場所に位置しています。福岡市の博多駅を出て、熊本市の熊本駅を通り、鹿児島市の鹿児島中央駅に至る、九州新幹線の路線をイメージしてくださいね。(ちなみに昨年9月に開業したのは長崎を走る「西九州新幹線」ですよ。)鹿児島県内の薩摩半島の北東部および桜島全域を市域としている鹿児島市は、日本百景の一つである鹿児島湾(錦江湾)を有し、湾内には活火山である桜島を擁しています。年間約1000万人(コロナ前の令和1年)の観光客が訪れる観光都市でもあるのです。鹿児島湾西岸の市街地から桜島を望む景観が、イタリアのナポリからヴェスヴィオ火山を望む風景に似ていることから、「東洋のナポリ」と称されていますよ。実際、鹿児島市とナポリ市は姉妹都市盟約の宣言も行っているのです。
 ところでこの「東洋の○○」という表現ですが、社会の勉強をしていると、しばしば目にしますよね。少し確認してみましょうか!
 まず「東洋のマンチェスター」といえば、どこでしょうか?マンチェスターというのは、産業革命によって発展を遂げたイギリスを代表する商工業都市です。サッカーの強豪クラブチームがあることでも有名ですよね。そのマンチェスターに比肩する大都市として、明治・大正・昭和にわたり、紡績や造船など大規模な工場が建設され、人口も大正末期には東京を抜いて日本最大となったこともある、大阪のことをそう呼ぶのでしたね。「天下の台所」から「東洋のマンチェスター」へ、というのが大阪のキャッチフレーズになります。
 では「東洋のルソー」と呼ばれた人物はご存知でしょうか?ルソーというのは、フランス革命の精神的な支柱ともなり、その後の民主政治に大きな影響を与えた思想家です。『社会契約論』を著した政治哲学者でもあります。この『社会契約論』を翻訳し、日本にルソーを紹介したのが、自由民権運動の理論的指導者とも言える「東洋のルソー」中江兆民なのです。1881年には西園寺公望と共に「東洋自由新聞」を創刊し、民権思想の普及に筆を振るいました。1890年に実施された第1回衆議院議員総選挙における当選者の一人でもありますよ。
 さて「東洋のガラパゴス」と称されているのは、どこでしょうか?ガラパゴス諸島は赤道直下の太平洋上に浮かぶ大小の島々からなる火山群島です。エクアドル本土から約1000km西に離れ、ガラパゴスゾウガメなど独特な進化を遂げた固有種が多いことで有名です。同じように、東京から南へ約1000km離れた場所に30余りの島々が浮かぶのが小笠原諸島ですよね。大陸とつながったことのない海洋諸島であることから、独自の生態系を形作っていて「東洋のガラパゴス」と呼ばれているのです。世界自然遺産にも登録されましたね。
 他にも「東洋の○○」は多々あるのですが…、誌面の都合上今回はここまでとします。皆さんもぜひ調べてみてください!
 さてさて、鹿児島市についてでした。百万石の「一番大名」である加賀藩の前田家に次いで、「天下第二の雄藩」と呼ばれた薩摩藩の島津家の城下町として栄えてきました。薩摩藩といえば、鎖国下の江戸時代においても「四つの窓口」の一つとして、琉球王国との貿易を行い、世界の情報も手に入れていましたよ。「四つの窓口」とは「長崎・対馬・薩摩・松前」ですよね。それぞれの交易先は「オランダと清・朝鮮・琉球・アイヌ」になりますよ。江戸時代以前から鹿児島では、大陸や南洋諸島に近いという地理的条件から、琉球を中継地とした貿易が活発に行われていました。大陸文化やヨーロッパ文化の門戸になっていたのです。だからこそ、1549年にフランシスコ・ザビエルが、ここに上陸し、日本初のキリスト教伝来の地となったのですよ。
 市域の中心部から直線距離にして約4kmに位置する桜島は、現在も活発な火山活動を続けていて、鹿児島のニュースでは降灰予報が流されています。活火山を抱えながら、これだけの人口規模を有する都市は世界的にも稀だと言えます。首相官邸のホームページには「現在、我が国には111の活火山があり、世界でも有数の火山国で、桜島等の複数の火山で噴火が発生しています」という記述があるほどです。ちなみに活火山の数が一番多い都道府県は東京都で、21を数えます(伊豆・小笠原諸島にありますよ)。桜島の噴火による大量の降灰や噴石による被害を契機に制定されたのが「活動火山対策特別措置法」(略称は「活火山法」です)になります。近年の御嶽山噴火を受けて法改正がなされ、「登山者」についての規定が定められたことは記憶に新しいところです。
