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2023.09.14 惻隠の情
 「惻隠の情」

 何やら難しそうですよね。「そくいんのじょう」と読みます。「相手のことを思いやる気持ち」を意味しています。「惻」という漢字が見慣れないですよね。でも部首である「りっしんべん」に表されているように、「心を測る」=「相手の心を推し量る」ことを意味しています。「隠」については、「かくす」という意味のほかに、「慇」(イン)と同じく「相手をいたむ」という意味があります。ですから「惻隠」という熟語で「相手に寄り添って心配する」という内容になるのですね。
 「惻隠の情」という言い回しには出典があります。中国の古典『孟子(もうし)』です。孟子は中国の思想家で、その言葉や行いをまとめた書物が『孟子』になります。今からおよそ2300年前、紀元前4~3世紀、中国の戦国時代にあたりますよ。『孟子』には次のような一節が登場します。「井戸に落ちそうになった子どもを見たら、思わず手を出して助けようと思う」と。この気持ちを「惻隠の心」と表現したのでした。相手の立場になって同情するという「人間らしい」感情の一つとされています。この「人間らしさ」を突きつめて、孟子は「性善説(せいぜんせつ)」を唱えました。ここでいう「性」とは「天から与えられた人の本質」を意味しています。また「善」とは「道徳的に正しいこと」という意味です。ですから「性善説」というのは「人は本来、善である」ということになります。危険にさらされた幼子を見るに見かねて助けようとする気持ちを、人間なら誰しも持ち合わせているという考えですね。
 ですがここで少し注意が必要です。「性善説」をあまりに素朴に理解してしまうと、「人間は存在そのものが善である」という楽観的な解釈になってしまうのです。「何もしなくても立派である」と。孟子の教えは違います。「善は絶えざる努力によって開花され」そしてその結果「立派な人間になれる」というものなのです。「惻隠の情」は、いわば「種」のようなものであり、「開花」させるためには努力も必要になるということです。孟子はこれを「惻隠の心は仁(じん)の端(たん)なり」と表現しました。「仁」というのは「人を思いやる気持ち」のことで、道徳的に人として正しい生き方を示す言葉になります。人間が生まれつき持っている「惻隠の情」からスタートして、完成形である「仁」を目指して努力すること。自然の心の延長線上に徳はあるのだから、「人間ならばできるはず」というのが「性善説」の持つ意味なのですよ。
 さてこの「惻隠の情」について、「これは人類学的真理なんです」と解釈するのが思想家の内田樹先生です。あまりなじみのない「人類学」という言葉が出てきました。「経済学」や「物理学」ならば知っていますよね。「経済学」を「経済についての学問」と考えれば分かるように、「人類学」も同じように「人類についての学問」ということなのでしょうか?その通りです!東京大学にも「人類学研究室」があります。研究室のホームページには次のような「人類学とは」という紹介が載せられていますよ。「ヒトは、大きな脳を持ち、二足で歩き、言語で互いに意思疎通を行い、自らの生息環境を脅かすまでに文明を発達させた、極めて特異な生物です。『人類学』とは、このヒトという特異な生物が、なぜ、どのように誕生し、どのような生物学的特徴を持った存在であるのかを、科学的に明らかにしようとする学問です。ただし、ヒトは『文化』を持っている点でほかの動物と本質的に異なっています。このため現在の人類学は、便宜上ヒトの生物的特質を研究対象とする『自然人類学』と、文化的特質を研究対象とする『文化人類学』に分かれています。」
 ここでぜひ皆さんにも知っていただきたいのが、この「文化人類学」という学問です。人類の文化的側面を研究する学問ですね。文化によって異なって見える「生活様式・言語・習慣・ものの考え方」などを比較研究して、そこに人類共通の法則性を見い出そうとするものだと理解してください。世界には多様な文化と社会が存在します。そんな「異文化」を俯瞰して、「人類」という大きなスケールで「社会とは?」「文化とは?」そして「人間とは何か?」を考えることが文化人類学なのです。「現代文」の重要なテーマの一つにもなります。
 話を元に戻して、「惻隠の情」が「人類学的真理」だという話です。内田先生は著書『複雑化の教育論』の中で、「人間は他者からの支援要請を聴き取った時に主体として立ち上がる」とおっしゃっています。どういうことでしょうか?「支援要請」というのは、「手をかしてほしい」ということで、もっと端的にいうと「助けて!」というメッセージです。それを受け取った人が「助けなければ」という気持ちになることが「惻隠の情」です。「主体として立ち上がる」というのは、「あなたがいてくれてよかった!」という強力なメッセージが届くことで、「ほかでもないあなた」が承認されるということです。このことは、人は「頼りにされている」という場面で本来の力を発揮できる、ということでもあります。身近な例をあげると、「頼んだぞ!」とバトンを渡されたリレーのアンカーが、自己ベストを更新してトラックを走りぬける、といったケースです。これも「人間とはどういう生き物か?」を考察する人類学的な研究の対象になるのですよ。
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