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島根県津和野町「美しい森林(もり)づくり条例」

 今回紹介するのは島根県津和野町で制定された条例です。津和野城の城下町として発展した津和野町は「山陰の小京都」とも呼ばれています。その歴史は古く、鎌倉時代にさかのぼります。2度にわたる「元寇」(1274年文永の役・1281年弘安の役)の後、鎌倉幕府は3度目の元の来襲に備えて、1282年に能登国から吉見氏を津和野へ入部させたのでした。そこで築城されたのが津和野城(当初は「三本松城」と呼ばれていました)なのです。ではなぜ、この地が選ばれたのでしょうか?
 「五畿七道」と呼ばれる古代の行政区分については、何度か取り上げたことがありますよね。東海市の「トマトジュースで乾杯条例」を解説した際にも出てきましたよ。現在の日本各地の「地方名」にも名残をとどめていますよね。今回注目するのはその中の「山陰道」です。山陰道にあたる旧国名を並べてみましょう。丹波・丹後・但馬・因幡・出雲・伯耆・石見・隠岐です。このうち隠岐は島になりますので、京都から陸続きの終結地は、石見ということになります。その先で接している国は周防と長門であり、どちらも山陽道に属しています。「畿内」とそれぞれの「国府」を結ぶ「道」として山陰道を考えた場合は、現在の国道9号がそれを継承するものといえます。京都府京都市から山陰地方を貫いて山口県下関市に至る国道です。国道4号(東京都中央区から青森県青森市)、国道1号(東京都中央区から大阪府大阪市)に続いて3番目に長い一般国道ですよ。「一般国道」という言い方が少し気になりますよね。法律に基づいた用語で「高速自動車国道以外の国道」という意味になります。道路法第5条で定められていますよ。単に「国道」と言った場合には、この「一般国道」を指すことが多いのですね。さて国道9号を地図上で確認してみると、山陰道の石見から、山陽道へとまさに入る地点が、津和野だということが分かります。鎌倉幕府が目をつけたのも、山陰と山陽をつなぐ交通の要所になるということが大きな理由の一つであったと考えられます。
 「余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」という遺言を残したのは、明治の文豪森鴎外です。鴎外は現在の津和野町で森林太郎として生まれました。1862年のことで、ちょうど160年前になります。10歳で上京後、ドイツ語を学び、東京大学予科(今の高等学校)に最年少で入学を果たします。東京大学では医学を学び、卒業後は軍医となります。軍の衛生学の調査・研究のためにドイツに留学し、帰国後は、軍医としての仕事のかたわら、ドイツが舞台となる小説『舞姫』の執筆や、アンデルセンの『即興詩人』の翻訳、医学・文学の評論などを行い、明治を代表する知識人として活躍しました。北九州市の小倉で一時期を過ごしたほかは、現在の文京区の団子坂上にあった自宅である「観潮楼」(二階から品川の海が見えたことから、鴎外が名づけた)には家族とともに30年間、1922年に60歳で亡くなるまで暮らしていました。ちょうど100年前になりますね。それでも遺言からもわかるように、鴎外は終生ふるさと津和野のことは忘れていなかったのです。
 津和野町には鴎外が10歳まで過ごした生家が「森鴎外旧宅」として保存されていました。そこに隣接するかたちで鴎外の専門的な記念館として「森鴎外記念館」が開館しています。また、鴎外の終の棲家である「観潮楼」についても、その跡地には「文京区立森鴎外記念館」が開館していますよ。津和野町で生まれ、文京区でその生涯を閉じた文豪森鴎外をゆかりに、両自治体の間には「文化振興や災害応援に関する協定」が締結されています。文京区内には津和野町の東京事務所があり、また津和野町内には文京区との友好の証として「友好の森」が設置されているのですよ。
 そんな津和野町の「美しい森林(もり)づくり条例」です。平成28年に施行されています。前文に相当する部分が「津和野町森林憲章」と題されており、また、美しい森林の具体的な姿を、う(うまい森林)、つ(つながる森林)、く(くらしよい森林)、し(四季のある森林)、い(いきいきとした森林)、も(もうかる森林)、り(利用される森林)に分けて、解説がされているというユニークなものです。「かつて、津和野の森林は地域の生活を支える森林でした。森林は豊かな恵みをもたらし、豊かな水と川を育み、風雨を緩和して暮らしの安全を守り、多くの生きもののすみかとなり、また、人々の働く場や子どもの遊び場となり、そして、津和野らしい地域の景観を形作ってきました。」ではじまる「森林憲章」は、森林の有する公益的機能の重要性をうったえています。森林を保全することは、自然災害への抵抗力を高めることになり、また「緑のダム」と呼ばれる水源涵養機能の向上や、生物多様性の保全、二酸化炭素の吸収量増加などにもつながるのです。もちろん「国土の保全」という意味では、国としての仕事になりますが、津和野町のように「地域の基盤」としての「美しい森林」をつくるように行動しようという自治体は多いのです。
 こうした市町村による森林整備に必要な財源を確保するために創設されたのが、森林環境税と森林環境譲与税です。これは国の動きになります。「森林環境税及び森林環境譲与税に関する法律」によって定められました。令和6年1月1日に施行予定である森林環境税は、国税として年額1,000円が個人住民税に上乗せされて賦課徴収されることになります。森林環境譲与税は、森林環境税の収入額全額に相当する額が、市町村や都道府県に向けて国から譲与されます。国民から集められた税金が国を経て、各市町村等に回り、環境の維持や向上に役立てられることになるのです。「森林憲章」に掲げられているような「森林の有する公益的機能」への国民の理解が求められることになりますね。
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