 そんな桜島と結びつきの強い鹿児島市で制定されたのが「鹿児島市桜島マグマ温泉条例」です。ネーミングのインパクトはすごいですが、市民の健康と福祉を増進するために設置された「公の施設」についての条例です。「公の施設」というのは地方自治法に規定があり、図書館や体育館や公園など一般住民の利用を念頭においた施設のことです。市庁舎などは「公共施設」ではありますが、「公の施設」ではないことに注意して下さいね。「桜島マグマ温泉」は住民のための温泉施設です。そしてその管理を「指定管理者」に行わせるために制定されたのが、この条例です。指定管理者制度といって、公の施設をノウハウのある民間事業者等に管理してもらう制度になります。地方自治法に「公の施設の設置及びその管理に関する事項は、条例でこれを定めなければならない」とあることから、鹿児島市が条例提案したのですよ。
2023.04.12 納豆条例
 茨城県水戸市「納豆条例」

 今回紹介するのは茨城県水戸市で制定された条例です。水戸市は「首都東京から北東へ約100km」と説明されることがありますね。「東京から」といった場合、「起点」をどこに設定するのか?で、「距離」が変わることがあります。道路について考えるならば日本橋を出発点としますし、鉄道の場合は東京駅(丸の内)を始発とするでしょう。行政単位でいうならば都庁がある新宿を起点とすることになります。それでも「約100km圏内」というスケールになった場合には、東京駅から新宿駅までの直線距離が約6kmですから、その中ほどにある四ツ谷駅を中心として半径100kmの円を描いてみたとしても「誤差の範囲内」としてさほど気にならないのではないでしょうか(笑)。むしろ「だいたい100km」という感覚で地図をながめてみると「面白い発見」がありますよ。水戸市が北東に100kmだとすれば、そこから時計回りに、東には銚子市が、南西には沼津市が、西には甲府市が、北西には前橋市が、北には宇都宮市が並んでいることがわかります。南東と南に都市がないのは太平洋上だからですよ。100kmという距離は「車や電車を使って2時間程で到着できる」という意味があり、通勤や通学の限界地点ともなりますし、それは「日帰り旅行」にも当てはまる距離になるのです。北東と南西でちょうど反対の位置になる水戸市と沼津市とでは「約200km」離れていることになりますから。地図帳で確認してみてくださいね。
 さて水戸市は茨城県の県庁所在地で人口も最大(約27万人)の都市です。そんな水戸市の公認マスコットキャラクターをご存知でしょうか?「みとちゃん」という名前の「ご当地キャラ」ですよ。シティセールス(観光情報の発信)に励むレディという設定になっています。納豆をイメージしたかぶりものと梅の髪飾りをつけ、水戸黄門さまでおなじみの衣装をまとって印籠も持っています。「水戸市の特徴がぎゅっと詰まった」と紹介されているのです。ちなみにテレビに登場して人気の高い「ねば~る君」は、納豆の妖精という設定の「茨城県非公認キャラクター」ですからね。それでも茨城県警から「いばらき安全・安心アンバサダー(大使)」に任命されましたよ。ねば~る君に言わせると「県警は懐が深いねば〜。次は県の公認も狙うねば〜」だそうです。
 それでは「みとちゃん」に表現されている「水戸市の特徴」を見ていきましょう。「納豆をイメージしたかぶりもの」ですが、藁(わら)の束の両端を糸で縛って作られる「藁苞(わらづと)」の形をしていますよ。茨城県は納豆生産量日本一を誇りますからね。JR水戸駅の南出口には、この藁苞に入れた納豆をかたどった「水戸の納豆記念碑」が立っています。本当に「藁に包まれた納豆が立った状態の像」なのですよ。「水戸の納豆の由来」というプレートも表示されています。そこには「源義家が後三年の役(1083年)のとき、奥州に向かう途中、水戸市渡里町の一盛長者の屋敷に泊まったおりに馬の飼料である煮豆の残りから納豆ができたという伝説があります。水戸納豆が有名になったのは明治時代水戸駅のホームで土産として販売されるようになってからです。戦後は全国で茨城の納豆が販売されるようになりました。」と、説明があります。
