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2023.03.09 筆の日条例
 広島県熊野町「筆の日条例」

 今回紹介するのは広島県熊野町で制定された条例になります。さて皆さんは「熊野」という地名を聞くと何を思い浮かべるでしょうか?全国に3000社ほどもあるといわれているのが「熊野神社」です。どこかで耳にしたことがあるのではないでしょうか。東京23区でも、板橋区・新宿区・渋谷区・目黒区・葛飾区には比較的大きな熊野神社があります。それ以外にも小さな熊野神社はたくさんありますよね。私も幼い頃、屋台が並ぶ縁日には、近所の熊野神社に友達と集まっていました。そんな全国の「熊野神社」の総本宮にあたるのが「熊野三山」と呼ばれる「熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社」の三つの大きな神社です。この熊野三山にお参りするために古くから整備されてきたのが「熊野古道」ですよね。ユネスコの世界遺産にも登録されていて、「歩ける世界遺産」として多くの旅行客を国内外から集めています。
 「熊野」といえば、一般的に「熊野三山」のある和歌山県南部の地域を指している、と考えておけばいいでしょうか。それでも全国に熊野神社はありますので、ゆかりのある自治体(市区町村)として「熊野」を名乗っているところは多いのではないかと思ったのですが、実は全国に二つしかありません。一つはもちろん今回取り上げた広島県の熊野町です。熊野町にも当然、熊野神社がありますよ。ではあと残りの一つは?やはり和歌山県南部に熊野市があると思いますよね。残念?でした、正解は三重県の熊野市になります。「えっ?」と思ったのと同様に、1954年(昭和29年)に熊野市の市名が決定した際には、隣接する新宮市など和歌山県側から多くの反対があったと伝えられています。熊野本宮大社は田辺市、熊野速玉大社は新宮市、熊野那智大社は那智勝浦町、いずれも和歌山県にありますから。しかし、三重県も熊野灘に面しており、熊野川が流れていて、吉野熊野国立公園の区域にもなっていますので、「熊野」とは「和歌山県南部から三重県南部にまたがる地域名」だという解釈で、はれて熊野市となったのでした。広島県熊野町と三重県熊野市は、同じ「熊野」を名称に残す地方自治体として、友好都市協定を締結していますよ。両市町の特産品などをセットにした「ふるさと納税」の返礼品が注目されています。
 もう少し「熊野」にまつわる話を続けますね。「蟻の熊野詣」という言葉を知っていますか?エサを見つけたアリの集団が、巣とエサの間に行列を作って行き来している様子をイメージしてください。そんな「密集した大行列」にたとえられるほど、熊野古道を大勢の人々が列をなして熊野三山に参詣していたというのです。平安時代末期、末法思想(災厄と争いで世界は滅びに向かうという考え)のはびこる不安な時代に、人々が救いを求めたのが浄土信仰でした。阿弥陀如来が極楽浄土に導いてくれるというものです。阿弥陀如来を本尊とする仏堂である「阿弥陀堂」がさかんにつくられましたね。平等院鳳凰堂もその一つですよ。そして熊野本宮の神様の本来の姿が阿弥陀如来であるという考え(「本地垂迹」といいます。もとは仏教の仏様が(=本地)、日本では神社の神様として現れた(=垂迹)という考え)が広まるにつれ、熊野はまさに「浄土の地」であるとみなされるようになったのです。人々はこぞって、そして何度も、熊野の地を訪れたのでした。有名なところでは後白河上皇が34回も参詣したといいます。また後鳥羽上皇も、数では負けていますが(28回)、平均10ヵ月に1度という参詣の頻度だったといいますよ。
 さて広島県の熊野町についてです。北は広島市、南は呉市に接しています。広島市街地からは東南に約12㎞の地点です。山陽新幹線の線路に沿って、広島駅から12㎞といえばわかりやすいでしょうか。日本最大の筆生産地で、毛筆や化粧筆の国内シェアは約8割を占めています。江戸時代から作られている伝統的工芸品として「熊野筆」の名称で知られていますよ。知名度が一気に上がったきっかけは国民栄誉賞の記念品として取り上げられたことです。サッカー女子ワールドカップで優勝した日本女子代表チーム「なでしこジャパン」に、熊野の化粧筆が贈られたのでした。ちなみにサッカー日本代表のエンブレムに描かれている三本足の八咫烏(ヤタガラス)は、「熊野」の神様の使いだとされています。古事記や日本書紀にも登場する由緒あるキャラクターなのですよ。
 熊野町は「筆の都」を標榜していて「筆を作るだけの町ではなく、筆の文化を広め、自ら筆を使う町を目指していきたい」と意欲的です。そこで制定されたのが、今回紹介する「筆の日を定める条例」なのです。「筆産業の振興と筆づくり技術の継承・発展に尽力した先人に感謝するとともに、筆の歴史と文化の価値を改めて認識し、町、事業者及び町民が連携して、その魅力を全国に発信することにより、筆文化の振興と筆産業の発展を図るため、筆の日を定める」というものです。「筆の日」は春分の日とされました。町を挙げて「書は日本文化の柱」であるという考えを発信していく決意です。熊野町が特に力を入れたのが書道の授業です。学習指導要領では、毛筆を使用する書写は小学校3年生から取り組むことになっていますが、熊野町では小学校低学年(1・2年生)のカリキュラムに独自の「書道科」を取り入れて、毛筆や書の伝統文化に親しませています。もちろん熊野筆を使っての授業です。こうした地域に根差した伝統文化に触れる教育の果たす役割は大きく、ユネスコから「持続可能な発展のための教育」であると認定されました。その後、学習指導要領が改訂され、日本においても「持続可能な社会の創り手」を育てるという理念が明確に示されたこともあり、熊野町の「書道科」の授業は、他の自治体のモデルとなる先駆的な事例として紹介されるようにもなりましたよ。
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