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2023.04.12 納豆条例
 茨城県水戸市「納豆条例」

 今回紹介するのは茨城県水戸市で制定された条例です。水戸市は「首都東京から北東へ約100km」と説明されることがありますね。「東京から」といった場合、「起点」をどこに設定するのか?で、「距離」が変わることがあります。道路について考えるならば日本橋を出発点としますし、鉄道の場合は東京駅(丸の内)を始発とするでしょう。行政単位でいうならば都庁がある新宿を起点とすることになります。それでも「約100km圏内」というスケールになった場合には、東京駅から新宿駅までの直線距離が約6kmですから、その中ほどにある四ツ谷駅を中心として半径100kmの円を描いてみたとしても「誤差の範囲内」としてさほど気にならないのではないでしょうか(笑)。むしろ「だいたい100km」という感覚で地図をながめてみると「面白い発見」がありますよ。水戸市が北東に100kmだとすれば、そこから時計回りに、東には銚子市が、南西には沼津市が、西には甲府市が、北西には前橋市が、北には宇都宮市が並んでいることがわかります。南東と南に都市がないのは太平洋上だからですよ。100kmという距離は「車や電車を使って2時間程で到着できる」という意味があり、通勤や通学の限界地点ともなりますし、それは「日帰り旅行」にも当てはまる距離になるのです。北東と南西でちょうど反対の位置になる水戸市と沼津市とでは「約200km」離れていることになりますから。地図帳で確認してみてくださいね。
 さて水戸市は茨城県の県庁所在地で人口も最大(約27万人)の都市です。そんな水戸市の公認マスコットキャラクターをご存知でしょうか?「みとちゃん」という名前の「ご当地キャラ」ですよ。シティセールス(観光情報の発信)に励むレディという設定になっています。納豆をイメージしたかぶりものと梅の髪飾りをつけ、水戸黄門さまでおなじみの衣装をまとって印籠も持っています。「水戸市の特徴がぎゅっと詰まった」と紹介されているのです。ちなみにテレビに登場して人気の高い「ねば~る君」は、納豆の妖精という設定の「茨城県非公認キャラクター」ですからね。それでも茨城県警から「いばらき安全・安心アンバサダー(大使)」に任命されましたよ。ねば~る君に言わせると「県警は懐が深いねば〜。次は県の公認も狙うねば〜」だそうです。
 それでは「みとちゃん」に表現されている「水戸市の特徴」を見ていきましょう。「納豆をイメージしたかぶりもの」ですが、藁(わら)の束の両端を糸で縛って作られる「藁苞(わらづと)」の形をしていますよ。茨城県は納豆生産量日本一を誇りますからね。JR水戸駅の南出口には、この藁苞に入れた納豆をかたどった「水戸の納豆記念碑」が立っています。本当に「藁に包まれた納豆が立った状態の像」なのですよ。「水戸の納豆の由来」というプレートも表示されています。そこには「源義家が後三年の役(1083年)のとき、奥州に向かう途中、水戸市渡里町の一盛長者の屋敷に泊まったおりに馬の飼料である煮豆の残りから納豆ができたという伝説があります。水戸納豆が有名になったのは明治時代水戸駅のホームで土産として販売されるようになってからです。戦後は全国で茨城の納豆が販売されるようになりました。」と、説明があります。
 続いて「梅の髪飾り」ですが、これは約3000本の梅が植えられていて「水戸の梅まつり」の開催で有名な、偕楽園(かいらくえん)にちなんだものです。石川県金沢市の兼六園、岡山県岡山市の後楽園とあわせて「日本三名園」と呼ばれていますよ。広大な庭園には約100品種もの様々な梅が集められていて、「早咲き・中咲き・遅咲き」と長い期間にわたって観梅を楽しめるように工夫されているのです。
 最後に「水戸黄門さま」ですが、第2代水戸藩主徳川光圀のことですよね。天下を治めた徳川家康は、水戸が東北地方の外様大名からの脅威を阻むには絶好の地であると判断し、自分の末っ子で11男!の頼房を封じました。そこから御三家である水戸徳川家がスタートしたのです。以降、明治4年(1871年)の廃藩置県まで、頼房の子孫が代々水戸藩主を務めることになりました。なかでも2代藩主の徳川光圀は、中国の「史記」にならって日本の歴史を編纂(さん)しようと決意しました。全国から優れた学者を招き自ら監修にもあたったのが『大日本史』ですね。明暦3年(1657年)のことでした。それから水戸藩の事業として約250年にわたって継続され、完成したのは明治39年(1906年)ですからね!「水戸学」と呼ばれる学風は、近世日本の文化にも大きな影響を与えましたよ。ところで光圀が「黄門さま」と呼ばれているのは、官職である中納言の異名が「黄門」だったからですね。
 そんな水戸市で制定されたのが「納豆条例」です。正式には「水戸市納豆の消費拡大に関する条例」になります。令和4年の6月に議員提出議案として条例提案されました。「この条例は…納豆の積極的な消費拡大を図ることで、市内産業の活性化及び市民の健康の増進に寄与することを目的とする。」とあります。そして目玉となるのが「納豆の日の制定」です。「納豆の日は7月10日とする。」と明記されていますよ。
 むかえた令和4年の7月10日には「日本初!納豆の日条例はっこう(発行×発酵)記念イベント」が開催されました。納豆を1分間菜箸で混ぜる回数を競う「納豆まぜまぜ世界選手権 水戸大会」では、180回を記録した市内在住の小学6年生が優勝したそうですよ。「みとちゃん」も条例可決を受けて、「納豆をみんなにたくさん食べてほしい」とアピールしたということです。
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