 続いて「梅の髪飾り」ですが、これは約3000本の梅が植えられていて「水戸の梅まつり」の開催で有名な、偕楽園(かいらくえん)にちなんだものです。石川県金沢市の兼六園、岡山県岡山市の後楽園とあわせて「日本三名園」と呼ばれていますよ。広大な庭園には約100品種もの様々な梅が集められていて、「早咲き・中咲き・遅咲き」と長い期間にわたって観梅を楽しめるように工夫されているのです。
 最後に「水戸黄門さま」ですが、第2代水戸藩主徳川光圀のことですよね。天下を治めた徳川家康は、水戸が東北地方の外様大名からの脅威を阻むには絶好の地であると判断し、自分の末っ子で11男!の頼房を封じました。そこから御三家である水戸徳川家がスタートしたのです。以降、明治4年(1871年)の廃藩置県まで、頼房の子孫が代々水戸藩主を務めることになりました。なかでも2代藩主の徳川光圀は、中国の「史記」にならって日本の歴史を編纂(さん)しようと決意しました。全国から優れた学者を招き自ら監修にもあたったのが『大日本史』ですね。明暦3年(1657年)のことでした。それから水戸藩の事業として約250年にわたって継続され、完成したのは明治39年(1906年)ですからね!「水戸学」と呼ばれる学風は、近世日本の文化にも大きな影響を与えましたよ。ところで光圀が「黄門さま」と呼ばれているのは、官職である中納言の異名が「黄門」だったからですね。
 そんな水戸市で制定されたのが「納豆条例」です。正式には「水戸市納豆の消費拡大に関する条例」になります。令和4年の6月に議員提出議案として条例提案されました。「この条例は…納豆の積極的な消費拡大を図ることで、市内産業の活性化及び市民の健康の増進に寄与することを目的とする。」とあります。そして目玉となるのが「納豆の日の制定」です。「納豆の日は7月10日とする。」と明記されていますよ。
 むかえた令和4年の7月10日には「日本初!納豆の日条例はっこう(発行×発酵)記念イベント」が開催されました。納豆を1分間菜箸で混ぜる回数を競う「納豆まぜまぜ世界選手権 水戸大会」では、180回を記録した市内在住の小学6年生が優勝したそうですよ。「みとちゃん」も条例可決を受けて、「納豆をみんなにたくさん食べてほしい」とアピールしたということです。
2023.04.09 そうめん条例
 奈良県桜井市「そうめん条例」

 奈良県といえば通称「海なし県」として知られる「内陸県」(海岸線を持たない県)の一つです。日本国内には8つありますが、奈良県は他の7つの県と切り離されていますよね。本州の中央に並んでいる7つの県は、群馬県・埼玉県・栃木県・山梨県・長野県・岐阜県・滋賀県で、ひとかたまりになって接していますが、奈良県だけは日本最大である紀伊半島の中にポツンと存在しています。この「海なし県」には有名な覚え方がありますので、ご存じの生徒さんも多いと思いますが確認しておきましょう。「グサッとヤナギしなる」ですね。関東地方の群馬(グんま)・埼玉(サいたま)・栃木(トちぎ)、中部地方の山梨(ヤまなし)・長野(ナがの)・岐阜(ギふ)、近畿地方の滋賀(シが)・奈良(ナら)の順で覚えることができるという優れものです。
 ではここで問題です。「海なし県」が8つあるとすれば、「漁港がない県」も8つあると考えますよね。海に面している都道府県には必ず漁港がありますから。でも「漁港なし県」は7つなのです。さてどういうことでしょうか?正解は「滋賀県には琵琶湖で営まれている漁業のための漁港が20もあるから」ということになります。琵琶湖の扱いは大変興味深く、漁業法における農林水産大臣の指定では「海面」に含まれることになります。また、河川法における国土交通大臣の指定では、一級「河川」ということにもなっているのです。ですから、湖とも海ともまた川とも言える特別な存在というわけなのですよ。もう一つおまけの問題です。「海なし県」の8つには、海がありませんので当然、島もないと考えたくなりますが、実は3つの県には島があります。これはどういうことでしょうか?琵琶湖がヒントになりますよね。そう、「湖にうかぶ島」があるのです。長野県の野尻湖には琵琶島(びわじま)が、山梨県の河口湖には鵜の島(うのしま)が、滋賀県の琵琶湖には、沖島(おきしま)・竹生島(ちくぶしま)・多景島 (たけしま)がありますからね。
 さて奈良県の桜井市です。桜井市は、奈良県内の多くの支川(実に157本!)を集めて大阪湾へと注いでいる大和川の上流に位置しています。大和川の源流が桜井市の笠置山地になります。古事記の中で「倭(やまと)は国(くに)のまほろば」とうたわれた地域にあたり、桜井市にある三輪山周辺がその中心地だとされています。「まほろば」というのは「素晴らしいところ」という意味の古い日本の言葉です。JR西日本の桜井駅を通る路線は「万葉まほろば線」という名称がつけられていますからね。6世紀の末に推古天皇が飛鳥(奈良県明日香村)に皇居を移してから始まるのが、いわゆる「飛鳥時代」になりますが、それ以前(「古墳時代」という区分がされることもあります)、古代国家の成立という歴史の舞台となっていたのが、この「やまと」なのです。「やまと」の大王(おおきみ)を中心とする豪族たちの連合政権が形作られていたと考えられていますよね。氏姓制度という仕組みになります。
 そんな奈良県の桜井市で制定されたのが「そうめん条例」なのです。2017年7月7日、七夕の日に施行されました。正式には「三輪素麺の普及の促進に関する条例」になります。そうめん発祥の地は「三輪そうめん」で知られている、ここ奈良県桜井市の三輪地方だといわれており、そこから兵庫県の「播州そうめん」、香川県の「小豆島そうめん」へと製法が伝わったとされているのです。3つの産地は現在「日本三大そうめん」と呼ばれています。この呼び名は2019年開成中学の社会の入試問題にも登場していて、そこから「小豆島」に結びつける理解が求められましたよ。
 さて条例にはこうあります。「三輪素麺は、現在から1200年余り前、飢饉に苦しむ民を救うため、保存食として小麦を挽いて棒状に練り乾燥させたものが時を経て…」とその発祥を語り、続いて「公卿(くぎょう:朝廷に仕える高官)の日記や女官たちの手記によると平安時代以降、宮中や貴族の間で、七夕に食する風習があったとされている」と、歴史的な背景についても説明されています。条例の文言の中にここまで詳しく解説がなされるというのはめずらしいことです。続けて「そのような中、三輪素麺は、本市の優れた地域資源として、桜井市地域ブランドに認定され、更に、他とは違い手延べによる細く白い優れた品質を保持し、国が地域特有のブランドとして保護する『地理的表示保護制度』の登録も受けたところである。このような古い歴史をもつ三輪素麺を積極的にPRし普及するために、三輪素麺を食する習慣を広め、伝統文化への理解の促進及び本市の地域経済の活性化を図るため、この条例を制定する」とあるのです。
 「地理的表示保護制度」というのは、「特定農林水産物等の名称の保護に関する法律」(地理的表示法)に基づき、特定の産地と結びつきのある産品の名称(これを「地理的表示」といいます)を知的財産として保護することを目的としています。農林水産省が、生産業者の利益の増進と、需要者の信頼を確保するために、進めているのです。産地偽装を防ぎ、模倣品を排除するためでもあります。「三輪素麺」の他にも「夕張メロン」や「越前がに」や「神戸ビーフ」などが登録されています。
 2018年には、桜井市で「全国そうめんサミット2018inそうめん発祥の地三輪」が開催されています。実行委員会大会会長である松井正剛桜井市長は「日本の麺文化の歴史は1200年以上になる。豊かな自然風土に育まれ、全国に産地がある。それが一堂に会するサミットを開催できたことは意義深い」と語っていますよ。
 埼玉県さいたま市「ケアラー支援条例」

 今回紹介するのは埼玉県さいたま市で制定された条例です。さいたま市は人口130万人をこえる政令指定都市になります。埼玉県の南東部に位置しており、東京都心から 20~40km 圏にすっぽりと収まっているかたちです。現在20ある政令指定都市の中では、唯一内陸県(海に面していない県)にあります。ちなみに政令指定都市20市の市長によって構成されているのが「指定都市市長会」です。大都市に共通する課題についての話し合いが行われていますよ。最近の「大都市制度実現プロジェクト会議」では、これまでの「特別自治市」という呼称があまり広まっていないことを理由に、新たに「特別市」という通称名を使って情報発信に努めようという決定がなされましたよ。さて政令指定都市であるさいたま市は、行政単位として市の中に区を持つことができます。行政区と呼ばれ、さいたま市には10区あります。桜区・浦和区・南区・緑区・西区・北区・大宮区・見沼区・中央区・岩槻区ですね。このうち「固有名詞」で成立している区について確認してみましょう。すなわち浦和区・大宮区・見沼区・岩槻区の4つになります。
 浦和は埼玉県の県庁所在地でもあり、古くから中山道の宿場町として繁栄してきました。中山道は日本橋を起点に、板橋宿・蕨宿・浦和宿と続きますからね。浦和は三番目の宿場なのです。では四番目は?大宮宿になりますよ!
 大宮は、東北・北海道新幹線の「はやぶさ」「やまびこ」「なすの」「はやて」、山形新幹線の「つばさ」、秋田新幹線の「こまち」、上越新幹線の「とき」「たにがわ」、北陸新幹線の「かがやき」「はくたか」「あさま」「つるぎ」と、5つの路線の新幹線12種が走るという鉄道の結節点であり、東北・上信越方面から首都圏への玄関口になっていますよね。
 見沼という地名は江戸時代の歴史に登場しますよ。「米将軍」と呼ばれた江戸幕府8代将軍の徳川吉宗による「享保の改革」です。幕府の財政を立て直すために積極的に新田開発を行ったのでしたね。財政基盤である石高を増大させるためです。見沼にあった「ため井」(ため池よりも浅い、農業用水をためておくところ)が干拓され、新たに田んぼが誕生しました。そして代わりとなる農業用水の確保のために引かれたのが、利根川を取水口とする約60kmにわたる見沼代用水でした。「見沼の代わりとなる用水」という意味です。現在でも地図帳で確認できる、大きなかんがい施設になります。世界かんがい施設遺産にも登録されていますよ。日本では他にも、福島県の安積疎水、愛知県の明治用水、香川県の満濃池、熊本県の通潤用水など多くの施設が登録されています。国際かんがい排水委員会(ICID)によって、「建設から100年以上経過し、かんがい農業の発展に貢献したもの、卓越した技術により建設されたもの等、歴史的・技術的・社会的価値のあるかんがい施設を登録・表彰する」ために創設された制度です。日本では農林水産省が事務局となっていますよ。
 岩槻は「人形のまち」として知られていますよね。岩槻の人形づくりの歴史は、日光東照宮と深いかかわりがあります。江戸幕府3代将軍の徳川家光の時代、江戸幕府初代将軍の徳川家康をまつる神社として日光東照宮を造営するにあたって、全国から優れた工匠が集められました。岩槻は、日光御成道の宿場町であったため、この工匠たちの出入りが盛んで、また住み着いた者も多くいたといわれています。そしてその中から人形づくりの技術が広まったと伝えられているのです。だからこそ、日光東照宮で見ることのできる豪華絢爛な装飾品の数々には、「岩槻人形」と同じ技法でできているものがあるというのです。「岩槻人形」は、経済産業大臣から伝統的工芸品に指定され、節句人形生産量日本一を誇る埼玉県に、鴻巣市などと共に貢献しています。
 さて「ケアラー支援条例」です。「ケアラー」という言葉にはまだ法律上の定義はありませんが、一般的には、高齢・障害・疾病等により援助を必要とする家族・友人等の身近な人に、無償で介護・看護・世話等を行っている人を「ケアラー」と呼んでいます。その中で18歳未満のケアラーは特に「ヤングケアラー」と呼ばれています。
 ケアラーには、身体的にも精神的にも経済的にも、大きな負担がかかっています。離職せざるをえなかったり、社会から孤立してしまったり、場合によっては心身の不調等から重大な事件につながるようなことさえあります。さらに、ヤングケアラーにとっては、年齢や成長の度合いに見合わない重い責任や負担を負うことで、自身の学校生活や社会生活に深刻な影響を及ぼすこともあります。これまで、行政からの支援の対象といえば、「ケアを受ける立場の人たち」についてでしたが、「ケアラー」=「ケアをする立場の人たち」が抱える問題についても目を向けて支援していくことが、今まさに求められているのです。そうした背景から、昨年の7月1日に施行されたのが、さいたま市の「ケアラー支援条例」なのです。
 「日常生活において支援を必要としている人の周りには、それらの人を支える多くのケアラーの存在があり、それは決して特別な存在ではない」という文言ではじまるこの条例では、「誰一人取り残すことなく、ケアラーを社会全体で支えていく必要がある」ということをうったえ、「一人ひとりのケアラーが自分らしく、健康で文化的な生活を営むことができる地域社会の実現を目指」すことがうたわれています。また同じ埼玉県の入間市では「ヤングケアラー」の支援に特化した条例が、同じく7月1日に施行されていますよ。学校生活や進路などに支障が出ないよう、ヤングケアラーを早期に発見し、社会全体で支える環境を整備することを目的としています。
 新潟県妙高市「希少野生動植物保護条例」

 今回紹介するのは新潟県妙高市で制定された条例です。妙高市は新潟県の南西部、長野県との県境に位置しています。同じ新潟県では上越市と糸魚川市に、長野県では飯山市と長野市とも接していますよ。新潟県の妙高市と上越市と糸魚川市は3市合わせて「上越地方」とも呼ばれています。新潟県を地理的に4つの地域に区分した場合の1つにあたります。他の3つは「下越地方」「中越地方」「佐渡地方」ですね。これはかつて新潟県が越後国と呼ばれていたことに由来し、都である京都に近い方から「上越後」「中越後」「下越後」と区分されていたことによります。「上越後」を略した「上越」が新潟県南西部の地域名として用いられるようになったのです。
 ここで混乱が生じてしまう場合がありますのでご注意下さい!それは「上越」に、もう一つの意味があるからです。上野国(こうずけのくに)と呼ばれた群馬県と、越後国と呼ばれた新潟県を合わせて「上越」と称する呼び方のことです。東京から大宮、高崎を経て、新潟へとつながっている「上越新幹線」は、この「群馬」+「新潟」の意味での「上越」が使われているのです。そしてややこしいことには、「上越妙高駅」という新幹線の駅が存在するのですが、これは上越新幹線の駅ではありません!長野を経て金沢までつながっている「北陸新幹線」の駅になるのです。もちろんこの「上越妙高駅」は妙高市に隣接する上越市にあります。ぜひ地図帳で、上越新幹線と北陸新幹線の路線を確認してみて下さい。新潟県は二つの新幹線が「併存」しているのですよ。今回取り上げる妙高市は北陸新幹線のルート上にあるのです。
 東京駅(東京都千代田区)と金沢駅(石川県金沢市)を約2時間半で結ぶ北陸新幹線です。その走行ルートは、「加賀百万石」で知られる前田家の参勤交代のルートに沿ったものになっているというと驚くでしょうか。加賀藩前田家は、金沢から北国街道(ほっこくかいどう)を抜けて、追分宿(現在の軽井沢町)で中山道へと合流し、江戸へとむかう参勤交代ルートをとっていました。その距離は約480キロメートルで、12泊13日の行程だったといわれています。北国街道は江戸幕府によって整備された脇街道ですが、「善光寺街道」という別名があるように、善光寺への参拝のために整備が進みました。さらには佐渡の金を江戸に運ぶための産業道路として、五街道に次ぐ重要な役割を果たしていました。
 妙高市の名前の由来ともなっている妙高山は「妙高戸隠連山国立公園」に含まれます。2015年に32番目となる国立公園として誕生した新しい国立公園になります。四季折々の美しい景観を見せる妙高山ですが、特に有名なのが「跳ね馬」と呼ばれる雪形(ゆきがた)です。雪形というのは、山に積もった雪が春になってとけはじめ、白い残雪と黒い岩肌とのコントラストが山腹にあらわれることによって、さまざまな姿(鳥や馬や蝶など)に見える模様のことを指しています。妙高山では、妙高市側から眺めると、まるで馬が力強く跳ねているように見える雪形が現れるのです。例年、4月中旬頃になると現れるこの「跳ね馬」は、昔から上越地方で春の農耕の始まりを告げる目安とされてきました。現在でも風物詩として観光名所にもなっていて、妙高市の体育館(「はね馬アリーナ」)や鉄道の沿線名(「妙高はねうまライン」)などに「跳ね馬」の名称が使用されるほど、地元で親しまれています。
 豊かな自然が残る「妙高戸隠連山国立公園」は、国の天然記念物であり絶滅危惧種にも指定されているライチョウの生息地にあたります。また、ヒメギフチョウやゴマシジミ、オオルリシジミなどの貴重な昆虫類が分布し、オキナグサヤマシャクヤクなどのめずらしい草本植物も自生しています。ところがこうした野生動植物は、その希少性の高さから、マニアが捕獲・採集しようとするケースが相次ぎ、さらにはインターネット等で高額で取り引きされる、いわゆるネットオークションにかけられるといった事例も発生しています。環境省が取引を控えるよう、オークション大手の業者に通知を行ったことがニュースにもなりました。
 そうした状況をふまえ、国においては「絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律(略称:種の保存法)」で保護を図るものの、妙高市でも独自に市内に生育する希少動植物を守るために条例を制定したのです。対象となる動植物については、国と県のレッドデータブックなどを参照し、市で環境審議会を開催して専門家に意見を聞き、指定を行いました。オキナグサなど植物6種、ヒメギフチョウなど昆虫9種、ライチョウなど鳥類5種、キタノメダカなど魚類2種の計22種類になります。これらの捕獲、採取、殺傷、損傷を禁止し、条例に違反した場合、1年以下の懲役か、50万円以下の罰金が科せられるというものです。それが令和3年4月1日付けで施行された「妙高市希少野生動植物保護条例」になります。「この条例は、希少な野生動植物が妙高市の自然環境の重要な構成要素の一つであるとともに市民の貴重な財産であり、その保護が生物多様性を確保していく上で欠かすことができないものであることに鑑み、市内に生息し、又は生育する希少な野生動植物を保護し、次代へ継承していくことを目的とする。」とあります。
 市は条例施行後、希少動植物が生息する付近や登山口など約10カ所に「捕獲・採取禁止」と書かれた看板を設置し、市職員や関係者が保護監視活動を行っています。個体数や種類の調査も継続して行われています。妙高市は「人と自然が調和しすべての生命を安心して育むことができる地域」という意味である「生命地域(バイオリージョン)」の創造を掲げて、希少生物保護への理解を呼びかけています。
 栃木県下野市「かんぴょう条例」

 今回紹介するのは栃木県下野市で制定された条例です。「下野」は「しもつけ」と読みますよ。その由来は古く、大化の改新の時代にさかのぼります。「下野国(しもつけのくに)」という表記で東山道の一国として登場します。律令制における地方の行政区分である「七道」は確認しておきましょうね。「東海道・東山道・山陽道・山陰道・北陸道・南海道・西海道」の七つです。東海道や山陰道は、これまでとりあげた条例の中で解説したこともありますよ。今回は東山道です。旧国名を並べてみると「近江・美濃・飛騨・信濃・上野・下野・陸奥・出羽」の八か国となります。ちなみに「上野」は「こうずけ」と読みますよ。「上野国」は大半が現在の群馬県に、「下野国」は栃木県にあたりますので、覚えておきましょう。
 下野市の公式ホームページには「下野市は、関東平野の北部、栃木県の中南部に位置し、都心から約85km圏にあり、首都圏の一端を構成しています」とあります。「首都圏」という表現に疑問符がついてしまう読者のために、正確な意味をお伝えしておきますね。「首都圏」の定義は首都圏整備法の第2条第1項において規定されており「東京都の区域及び政令で定めるその周辺の地域を一体とした広域」となっています。そして「政令で定めるその周辺の地域」については、首都圏整備法施行令第1条において、「埼玉県、千葉県、神奈川県、茨城県、栃木県、群馬県及び山梨県の区域」と規定されているのです。東山道の八か国のうち、上野国と下野国は現在の首都圏にあたるのだと、理解しておいて下さいね。
 「東に鬼怒川と田川、西に思川と姿川が流れる高低差のあまりない、古来より開けた平坦で安定した自然災害も少ない地域です」とホームページは続きます。江戸時代には五街道の一つである日光道中の宿場町(小金井宿と石橋宿)として栄えていました。現在でも、国道4号線が首都圏の中心部と東北地方を結ぶ大動脈として南北に通っており、並行して走るJR宇都宮線(東北本線)の駅には「小金井駅」と「石橋駅」がありますからね。
 そんな栃木県下野市で制定されたのが「かんぴょう条例」になります。令和2年3月に施行されました。第1条にその目的が掲げられています。「この条例は、生産量全国一位の下野市のかんぴょうの生産及び消費拡大に関し、基本理念を定め、…(中略)…、もって本市のかんぴょうに関わる産業の振興及び市民の郷土に対する愛着を深め、豊かで健康的な生活の向上を図ることを目的とする。」下野市はかんぴょうの生産量で全国1位を誇っているのです。ちなみにこうした生産量の調査は、農林水産省が「作物統計調査」や「地域特産野菜生産状況調査」として行っています。「かんぴょう」は栃木県が圧倒的で、全国のシェア(占有率)が99%※をこえています。同じく栃木県が1位の「いちご」では14.3%のシェアですし、和歌山県が圧倒的と思われる「うめ」でさえ58.1%のシェアに過ぎません。「90%をこえるシェア」となる作物は、むしろ例外と言えるでしょう。探してみましたよ!群馬県の「こんにゃくいも」、北海道の「あずき」「てんさい」、熊本県の「いぐさ」などが見つかりました。工芸作物(収穫後に加工して使う作物)にあたるものが多いことがわかりますね。「こんにゃくの原料」「砂糖の原料」「畳表の原料」ですよね。「あずき」も「あんこの原料」なのですが、豆類として「加工せずに食用になる」とも考えられます。
 「かんぴょう」も原料となる夕顔(ユウガオ)の実から作られますよ。栃木県のかんぴょう生産の始まりは、年号まで特定されています。1712年、近江国水口藩(現在の滋賀県甲賀市)から下野国壬生藩(現在の栃木県壬生町)に国替えとなった鳥居忠英公が、かんぴょうの種を水口藩から取り寄せ、領内で栽培を奨励したのがきっかけだったと言われています。江戸時代の化政文化を代表する浮世絵師、歌川広重の代表作ともいえる『東海道五十三次』、その50番目の宿場として登場するのが「水口宿」です。そしてその版画のタイトルが「名物干瓢(かんぴょう)」なのです。初夏の風物として「干瓢作り」が描かれています。筵(むしろ)の上に座った女性が、まな板の上の夕顔の実に一心に包丁を入れています。その後ろには、赤ん坊を背負った娘さんが、「次に切る夕顔の実」を持ったままスタンバイしています。もうひとりの娘さんは、細長く剥(む)かれた夕顔の実を、丁寧に天日干ししています。現在でも「夕顔の実を剥いて干す」という、かんぴょう作りの基本的な作業は変わっていませんからね。
 かんぴょうといえばお寿司の具材として使われます。細長い形から「長生きできるように」との願いがこめられるといいます。節分に1年の幸福や無病息災を願いながら食べる「恵方巻き」にも入っていますね。昨年の2月3日を前にして、当時の金子農林水産大臣は食品ロスを防ぐため「恵方巻きを事前に予約して購入するよう」呼びかけました。2019年に「食品ロスの削減の推進に関する法律」(略称:食品ロス削減推進法)が施行され、企業や小売店でもロスを減らす取り組みが行われるようになっているからです。10月30日が「食品ロス削減の日」と定められ、消費者にむけて啓発も行われています。宴会の食べ残しをなくすため、宴会の最初の30分間と最後の10分間は席について、ちゃんと料理を食べようという「3010(さんまるいちまる)運動」から、「3010」を逆にして10月30日に決められたということですよ。
(※データはいずれも2020年のもの)